9-28.「誰かを捜して」
ルーテシア・レイスという少女は声を発することができない。
きっと生まれつき、そうなのだろう。
それは今のような彼女の振舞いを見ていれば、誰しもすぐに思い至るところだ。
無理もないと、その頑張りを傍らから見守りながらリクニは思う。なにせルーテシアはいま、人通りの多い街なかで次々と見知らぬ相手に話しかけようとしているのだが。
その際、ルーテシアはまず相手の後ろについて何やら口をパクパクとさせるのである。それで気付いてもらえる様子がなければ、次に服をちょいちょいと引っ張りにいって、注意を引いたうえでまた口をパクパクとさせるからだ。
ルーテシアはまだ小さいので、そうした挙動を不思議には思っても、不審と受け取る者は少なかった。やだ可愛いー!とかあらあらどうしたのお嬢ちゃん?とか、その反応は大半が好意的なものではあったが。
それでも一生懸命に口をパクパクさせ、何かを伝えようと必死になっている少女の様子を見れば、次第にその多くが戸惑いを隠せなくなってくる。
自分たちではどうしてやることもできない不自由がそこにあることを察して、どうしていいか分からないまま、居合わせた者同士で気まずそうに顔を見合わせるしかなくなって。
「あっ、すみません。うちの子がどうもー」
この子は1人か、親はいないのかといよいよ辺りがガヤガヤし始めたところで、ひょっこりと顔を出してヘコヘコ。保護者のフリをして身柄を預かり撤収するのが一時期、魔女狩りリクニ・オーフェンの役割と日課だったりもした。
そうして場をリセットしたら、また頃合いを見てルーテシアを解き放つ。
ひたすらに根気強く、それを繰り返して。あんまりしつこくしちゃダメだよ?と、たまに一言窘めるくらいのことはしたけれど。
それ以外に、あまり多くの口出しをリクニからすることはなかった。
あっすみませーんうちの子がどうもーと、回数をこなすごとに流暢となるそのセリフだけはしっかりと準備しておいて、またいつでも回収に向かえるよう見守りに徹する。
それを日が暮れるまで何時間も、毎日のように。
「ルゥ、今日はもうこれくらいにしよう」
最初の1回ではなかなかウンと言わないから、少し早めにそうと切り出しておくのもコツだった。案の定、ワンモアを示して「フン!」と立てた人差し指を突き出してくるので、分かったよじゃああと1回だけねとまた送り出す。
フンフンフンとそれを大体、3~4回も繰り返せば、空もほどよく茜色に染まってきて。
「時間だよ、ルゥ。帰ろう」
すかさずフンとされかかるけど、そこは「ダーメさっきこれで最後って約束したよね?」と指を捕まえてやれば、さしもの彼女も聞き分けを持ってくれた。また明日にしようと促せば、渋々ながらコクリと頷き、そのまま連れ帰られてくれる。
と言ってもその小さな足で一日中、あちこち動き回ったものだからヘトヘトなのだろう。疲れてウトウトし始めたルーテシアを、やれやれと負ぶって連れ帰るまでがリクニの務めだった。
だがそれを煩わしいとか、子どものお守りなどとは思わない。
たぶん性格的なものも大いにあるのだ。どうやら自分はそういうのに適性があるみたいで、板挟みにされては後は頼んだぞと肩ポン1つ、グワーとなりながら奔走させられるなんてしょっちゅうのことだから。
とりわけテグシーが上司となってからは、そんな機会もグンと増えていた。
だからこうして、ルーテシアのこともよろしくされてしまったわけで。
だけどもう、そんな成り行きだけが理由ではない。
煩わしいだなんて、思えるはずもなかった。
こんなにも毎日、必死になって『誰か』を捜し求めている彼女の姿を目の当たりにしては。
実を言うと、ルーテシアが声を出せないとする解釈には誤りがある。
彼女は話している。一生懸命に『声』を発し、伝えようとしているのだ。
