9-22.「一蓮托生」
長きに渡り行方を晦まし、魔女狩りの追跡さえもかわし続けてきた奇人――リコッチ・ファガスター。
彼がついに御用となりグランソニア城に収監されることとなったのは、遡ること数週間まえの出来事になる。そうなった要因として最も大きいのは直前に訪ねてきた旧友、アーガス・ゼルトマンの犯した失態だ。
なんだか一時は魔女狩りたちに追われて大変だったみたいな苦労話をされて、そうかそうかと膝を叩いて笑っていたりもしたが、とんでもない。アーガスはバッチリ跡を付けられていたのである。
気付いたときにはもう手遅れで、彼らによる包囲網もすでに完成していた。
「どうしてくれるんだ、アーガス貴様ぁ! 何が撒いてきただ!? おまえのせいで連中が此処を突き止めてしまったぞ!? もう、すぐそこまで来ている! このままでは私まで……!」
「す、すまん! まさかまだ振り切れていなかったとは……! だが安心しろ、使える手駒ならまだある! 私とおまえが手を組めば、あんな奴らものの数ではない! そうだろう!?」
慌てた様子で言いながら、アーガスがジャラジャラと取り出したのはいくつもの黒い球体だ。それらはかつてリコッチがアーガスのために手掛けてやった魔道具、名付けて『魔獣ボール』である。
使い捨ての一品ではあるが、アーガスが支配下に置いた魔獣を一時的に異空に閉じ込め、いつでも呼び出せるようにとくれてやったリコッチきっての発明品だ。
だがそんなものを見せられたところで慰みにもならない。
なにせ今回、遠路はるばるアーガスがやってきたのは、以前大量にくれてやったはずのストックが尽きて補充するためなのだから。それがこんな顛末を招いたというなら、なんてハタ迷惑な話だろう。
だがここで言い争っても仕方なく、今はともかくと動き出す。
吹き荒れる風雨のなか、持つべきは友、自分たちは一蓮托生など都合の良いことばかり言い並べられたときは、さすがに殴りつけたくもなったが――。
そして一時だけなら、光明も見えたのだ。
リコッチがそのとき身を隠していたのは、まともな人間が踏み込めばまず命のないとされる禁足域――魔海に介する沿岸付近である。
つまりさっきアーガスが言ったところの手駒を現地調達しやすい、恰好の狩場と言えた。長首を揺らす見上げるほど巨躯のある水棲魔獣の群れを、ステッキの一振りでアーガスは次々と従えていく。
さすがは聞きしに及ぶゼルトマン卿と言ったところかと。
迷惑を被った立場とはいえ、このときばかりはふむりと関心させられもしたが。
だが想定外の事態に見舞われたのは、その直後のことになる。
これならばあるいはと懐柔した魔獣たちとともに、荒ぶる海を背景に行進を始めたリコッチたちだったが。ピシャリゴロンとひときわ大きな雷鳴が迸ったかと思えば、まさかだった。
「よぉ、リコッチってのはテメェか……?」
唸る野獣のように、低くくぐもった声音で被ったのは唐突な名指しだ。
んっ?と伏せていた顔をあげてなお、受け入れられない。
数秒。十数秒。
いやあるいは、もっとずっと長かったのかもしれない。
だが何度見しようとも、理解など到底及ばなかった。
受け入れられるはずもない。
そんな悪夢のような光景が、まさか現実であるだなんて。
「…………ひぃッ!?」
魔女狩りの頂点、リリーラ・グランソニアが何故そこに……?
