9-27.「声もなく」
囚人らの脱走により、混乱の渦中にあるグランソニア城。
今現在、城域のあちこちではその氾濫を阻むため、看守の魔女や居合わせた魔女狩りたちが総出で対処・制圧に当たっているわけだが。
そんな喧騒より、やや離れたところ。
薄暗い階段をコツコツと上階に向かってあがりながら、微かな靴音を響かせている一人の魔女狩りがいた。袖に腕を通し、淡く紫がかった長髪を後ろで丁寧に結んで。
彼の名はリクニ・オーフェン。
オーフェン家の家名に加え、その流麗な佇まいや整った顔立ちから女性人気No.1とも言い立てられる、界隈でも相当に著名な美丈夫である。
だが当人としては、それはあまり気乗りするとは言えない風評だった。
なにせそんなのはいずれも生まれ持っただけの幸運に過ぎず、自分自身の実力や功績が正当に評価されてのものではないからだ。
きゃーリクニ様よステキーっ!とかこっち向いてリクニ様ーっ!とかされたら、一応は愛想笑いを浮かべて手を振り返してやったりもするけれど。そんな彼女たちの抱いている幻想と実物がイヤというほどかけ離れているだろうことは、他ならぬリクニが誰より自覚を持ち、辟易していることだった。
たくさんいるのだ。
自分なんかよりずっと立派で、誰に持て囃されずともやるべきことをしっかりやって、地道に努力している人なんて。
どうして彼女らは、星の数ほどもいるそんな人たちには目もくれず、自分などに釘付けとなっているのだろう。目をハート型に変えて、お手製のウチワをパタパタさせながら分かりやすく熱をあげて。
良くないって。もっとよく周りを見なよ。
言っとくけど僕、君らが思ってるようなのとは全然違うよ?
かけ離れてるからね? 程遠いなんてものじゃないのに……。
向けられる彼女らからの、きっと純粋だろう声援や好意を袖にしてやろうとか、軽んじたりあしらうつもりは決してない。ただ彼女らの理想にちっとも追いつけない自分がほとほとイヤで、やりようもないからせめて、そんな風に皮肉って自嘲するしかなくて。
うんありがとうありがとうねとニコニコ笑顔を振りまき、カキカキと慣れた手つきで色紙にペンを走らせながら、その一方で。
――ホントに、こんなのの何がいいのかねぇ……?
いつも心のどこかに、そうと冷めきっている自分を抱えていた。
悪意はなくとも、それが飾らぬリクニの本心で。
それでもこの頃はようやく、ちょっとくらいマシになんて思えてきていたのだ。一人歩きされてなかなか追いつけなかった高評価に、実績の方がどうにかこうにか追いついてきてくれて。
テグシーが見い出してくれたおかげで、現場で体を張るより参謀としての役割の方が向いているとか、自分の使い方というものも分かってきたから。
だから以前に比べたら少しだけ。
ほんの少しだけ、自分というものが好きになれていた。
認められていた。そんな今日この頃、だったけれど――。
ふぅと。
そのときリクニが足を止めたのは階段を登り切った先、建物の屋上へと続く扉のまえである。
一呼吸を置いたのは、心の準備をするためだ。
あとは単純に、ここまでそこそこひた走ってきたもので、あがっている息を整えるため。
問題はない。
すでに建物全体を何重にも囲ってあるから、逃げられてはいないはずだし、破られた様子もない。そうできるくらいの猶予はあった。
だからこそ今一度、ここで腹をくくり直す。
絶対しくじるなよと、そう自分に言い聞かせて。
ちなみにドアノブに手をかける直前で手がとまったのは、その指先が震え、冷たくなっていることに気付いたからだ。
何事にも動じず、冷静さを失わない。
ファンたちの声援によれば、世界のどこかにそんな自分がいるらしいけれど。
本当に、とんでもない話だった。
「まったく、僕ってやつはさ……」
情けなさに苦笑を滲ませ、しっかりしろよと最後にもう一度、己を鼓舞する。あとは奮い立たせた勢いそのまま、ドアを押し開きたいところだが。
驚かせてはいけないので、あくまでそこはそっと。
カチャリと開ければ――。
ヒュオオと風の吹き抜ける屋上。
冷たい外気のただ中に、ちょこんと佇む彼女がいた。
こちらに背を向け、身の丈より頭1つ分高い杖を手にした赤毛の少女。
いつもと変わらないその後ろ姿にひとまずと安堵の息を付いてから、リクニは呼びかける。
「やっと見つけたよ……。こんなところに居たんだね」
皮肉なことに平静を装うことだけは得意で。
いつもの調子を装って、やれやれ風にカツンと一歩を踏み出しながら。
「――ルゥ」
