9-26.「サンキューな」
まさか『ヘンゼル』を乗っ取られてしまうとは、予想外だったが――。
あひゃあひゃと聞くに堪えない笑い声に加え、ぬかったなこちらの敗因はどうだのこうだのと勝ち誇ったようにひけらかし、挙句にはおまえのやってきたことは全部ムダだったなどと好き勝手なことを散々宣ってくれる。
おまけに耳も塞げないので、最後まで聞き通すしかないなか。
リィゼルの心情を一言で表すなら、「うっせぇなコイツ」に尽きた。
考えごとが纏まらないのだ。
今とても大切で重大なことを考えているのに、このクソ老害が勝手に上がり込んだ人ん家からやいのやいのと、もう勝負はついたとも言いたげに高飛車になっている。
これがムカつかずにいられないのもそうだが、とにかく集中を阻害されて仕方がない。それでも無視していたら、何とか言ってみたらどうなのかと苛立ちの募った大声量が耳を劈いてくるから堪ったものではなかった。
どうやらすっかり逆転したつもりでいるらしいが。
「…………」
確かに他にやりようがなさそうなのも事実。
だからリィゼルは決めた。
その迷いに踏ん切りをつけることに。
へっと嘲笑をくれてやってから、ため息混じりに口を開く。
しゃあねぇか……。
その瞳に哀切を揺らして。
しゃあねぇよな……。
言い含めるようにもう一度、自分のなかにその答えを確かめて。
それからスリスリと擦るように触れたのは、いままさに自身の首を絞めあげている『ヘンゼル』の鉄腕だ。そしてリィゼルはぽつり、諦めたように口にした。その言葉を。
――ごめんな、と。
瞬間、響き渡ったのはリコッチの、これまたガラガラとけたたましいまでの笑い声だ。何を勘違いしているのか、どうやら彼はこちらが命乞いをしたとでも思ったらしい。
ごめん!? ごめんだと!?
今さらそんな一言で云云かんぬんとギャイギャイ騒がれる。
首を絞めつける力がいっそう強くなり、だらんとリィゼルは滑らせるように腕を垂らしたが。
それは演技だ。(苦しいのは事実だが。)
きっといま『ヘンゼル』内ではモニター越しに、苦悶に歪むこちらの顔つきをリコッチが食い入るように睨め付けていることだろう。
しかしだからこそ、死角になる。
モニター越しのリコッチからでは、補足できなかったはずだ。
リィゼルが垂らした指先をクイと、1本だけ曲げるようにして引き寄せたことに。
それを合図に『ヘンゼル』の背後、カチャリと立ち上がったのは魔動機群のなかで唯一、自壊プログラムを取りつけなかった番犬型だ。機体名は『レノボ』。
ちなみに――。
さっきリコッチは魔動機群の並外れたパワーについて魔石の運用がどうのと考察していたが、それは完全なる正答ではない。(どうだ見抜いてやったぞとも言いたげな高説をそれはもう自身満々に喚き散らしていた。)
魔動機が自壊していったのは、単にリィゼルがあらかじめそうなるように設計していたからだ。なにせもし自分が敗北したとき、それらがまた何者かの手によって悪用されたのでは笑い話にもならないから。
だからわざと魔石を使い潰すような高出力に設定したのである。
起動から一定時間が経つと自壊し、使い物にならない廃棄物となるように。
出力と引き換えにした代償と捉えてもべつに遜色はないが、そんな意図はとくになく、どうせならもののついでにというのが実情だった。
そして番犬型は唯一、魔動機群のなかでその仕様を取りつけなかった再利用型にして、万一のときに備えリィゼルの逃げ足として待機させてあった機体になる。
幸いまだ無事に残ってくれていたそれを今、指先の合図で呼びつけたのは、いよいよこの泥仕合に決着をつけるためだ。
――そしてもう1つ、リコッチの解釈には誤りがある。
ガラ空きだった『ヘンゼル』について、施錠くらいしておくんだったなと意気揚々、これまたクドクドとほざいていたが。
