2-5.「2人の魔女狩り」
ケイン・ガストロノア。
それは久しく耳にしていなかった、かつての同僚の名になる。
馴れ馴れしい奴は嫌いだ。
だから初めて顔を合わせた時点で彼に抱いた印象も、まぁ控え目にいって最悪だった。
『やぁやぁ、お噂はかねがね。君がゼノン君だね?』
なんで自己紹介した覚えもない相手から、いきなりクン付けで呼ばわれなくてはならないのか。
そいつが誰で、周りからどういう評価を受けている奴かも大体は知っていた。
上からは気に入られ、下からは慕われる八方美人の万能タイプ。
誰にも人当たりがよくて、リーダーシップもそこそこ取れると一番の出世株らしいが。
まったく、関わり合いにもなりたくない。
接触してきた理由も大体、察しはつくのだ。
当時――ゼノンが魔女狩りになりたてて間もないころ、なんだか妙なウワサが立っていたから。
ゼノンとケイン。
見ようによっては相反する、とも言えるかもしれない2つの魔法性質がもし本気でぶつかり合ったら、いったいどちらが勝るのかと。
だが、だから何だというのか。
外野どもの立てた勝手な下馬評に、わざわざ付き合ってやる道理もない。
普通に無視した。
それからも何度か、話しかけられることくらいはあったかもしれない。
だがその悉くを、適当に短い返事だけ並べて終わらせてやって。
なんというか、きな臭かったのである。
上辺だけ取り繕ったような薄っぺらさが、どうにも鼻につくような奴だった。
だが今にして思えば。
それは勘違いでもなんでもなかったというわけだ。
結局、一緒に行動することもなかったから、関係と呼べるのはそうやって言葉を交わした数回きりだけど。
まさかそれが、こんな形で再会することになろうとは。
「よぉ待たせたな」
「……あぁ、やっぱり君か。もしかしたら、そうじゃないかって思ってたんだ。なにせ、そんなにいないはずだからね」
分かりやすくコツコツと靴音を響かせてやると、薄闇の向こうから聞き覚えのある声で返答がある。かすかな魔力の気配とともに、徐々に照らし出されたのは地下に広がっていた大空間。
やけに偉そうなところに設置された座椅子で頬杖、足を組み。
優雅に腰かけながら、こちらを見下ろすマントの男がそこにいた。
「こんな広い範囲を、一手に包囲できちゃう奴なんてさ」
まるで挑戦者を待っていたかのような、余裕しゃくしゃくの笑み。
やけに板についたその表情が、以前とはまた違った意味で鼻につく。
こうして本性を現しても欠片の懇意も湧いてこない辺り、やはり相容れないところは変わらないようだけれど。
ちなみにケインが言っているのは、この辺り一帯に張り巡らせておいた『鎖』の包囲網のことだろう。ケイン捕縛のため、いま本部からはほかの魔女狩りたちが向かってきているはずだ。つまりケインがその手を逃れるには、まず自分を突破するしかないというわけで。
「悪ぃな。ちょこまかされると面倒だったからよ」
「いやいや、ご心配には及ばないよ。僕だって、君がその気だと分かったから安心してここで待っていられたわけだしね。わざわざ出向いてきたってことは、遊ぶくらいの時間はあるってことなんだろう?」
さすがに元魔女狩りだけあって、その辺りは見通されているようだ。
だが構わない。こちらとて援軍など、端からあてにしてはいないのだから。
するとケインは「よいしょ」と、呑気な仕草で立ち上がる。
パンパンと膝を払ってから腰を捻り、ゆっくりと辺りを見回して。
「にしても残念だなぁ。なかなか住み心地もよくて気に入ってたのに、此処。またお引越しだよ」
名残惜しそうに、やれやれ首を横に振りながらそんなことを言う。
ところで――。
傍らの壁面には、実に趣味の悪い造形が施されていた。
人だ。人間が土壁に埋まっている。
生きているのか、そうでないのかもわからない血の気も失せた表情で、ピクリとも動かず。
それも一人や二人ではなかった。
「ここに向かった連中が帰ってこないって話だったが。その答えがこれか」
「そうだよ。いやね、実を言うとここの元の家主はそんなに強くないんだ。物を浮かせることくらいしか取り柄がなくてね。放っておくと彼らにもあっさり負けてしまうんだよ」
気づいてもらえたことをさも嬉しそうに、にまりと薄笑みを浮かべながらケインは続ける。