しかしどうやら、その『声』を聞き取れる相手が極端に少ないというのが真相のようで。
それこそ少しまえまで、彼女自身も勘違いをしていたくらいだ。
自分は生まれつき声を出せないものと思い込んで、諦めていて。
ところが魔女登録を受けるためセレスディアへ訪れたのを機に、彼女の世界は一変することになる。なにせ生まれて初めて、自分の声がしっかり聞こえているなどという『例外』に出会ったのだから。
大丈夫、私にはちゃんと聞こえてるよと。
そう励ましてもらえたときのことが、よほど嬉しかったのだろう。
だからいまルーテシアは、あんなにも必死になって探している。
もしかしたら彼女のほかにも居るかもしれない、自分の声をちゃんと聴き取れる相手を。
『私の声、聴こえませんか?』と。
そう手当たり次第、懸命に街行く人々に話しかけることによって。
どうしてそれを、付き合いきれないなどと放り出せるものか。
リクニは助力を惜しまなかった。
もうしばらくは彼女――ミレイシア・オーレリーには会えないのだとそう伝えたあと、自室で声もなく泣いていたルーテシアの涙を知っていればこそ。
本当は自分がその声を聴き分けてやれたら、一番良かったのだけれど。
それはできないし、無いものねだりをしたって仕方ないから。
たとえ僅かな望みでも、できるだけのことをしてやりたくて。
リクニもまた、ずっと探していたのだ。
ミレイシアのほかに、ルーテシアの『声』を聞き分けてやれる誰かを。
そんなときである。
かつての級友でもあるゼノン・ドッカーがセレスディアに、とある魔女の少女を連れ帰ってきたのは。
正直なところ、期待はしていなかったのだ。
ミレイシアがそうだったならと、その線は真っ先にあたったが。
結局は魔女の誰も、テグシーでさえも、ルーテシアの声を聴き分けられる者はいなかったから。
望みはきっと、限りなく薄い。
そうと分かっていたから取り立てて話題ともせず、ルーテシアもどちらかと言えば不安のほうを大きくしている様子だった。しばらく生活も一緒にすると聞いて、うまく関係を築けるかとソワソワしていて。
「大丈夫だよ、今のルゥなら。知らない人にだってあんなにいっぱい話しかけられたんだからさ。同じようにすれば――えっ、それとこれとは話が別? 間が持たない? 会話を続けることの難易度は、なになに? 超すーぱーはいまっく……」
書き途中の筆談メモを読みあげながら思わず吹き出したら、マジメに悩んでるのにとプンスカされた。ごめんごめんと謝りつつ、心配ないってと励ます。
「前に1回だけ会ったことあるけど、とても人当たりの良さそうな子だったよ。確かにルゥとは少し年も離れてるけど、孤児院の出身だって言ってたし、小さな子のお世話とかも慣れてるんじゃないかな。いいお姉さんになると思うよ。だからいっぱい甘えて、遊んでもらえば――」
と何食わぬ顔で言いかけたが、さすがに子ども扱いしすぎてしまったか。
いたく不服そうなジト目をいただいたので、途中で視線を泳がせつつ、言い直す。
「じゃなくて、ええと……。うん、きっといいお友だちになれるんじゃないかな! いろいろ分からないこともあるだろうから、ルゥからも率先して教えてあげてね。ここの先輩としてさ!」
先輩と、そう言われたのが心地よかったか。
口の形で「おお……」となりつつ、なんだかちょっと張り切った様子でいるルーテシアだった。 単純で助かったと、一方でリクニもふぅと安堵の息を零しつつ――。
だがそんな不安も初対面当日、思いもよらぬ形で払拭されることになる。
「えっ、声? うん、ちゃんと聞こえてるけど……どうして?」
ルーテシアの届かないはずの問いかけに、ケロリと。
何食わぬ顔で聞き返したアリシア・アリステリアがまさか、その稀有な例外の1人ということが判ったのだから。