◆
まさか夢にも思わなかったリリーラ・グランソニア直々のお出ましにより、リコッチはほぼ為す術もなく御用となる。
このまま捕まるくらいならいっそと最後は『グレーテル』も乗り捨て、単身で逃げ出そうとした。奥の手に取っておいた魔道具(それもかつてリィゼルにそれとなく造らせた一品)を起動して気配を消し、どうにかその場からの離脱を図ったが。
間に合わなかった。
むんずとリリーラの手に捕まれ、遠ざかっていく地上にポロリとそれを取りこぼしてしまう。そしてあろうことか、それが地上にいたアーガスの手に渡り――。
瞬間、リコッチは見た。
まるで女神の祝福を受け入れるかのように、両手を天に掲げるアーガス。
その涙ぐんだ面構えがファアーと、あたかも光に包まれるようになっていたのを。
顔に書いてあった。
あぁ神よ感謝いたしますぅまだ私をお見捨てになってはいなかったのですねと、それはもうぶん殴ってやりたくなるほどに。
あってはならない。許せるものか。
誰のせいでこうなったと。
戦犯であるアーガスだけがこのまま逃げおおせるだなんて。
「グレーテルッ!!! そいつを連れて来ぃいッ!!!」
「なにぃッ!?」
道連れにしてやった。
使ったのは例の『魔獣ボール』だ。
遠隔操作したグレーテルにアーガスを拾ってこさせ、持っていたそれのなかにグレーテルごと閉じ込めたのである。間もなくリリーラは現れたときと同じく迅雷のスピードでグランソニア城に帰還したわけだが。
それは同時にアーガス・ゼルトマンという魔人を野放しに、自身のテリトリー内に招き入れてしまった瞬間でもあった。ガタガタと身を震わせ、言うとおりにする逆らわんと命乞いをする一方で、してやったり。リコッチは影でほくそ笑む。
こうなってはもはや万事休す。
自分の収監は免れないだろうが。
首の皮一枚とはいえ、どうにか希望を繋ぐことに成功したからだ。あるいはアーガスが脱獄の手引きをしてくれるなら、また自由の身となれる可能性もゼロではない。
そこはもう賭けるしかなかった。
あとは頼んだぞ友よ、どうにか上手いことやってくれと。
だがケタケタと隠れて笑っていた理由はもう1つ。
いやむしろ、こちらの方が本音に近いかもしれない。
そう。
つい先刻、「一蓮托生」などと宣わられたその言葉通り。
――すまんな、友よ。
しかし、ざまを見ろだ。
まんまと道連れにしてやったことによる、仄暗い達成感からだった。
◆
それからの半月足らず、アーガスがこのグランソニア城で何をどう過ごしていたのか。詳しい経緯をリコッチは知らない。
きっともう知ることもない。
ついさっき彼がどこからともなく現れたときはいたく驚いたし、今がチャンスだぞ待たせて済まなかったななどと、ややギスギスした感じに受け取った言葉もどこまで本当か、実に胡散臭かったが。
いずれにせよ次に再会したとき、彼はゴキブリよろしく叩き潰されていたのだから。今ならあのリリーラ・グランソニアをも懐柔できると彼が逸っていたときは、まさかそんなことがと浪漫も覚えてしまったが。
やはり眉唾だったのである。
彼が従えていたカメレオン型の魔獣の口からオエッと吐き出された唾液塗れの『グレーテル』、その再起動がやっと終わり、ようやく追いついたというのに。結果だけみれば、ただイタズラに時間を浪費しただけだった。
とても残念に思う。
時が経てば今回のことだって笑い話に、また盃を酌み交わせたかもしれないのに。どうやらゼルトマン卿の悪運もここに尽きてしまったようだ。
また会おう、友よ。
せめてその言葉を手向けとし、その場を後にするリコッチだった。
ちなみに何やら見覚えのある鉄くずがそこに居合わせていたのは、その時点でリコッチも気づいていたことになるが。
構っている時間なんてないのでスルーした。
見逃してやったのだ。
それがまさか、こんなところに。
アーガスの話が本当ならきっと城のどこかにあるはずと探していた裂け目のまえで、門番よろしく立ち塞がってくるとは思わなかったが。
そんなガラクタで何ができるというのか。
歩兵が戦車に挑むも同然の戦力差があまりに不憫で、リコッチは『グレーテル』内でヒィヒィと笑う。弾みで滑った操作盤――ピアノの鍵盤がパラピロポンとおかしな旋律を奏でてしまったがともかく、腹を抱えて足をバタバタさせた。
ところが、何を思ったか。
次の瞬間、なんとリィゼルが機体の外に生身で飛び出して来たではないか。
いったい何をしているのかと、大いに首を傾げたものだが。
「ぶっ壊されんのはテメェの方なんだからなッ!!!」
散りばめられた球体の1つ1つから、バリバリと凄まじい光が迸る。
かくして出現した無数の魔動機たちにより、瞬く間にリコッチは劣勢に。
あるはずのない番狂せへと追い込まれていくのだった。