おなじみの愛称をもってそう、静かに呼びかければ彼女――ルーテシア・レイスはピクリと肩を震わせた後、ゆっくりと眦をこちらへ向けた。拠り所とするようにしっかと杖を持ち、どこか怯えたような顔つきでいる彼女と目が合う。無言のままジッと、こちらを見据えていて。
確かにそれは、彼女らしいと言えばらしい振舞いではあった。
というのもこの頃はいろいろあって、ルーテシアの機嫌を損ねてしまう機会も多かったから。なかなか力になってやれなかったり、ルーテシアの意志をうまく尊重してやれなかったりとまぁ、いろいろだ。
おかげで株もすっかり右肩下がり。
だからそんな「なんだリクニか」みたいなそっけない態度を取られても、やや致し方ない面もあるのかもしれない。
けれど――。
今がこんな局面であることを思えば、その反応はいささか不自然と言えた。運よく最初にアニタと合流できたリクニは、互いの情報を持ち寄り、何が起こったかを推察できたが。
話を聞くに、ルーテシアはそうでなかったはずなのだ。
いきなり一人ぼっちにされて、此処がどこかも分からなくて。
怖かっただろう。不安だっただろう。
助けだって、満足に呼べなかったはずだ。
何せルーテシアはそうできない。
声を発することが……。
いや、声を届かせることができないのだから。
だからこそ今はそんな強がりなんかそっちのけでワタワタと、背に腹は代えられんでも何でも駆け寄ってきそうなものなのに。さすがにそれくらいの信頼関係は築けているはずなのに。
いつまで経っても、ルーテシアはそうしなかった。
おろか表情1つ変えずにただ、こちらをジッと見据えている。
その淡い緋色の瞳から、一筋の涙を流して――。
「これが……」
『血の目覚め』ってやつか。
その先は心の中で呟いてから、リクニは言った。
「ごめんよ、本当に……。遅くなっちゃって」
心からの謝意を、そう口にする。
目の前にただ無言の涙を流し、佇んでいる少女に向けて。
『血の目覚め』。
幼い子どもやあるいは大人でも、命の危機に瀕したとき、魔女特有に現れるというその現象を目の当たりにするのはリクニにとって初めてのことではない。
もしリクニが何も知らずにこの場面に居合わせたなら、あるいはよほど一人ぼっちにされたのが怖くてそうなってしまったのかと解釈を誤っただろう。
だがリクニは知っている。
ルーテシアがなぜ、その状態を誘発してしまったのか。
その真相を。
子どもたちを見に行くと行ってしまったアニタと別れたあと、遭遇したもう1人――鉢合わせた友人からすべてを聞いたからだ。
私のせいでごめんなさいと、彼女は泣いていた。
お願いリクニさんと、懸命に言い縋られた。
だからこそ今まで、死に物狂いで探していたのだ。
それでやっと遠目にその姿を捉えられたのがついさっきのことで、リクニは今ここに駆けつけることができている。
こんなことになるなら、やっぱり行かせなければよかった。
行かせるべきではなかった。結果論だとしても此処に来るまでそう、何度もリクニは思ってしまった。悔悟の念に駆られ、噛み潰した。
だけど、違う。
こうしていま彼女が無事でいてくれてるならばもう、1つでいい。
かけてやるべき言葉なんて、たった1つしかなくて。
だからリクニは送った。
そんなに小さな体をめいっぱい張ってまで、彼女を必死に護ろうとしてくれたルーテシアに。その勇気と功績を讃える、短いながらもありったけの賛辞を込めたその言葉を。
「本当に偉かったよ、ルゥ……。よく頑張ったね」
そしてそれは、全部終わった後でもう一度、直接彼女にかけてあげるべき言葉でもある。そのためにもあとは、自分がしっかりやるだけだ。
ケガ1つ負わせず、ルーテシアを正気に戻す。連れ帰る。
それさえ達成できれば、ぜんぶ円満のハッピーエンドで終われるのだから。
もしかしたら子ども扱いしないでって、また当人からはそっぽを向かれてしまうかもしれないけれど。それでも偉い偉いって、その形の良い頭をこれでもかと撫でて、よしよしと誉めそやしてやるために。
何よりそれが間に合わなかった自分にできる、唯一の埋め合わせなのだ。
なんで自分はいつも、肝心なところでこうなんだろうって。
不甲斐なくて、情けなくもなるけれど。
そんなの全部、後でいい。
あとで一人になってから、いくらでもできる。
だから――。
今はただ、すべきことを。
彼女のために、してやれることを。
「迎えに来たよ、ルゥ。帰ろう。もう少しだけ待ってて」
最後にそれだけを告げ、リクニは立てた二本指を中空に向かってかざす。
それを皮切りとして、声なき涙を流し続けるルーテシアの頭上に瞬く光点がポツポツと灯って。
「――いま、助けるから」
グランソニア城、リクニ&ルーテシア編 ー始ー