施錠はしなかったのではない。
できなかったのだ。
何度付け直してもゼノンに力づくで壊されるし、こんにゃろうと魔術式のに変えたら今度はルーテシアに浄化され、白紙に戻されてしまう。そんなこんなでもう嫌気が差して、付け替えていなかったから。
「入んなつっても無理やりあがり込んできやがるからよ、アイツら。それでもう、メンド臭くなっちまってな」
「なに……?」
とまぁ、そんな内輪話を彼に明かしたところで何のことかは分からないだろうし、おかげで強奪されてしまったのは実にオマヌケな展開だったと言わざるを得ないが。
問題はない。
いまそこが無施錠のガラ空き状態であることは、こちらにも利することだから。
「やれ、レノボ!」
いったい何事かと、リコッチが気付いたときにはもう遅い。
背後から飛び掛かったレノボはすでに『ヘンゼル』の内部に入り込んでいた。
先述した通り、レノボはあくまで逃走用だ。
戦闘力は皆無で、リコッチに直接差し向けたところで時間稼ぎにしかならないだろう。
だから狙いは、リコッチ自身の襲撃ではない。
まさかと慌てた声から察するに、どうやら彼も気づいたようだ。
レノボがその口に咥えている紅色の魔石、その存在に。
言うまでもないことだが――。
それはついさっきまで『グレーテル』の核だったもので、空間を押し広げ支えていたときの名残り――魔力場とも呼ぶべき残痕が、まだ僅かながらに付帯している一品だ。
また知っての通り、空間系の魔法はとても繊細で緻密な計算のうえに成り立つものであり、ほんの少しの衝撃が命取りになりかねない。さらに当然のことながら、『グレーテル』と同じように『ヘンゼル』にもその核部分は存在しているわけだが。
では、ここで問題。
それとこれとをカチョンといきなり、不用意極まる感じにぶつけ合わせたりしたら、どうなるか。
「いくらおまえみたいな三流でもよ、それくらいは分かんだろ」
「ま、さか……!? い、ぃやめろおおおおっ!??」
よくご存知のようで、何より。
そう答えは、本日2回目の――。
「食らいやがれ、クソ野郎」
――次元震。
◆
まさか1日に2度までも、『次元震』に巻き込まれる日がくるとは思わなかった。
うまく言えないけどとにかくボゥンとなってギュインとなって、巻き起こった押しのけられるような吸い込まれるような衝撃にこれでもかと揉まれ吹き飛ばされ、たちまち荒れ放題にして煤だらけとなってしまった室内。
その片隅――。
「けふっ」
バサバサと覆い被さった書籍をふるい落としながら、身を起こしたのは同じく煤だらけとなったリィゼルだ。
「あぁ、ひでぇ目にあった……」
物音1つない静かな部屋を見渡してから、そう心からのコメントを独り言ちる。あれだけの衝撃を間近に、目立ったケガもなく五体満足でいられている天運に感謝しながら手指をワキワキ。いったん問題なさそうなことを確かめてから、よいせと立ち上がろうとしたが。
「い……っ」
途中で痛みに呻いたのはさっき蹴り上げられたお腹(というか肋骨?)やら、今しがた吹き飛ばされた衝撃で思いっきりぶつけたらしい肩が激しく痛んだからになる。
ひとまず足をプラプラさせてみたところ骨折などはなさそうで、動けることには動けるが……。深く息を吸い込むと軋むように腹部の痛む、そんな体はなかなかに満身創痍と言えた。
だがそれも構わず、リィゼルは足を引きずるようにしてヨタヨタと歩き出す。差し当たって向かったのは、すぐそこで今なおひっくり返っている小柄な老人のもとだ。
床に転げてヘソ天バンザイ。
カヒカヒと痙攣している奇人、リコッチ・ファガスターは完全にグロッキーしていた。
まぁ無理もないだろう。
『グレーテル』と同じように、『ヘンゼル』にも緊急脱出装置は取り付けてあったが。
