2-6.「喰らい、蝕み」
やはり相容れないことを再確認したうえで、元も含めた2人の魔女狩りの衝突が始まる。
片や『喰らう者』(魔力で魔力を喰らい、己の糧とする力)と、
片や『蝕む者』(魔力で魔力を侵蝕し、打ち消す力)。
系統は違えど、互いに相手の力を奪って自身の領分とする者同士。
衝突すればどちらが優位なのかと、かつて魔女狩りたちのあいだにも数々の憶測が流れたものだ。そのついぞ実現しなかった対戦カードがいま、人知れぬ地下の大空間にて。
そして、その余波を受けてか――。
「うっ……」
傍ら、微睡の中から静かに目を覚ましたのは、ケインに捕らわれていた備蓄の一人だった。自分がまだ眠りのなかにいるのか、そうでないのか。その自覚も曖昧なままに、しばらくぼんやり眺めていたのは視線の先にあった土くれ色の地面。
「あれ、私は……何を……?」
していたんだっけ。
ひどくぼんやりした頭のなかで、少しずつ意識が浮上し始める。
やや遠巻きに奏でられる戦闘音を聞き取ったところで、霞む視界がようやく朧気ながらも輪郭を結んで。
「ッ…!?」
途端に覚醒し、振り上げるようにして顔をあげる。
たちまち彼女は、自分を取り巻く状況の様々な異常に気付くことになった。
まったくもって訳の分からない状況に。
「なに、これっ……!?」
まず、動けない。
顔と四肢を残し、体が土壁に埋もれているのだ。
脱出はおろか、身じろぎ1つ取れないような状態だった。
次に目のまえでは、とても強大な魔力の衝突が繰り広げられている。
「そうだ、その意気だよゼノン君! もっと、もっと踊ってくれたまえぇ!」
まるで指揮棒のように杖を振り、高らかな奇声をあげながら泥濘を操る。その声音の持ち主が良く見知った人物で、ようやく彼女は思い出した。あの男が何者で、直前に何があったかを。
魔女コード、『ヨルズ』。
その対処に向かうべく、自分は見つけたこの『岩谷の城』に潜入を試みたのだ。
同じように此処に向かったはずの仲間たちが、もう何人も帰ってこないままなのだと言う。だから細心の注意を払って臨んでいた。
ところが、そこに潜んでいたのは予測もしない人物だった。
手配書で何度も見かけていたから、今さら見間違えるはずもない。
『おやおや、今度はこれまた随分若い隊員さんが来たものだねぇ。一人で乗り込んでくるなんて、よほど実力に自信でもあったか、あるいは手柄でも欲しかったのかな? あっ、ところで僕のこと知ってる? 一応は君たちの先輩なんだけど』
ニコニコ笑顔で自分を指さしながら。
『魔力喰らい』、ケイン・ガストロノア。
それはかつて同胞にまで手をかけたという狂人。
追放されたまま、ずっと行方を眩ませていた狂気の魔女狩りだった。
『あはっ! その様子だとやっぱり知ってるみたいだね。いや参ったなぁ、僕もすっかり有名人になっちゃったよ~』
話なんかまともに通じるわけがない。
戦ったって勝負にもならない。
こんな化け物、どうしたら……!?
『さぁ、こっちにおいで。怖くないよ』
カチカチと歯を鳴らしながら、すくんだ足で後ずさる。
でもいまにして思えば、このときでさえまだケインは理性的だった。
それを知ることとなったのは。
『うん??? ちょっと待って、君ひょっとして、もしかしてだけど……』
『ひっ……』
『女の子じゃあないかッ!!?』
足を速めたケインがその気付きを得て、バッと快哉をあげた直後からだ。
パァと顔を輝かせ、ハァハァと呼気を上下させるようにしてケインは続ける。
待ってたんだ、このときをずっと待ってたんだよと。
『だって女の子って、すごい珍しいじゃないか! 知ってるだろう!? 僕たちの界隈で、君みたいな子がどんなに貴重か! しかもまさか、このタイミングで来てくれるだなんて……! 来てくれないかなって、丁度思ってたところだったんだ! 探してたんだよ! しかも若い、いいぞ! 今の僕にとって、これはとても大きな収穫だ! 夢にまた一歩、近づく!!』
何を言っているのか、分からない。
分からないまま、興奮冷めやらぬ様子でケインは続ける。
スゥ~っと鼻腔いっぱいに香りを吸い込み、ウットリと酔いしれるようにしながら。
『うん、うんうん……うんッ! 香りだって悪くない! 確かにまだまだ未完成、青さは否めないようだがなに、そこは僕が腕を振るおう! これから時間をかけて、ゆっくりと熟成させてあげようじゃないか! 旨味を最大限に引き立てて、君の才能を開花させてあげるよ! 僕の威信にかけてね! だから君は安心して、その身を僕に委ねてくれればいい! あぁ~、今から想像するだけで涎が零れちゃいそうだよぉ~!』
組み合わせた両手を頬にすり合わせ、火照らせるようにしながらそんなことを。まるで恋する乙女みたいに、体をくねらせる仕草がさらなる怖気と戦慄を掻き立てる。
『きっと甘くて、柔らかいんだろうなぁ~。想像してみてごらん。これから毎日、君から滲みだす味の深みが変わっていくんだ! 今日よりも明日、明日よりも明後日ってね! より芳醇で、味わい深く! たまらないなぁ~、日々の楽しみが増えるってものじゃないか。腕が鳴るよ! ――というわけで、今日からしばらくのディナーは君で決まりだ! 今夜は記念すべき、第1回目の試食会になる! あぁ、今から楽しみで仕方ないね!』
アハアハと焦点の定まらない瞳孔も、不自然なほど上を向いていて。
これではまるで、完全に気も触れてしまっているかのよう。
――やばい。
即座に身を引き、撤退を試みた。
でも太刀打ちできない。
経験も実力も何もかも、魔人の方がはるかに上だったからだ。
ギュルルンと伸びあがった泥濘に、たちまち退路を塞がれてしまって。
『今夜の君は、どんな味がするんだろうね?』
バチンと頭蓋のなかに鈍い打撃音が響く。
それが最後の記憶だった。
あれからどうなったのか。
此処がどこで、どれだけ時間が経っているのか。
分からない。
分からないけれど、もう1つだけ強く目を引く事実があった。
今まさにケインと交戦している人物。黒髪の彼にもまた見覚えがあることだ。
直接の面識はないけれど、魔女狩りで彼を知らない者はいない。
それくらいの有名人。
「ウソ……。なんであの人がここに……?」
考えている場合ではないと、そこで彼女は思考を断ち切った。
状況は悪いが、最悪ではない。
彼がいるのなら、あの魔人を打倒できる可能性は大いにある。
なんとかしてここを抜け出し、加勢に向かうのだ。
それができるのは、今この場に自分しかいないのだから。
杖に、指先でも触れることさえできれば。
その一心で彼女はどうにか身を捩ろうとした。
ところが次の瞬間、ギュルンとその指先に泥濘が絡みつく。
「え……?」
「やぁ、おはよう。グットタイミングで目覚めてくれたね」
パキンと、まるで小枝をへし折るみたいにあっけなく。
乾いた音とともに、その指先があらぬ方向に捻じ曲げられた。
「ちょうど小腹が空いてきたところだったんだ」
「ひっ……」
劈くかのような彼女の悲鳴が長く、大きく地下に響き渡って――。