「でもそれだと僕が困るんだ。だって彼女はもう、僕にとって日々の大切なメインディッシュだからね。たとえば目の前のお皿に大好物が盛られてたとして、それをいきなり横取りなんかされたら誰だって怒るだろう? それと一緒さ、いくら温厚な僕だって黙ってるわけにはいかないよ。――とはいえ、近ごろ別の悩みもあってね。いや、これはさすがに君も共感を得られることとは思うが……」
するとそこでこめかみに指を宛てながら、悩ましげに首を横ふりして。
「どんなに美味しい一品も、やっぱり毎日食べてると飽きてしまうんだ。だから一応ね、途中からここに来た子たちはみんなストックすることにしてるのさ。多少、味は劣っても彼らもれっきとした魔女狩りの卵たち。食って食えないことはない。間食か、最悪でも非常食くらいにはなるだろう? 日持ちも良いしね。まぁ僕の美学というものには反するが、そこは仕方ないと割り切ってるよ。なにせ今や僕も追われる身だ、万が一ってこともあるかもしれない。だからその備えに、いくつかの貯蔵庫に分けてみんな保管してあるわけだけれど」
身振り手振りを合わせて、高らかに。
まるで自分の得意分野のジャンルになって、話が止まらなくなってしまった子どもみたいに、聞いてもいないことをベラベラと。
それは人間を食材に見立てた、ケイン独自の『美食学』だった。
「――そう、ここにいるのはその中でも僕の見初めた、選りすぐりのエリート。最高ランクの一級品たちさ。いわばここは僕の仕立てた自慢のワインセラーみたいなものでね。いつか誰かに見てもらいたくて、ずっとウズウズしてたんだ。たとえばそう、そこの彼女なんかは今朝捕まえたばかりで味見もまだなんだけど、たぶん僕好みだと思うんだよねぇ。すごいよねぇ、まだ若いのに実力もあって。そんなに強くなかったから、たぶん補佐の子なんだと思うけど。まぁともかく、魔女狩りたちの未来は明るいってわけだっ!」
それも途中から支離滅裂になって、最後は一人で諸手を天に掲げているような始末だった。まったくもって、常軌を逸している。気が触れているとしか言いようのない狂人の姿がそこにあって。
「ったく、相変わらず気色悪ぃ奴だ。ワインセラー? 蜜蠟の間違いだろうが、害虫野郎」
「ははっ、人様を虫呼ばわりかい? まるでどっかの誰かさんみたいじゃあないか。でもまぁいいさ、理解など最初から求めてないからね。この境地に達することのできる人間がほんの一握りしかいないことは、もう身に染みて分かってるよ。僕もとっくに諦めてるさ。相手が君なら尚さらね。……いやしかし、本音を言えばショックだな。あるいは君となら分かち合えるのではないか。そう思っていた時期も、確かにあったから。だってそうだろう? 昔はよく言われてたじゃないか」
すると、やや沈黙を挟んでから彼は言う。
ベロりと舌なめずりをしながら、悪辣な表情で。
「もしかして僕たちは、とても似た者同士なんじゃないかって」
「テメェなんざと一緒にすんじゃねぇよ。食通気取りのクソ偏食家が」
しかし、その誘いをゼノンは即座に切り捨てた。
冗談ではない。一緒にされることなんて、考えるだに虫唾が奔る。
やはり時間のムダだったのだ。
これ以上こいつと言葉を交わしたところで、得るものはなにもない。
気分が悪くなるだけだと、そう断じて。
「心外だなぁ、僕はこれでも美食家のつもりなのに。むしろ君の方が」
「これ以上、無駄話に付き合う気はねぇぞ。『魔力喰らい』」
その苛立ちのままに牙を剥いたゼノンから、たちまち魔力が溢れ出す。
増大していくその気配に、ケインもまた首振りをしながら嘆いた。
相変わらずだった気の短さや、食えたものではない魔力の質もそうだが、何より。
「懐かしい呼び名だが――。やれやれ、哀しいね。君を見ているとつくづくそう思うよ。まるで、そうだな。せっかく振るまってやった手料理を目のまえでボトボト、ゴミ箱に捨てられてるような気分になる。それがどんなに罪深いことか、君は理解しているのかい? なぁ、『侵蝕』……。いや――」
興ざめとはこのこと。
まったくもって度し難いと、下劣な輩に向けてそうするように。
諦観と蔑みの眼差しをもって、彼への意趣返しとするのだった。
「――『魔封じの呪鎖使い』」




