9-11.「てんてこ舞い」
地下に収容されていたはずの囚人たちが脱走した。
そのことにイチ早く気付いたのがあのとき、負傷のライカンを背負って無限回廊を引き返すハメとなっていたルーシエである。実に忙しかった。
リリーラ戦では彼女から下されたチョップにより撃沈させられ、4人のなかで真っ先にリタイア。どうやら1人だけダウンしていたらしいところ、おいいつまで寝てやがんだ起きろとリオナから蹴り起こされる。
その時点でリオナも、とても万全とは言い難い有様だったが……。
ともかく今からでもリリーラを追いかけるから、乗せてけと親指をグイされた。
当初の作戦ではリオナとルーシエがアタッカーで、アニタとジーラがサポートに徹し、なるべく多くの時間を稼ぐ手筈でいたのだ。誰も責めやしなかったが、その目標タイムを大きく下回ってしまったのは自分の失態によるところが大きいのは言うまでもない。
消耗も一番少なかったので、せめてその分を取り返そうと「合点承知の助!」と飛ばしたわけだ。結局それも途中で負傷のライカンを見つけ、また自分だけ引き返すハメになってしまったけれど。
あの子なら無事に受け渡せたとか、古傷が開いてしまってなとか。
回収したときにはまだギリギリ意識はあって、呻くように笑っていたライカンだが、彼も決して軽症とは言えなかった。
痕跡からしても、相当にリリーラを手こずらせたらしいことは見て取れたが。
それでも腹部からの出血以外に目立った傷がなかったのは、さしものリリーラも幼馴染みの父親を怒り任せに叩き潰してしまうほど冷静さを欠いてはいなかったからだろう。
「もうちょいの辛抱っすよ、オジジ! いまミルっちんとこ連れてくっすからね~!」
途中で気を失ってしまったか、返事こそなかったが。
「がんばったっすね、ミルっちパパ」
そう労いの言葉をかけてやった、矢先のことである。
どへぇとなった。
いったい何が起きたのか、一瞬ならずサッパリだ。
いきなりグニャンと視界が歪んだかと思ったら次の瞬間、後方から何かが急速に迫ってくる感じがして。
ふり返る間もなく、気付けばそこは無限回廊の外。
見晴らしのよい、柔らかな芝の上にトンと足を付く。
「――へっ?」
ライカンを背負ったまま、城のぜんぜん違う地点に飛ばされていたのだから。
◆
おそらくは何らかの理由で無限回廊が崩壊し、その内部や付近にいた人が軒並み、城域のあちこちに飛ばされる形となったのではないか。
ふむりと考え込んだ末、そんな尤もらしい推論を立てたのが最初に合流を果たせたジーラだった。とにかく近くに誰かいないかとウサ耳をピョコピョコ澄まさせたところ、差し当たって彼女の発見に至ったわけだが。
すなわち彼女の推測を正とするなら、さっき歪んで見えたのは視界ではなく、空間そのものであったとのことで。
「でも何かってなんすか? 無限回廊そのものを壊すのは厳しいだろうみたいなこと、こないだテグっさんも言ってたっすよね? だからアリっち連れ出すんなら、走破するしかないって話だったはずじゃ」
「そのはずだけど……。ところでルーシエ、中にいた君たちは気付いたかい? ついさっき、おそらくだがグランソニア城を覆っていた結界が」
「あ、そっすよ! それリオっちとも話してたんすけど、消えたっすよね!?」
「やっぱりそうか……」
ジーラが指摘したことは確かに、ルーシエたちも回廊の内部から感じ取ったことだった。グランソニア城にはその役割を鑑みて、城全体を覆うように不可視のバリアが張られている。
それは第一に主人であるリリーラの許可なしに、魔女や男の子が無断で出入りするのを防ぐものであり、第二に空間系の魔法や魔道具を起動できないようにするためのものだった。
城塞に備わったあらゆる機能は、主人であるリリーラの意識とリンクしているものだ。それが何より安全で確実だからと、そうなっていたのだが。
ジーラは言う。
その結界さえなければ、確かにやりようはあるのだと。
「でも分からないのは、どうしてその結界がなくなったのかだ。それってつまりリリーラさんが意図的に解いたか、意識を失ったってことになるんだけど……」
「いやいや、ジラっち。リリっちがケーオーされるとか、そんなことあるわけないじゃないっすか」
「では前者かい? 何のために?」
「そりゃあアッシに聞かれてもっすけど……。あっ、もしかしてテグっさんじゃないすか? あの人ならワンちゃん、うまいこと」
「いや、それだと順番がおかしい。結界が健在である限り、テグシーさんは中に入ってこれないからね。彼女じゃないよ。それに直前に感じたとても大きな魔力の気配、あれは確かに……。いやしかし、いくら何でも……」
ジーラはとても頭が良い。
だからその先の彼女のブツブツは、ルーシエにはよく分からなかった。
ともかくジーラがここにいたということは、アニタも近くにいるかもしれない。
そう思って、また耳をピョコピョコと周囲の音を探ったときである。
ん……?と。
ふとした違和感からピトリ、伏せの体勢を取って芝に耳を垂らしたのだが。
「――え?」
急げ急げと地下から駆け上がってくる幾人もの足音と、囚人らの声を聴き取ったのは。
――かくして現在に至るわけだ。
囚人たちが逃げ出しているかもしれない。
いやそうとしか考えられないってかマジやべぇっす緊急事態っすよこれぇ!とジーラに伝え、ルーシエが猛ダッシュで向かったのがこの正門だった。
牢獄エリアから見てそこが一番近い出口だし、まず彼らが押し寄せるとしたらそこだろうと考えたのだ。しかも悪いことに、無限回廊はいまその機能を失い、そこに居合わせた魔女も魔女狩りも軒並み吹っ飛んでいる。
ガラ空きもいいところなのだ。
位置的にも、自分の足でなければ間に合わなくて。
それで駆けつけてみれば、案の定である。
なぜ彼らが自由の身となっているのかと、その辺りはサッパリだったが。
「へいさーせん、ちょっち戻ってもらっていいすかね?」
ひとまずニハっと笑顔でバコン。
先頭走者の顔面から、振り抜いたハンマーで打ち返したのだった。