あれはとにかく、中にいる人間が空間の爆縮に巻き込まれないようにするためだけにある、安全性なんか度外視かつ二の次の代物だ。どこにどんな勢いで放り出されるかまでは保証されない、一か八かのギャグ仕様命綱である。
一度ならず二度までも、しかも数分と間を置かずに叩き付けられては老体にはいたく堪えたのだろう。でもおかげで、まだ終わってないぞ的なダルい展開は避けられそうだった。そのことを十全に確かめてから。
「ざまぁ見やがれ……」
ぼそり、最低限の捨てセリフを置き去って。
それからまた、リィゼルはヨタヨタと歩き出す。
向かったのは、そこに在ったもう1つの人影のもとだ。
人影と言っても、人ではないのだが。
「…………」
そのまえに足を止め、リィゼルは暫しその残骸を無言で見つめていた。
言わずもがなそこにあったのは爆心地となったフルメイル、『ヘンゼル』の機体である。
原型こそ留めてはいるが。
あちこちひしゃげ、ついには閉まらなくなってしまったハッチの奥にある空洞を見やれば、自ずと結論は出た。
「やっぱ、そうだよな……」
『ヘンゼル』はもう、完全に壊れてしまっていると。
分かっていたことだ。こうなることは。
できることならしたくはなくて、最後の最後まで迷ったけれど。
『しゃあねぇか……。しゃあねぇよな……』
リィゼルは決めた。
もうそうするしかなさそうだったから。
長年連れ添った愛用機と、ここで別れることを。
『ごめんな……』
だからその謝罪を最後の別れとし、次元震を誘発させて――。
もう二度と、『ヘンゼル』の再起動は叶わない。
慣れ親しんだあの場所には戻れない。
それはとても悲しくて、寂しいことだった。
でも、なんでだろうか。いまこの心は、とても静かなのだ。
とても静かで、落ち着いている。
やっとやるべきことを、この手で果たせたからだろうか。
最後はきっとこうすべきなのだと、心のどこかで薄々覚悟も決めていたからだろうか。
分からない。
分からないけれど。
悲しみより。寂しさより。
いまはただ感謝の気持ちの方が途方もなく、言い様もなく大きくて。
「あ、うぅ……」
ポタリ。
喉が震え、涙がこぼれる。
すっかり傷だらけになってしまったヘンゼルの装甲を、そっと撫でつけながら。
本当に傷だらけだ。
その1つ1つに思い出があって、思い入れがあって。
それがいくつも重なって、涙となって止めどなく溢れて。
――いつだったか。
アリシアに言われたことがある。
お世話になった品物にはお別れをするとき、最後に感謝を伝えるのだとかそんなことを。
何を言ってるんだこいつはと思った。
確かアリシアが折れた木の枝とか、ボロボロの絵本とか、使い古したリュックとか。
どう見てもゴミにしか見えないものを自分の宝物だと言い張って披露して、後生大事そうにしまい持っていたからそんな話になったのだと思うが。
はっ、バッカじゃねぇのと言い倒した。
物は物でしかない。無機物だ。
言葉なんか通じない。
意味ねぇだろとか貧乏性かよと散々に罵ってやったら、そういうことじゃなくてぇと抗議していたけれど。
でも今ならばそれも、ほんの少しだけ共感できる気がするのだ。
だからリィゼルは告げた。伝えた。
意味とかそんなの、どうでもよくて。
ただ自分が、そうしたいと思ったから。
「ごめんな……。最後がこんな仕打ちになっちまってよ」
涙ながらに再度、そう詫び入れたうえで。
「でも、おかけで助かった。今日までいろいろサンキューな、相棒」
使い古されたフルメイルに手を添え、持ちうるありったけの感謝と労いを込めて――。
「本当に、世話になった」
もう二度と動くことのない愛用機。
唯一無二の戦友にリィゼルはそう、伝えるのだった。
グランソニア城、リィゼル編 ー終ー




