2-4.「苦手なものってあるじゃないですか」
私は思う。
人は誰しも、どうしても苦手なものとか、なかなか克服できない事柄とか、何かしら1つは抱えているものだと。
そうたとえば食べ物とか、人間関係とかだ。
もちろんそれは人によって様々だし、ちょっとした工夫や心の持ちようで乗り越えられるものだってあるかもしれない。
何事も、こちらから歩み寄る努力をすることは大切だ。
そこはすごく共感できるし、事あるごとに孤児院のちびっ子たちにもそう説いてきた。お姉さんぶって腰に手をあてがいながら、食べず嫌いはいけませんよと。
だけど、それでもダメなケースというのは絶対にあるのだ。
人にはどうしても、克服できない苦手というものがある。
つまり、何が言いたいのかというと――。
「雷とか、暗いのとか、独りぼっちとか……!」
青ざめ口早になりながら、自分にとってのそれを指折り数えていく私だった。
それすなわち、弁明である。
ここで待ってろ絶対に動くなよと用命をどうして守れなかったのか。
心臓バクバク、気が気でないまま、私は必死にその所以を挙げ連ねていた。
――で。
その勢いがもう一方の手に進出したあたりで急に冷静になり、恥ずかしくなる。
言おうか迷ったが、こうなった以上はもう白状するしかない。
「あとはその、オバケ……とか」
消え入るように最後の指を折ってからたちまち赤面し、しょぼんとなった。
その頃にはもうゼノンさんは、実に頭の痛そうな顔つきとなっていて。
「じゃあつまりあれか、おまえ。雷が怖くって、堪らず中に飛び込んできたってことか?」
「はい……。そしたら中も暗くて、なんかオバケとか出てきそうだなと思ったら動けなくなっちゃって……。せめてそこで待ってようと思ったんですけど、また雷が」
「どういう連鎖反応だよ。自分で呼んでんだろうが、ったく」
「え、私? 私がなんですか?」
「……いい、こっちの話だ」
「……?」
何か言われたような気がするけれど、よく分からなかった。
ところで窓を見れば、いつの間にか悪天候や雷も収まってきている。
さっきまであんなに荒れていたのに。
もう、とお天道様の気まぐれを少し理不尽にも思った。
「まぁ丁度よかったけどな。拾いに行こうとしてたとこだからよ。――行くぞ」
「え、行くってどこにですか……? あれ、その人って」
すると倒れていた女の人をおぶり、なぜか奥へと進んでいくゼノンさんだった。
ひょっとして、あの人が魔女さんなのだろうか?
でもそれなら、どうしてまだ奥に……?
出口はあっちなのに。
「おい、ぼさっとすんな。置いてくぞ」
「あ、はい……!」
よく分からないまま、トタトタと後に続く私だった。
◇
それから私たちが向かったのは建物の地下だ。
狭い空間にコツコツと靴音を響かせながら、石造りの階段を下りていく。
やがてそれが終わると、現れたのは長い通路とその先に構えられた大きな鉄扉。
「あそこだな」
そこでゼノンさんはずっと負ぶっていた魔女、『ヨルズ』さんを下ろす。
あくまでそれは魔女コードだそうなので、本名も分からないからそう呼ばせてもらっているだけだけれど。
「こいつを頼むぞ。まだしばらくは意識も戻らないと思うが」
ヨルズさんの体を丁重に寝かせると、ゼノンさんは私たちに手のひらを向けて。
――ガコン! すると物々しい物音とともに現れたのは大きな黒鉄の檻だった。
それは私たち2人をすっぽり頭上まで覆ってしまうが、立てるくらい大きいので閉塞感もあまりない。
「たぶん大丈夫とは思うが……。念には念を入れておくか」
さらにもうひと手間を加えると、ヨルズさんには追加で鎖の手錠が。
意識もないし、ケガもしているのに申し訳ないけれど。きっと私が不安にならないようにやってくれているのだろうとはすぐに分かって。
「よし、こんなもんか。でだ、いいかおまえ」
そうしてこれで残すはとばかりに、実に信用のなさそうなジト目が私に送られる。
ひいてはビシっと指を突きつけられて。
「今度はぜったいに、ここから動くなよ?」
そんなご注意を受けてしまった。
前科持ちなので仕方ないが、この状況では苦笑いするしかない。
「はい、今度は大丈夫ですよ。だって動こうにも動けないですしね、これじゃあ」
「ったく。手間かけさせんなよ」
「すみません……。でも、これなら猛獣が襲ってきても壊れなさそうですし、怖くないです。ありがとうございます」
それでも「本当か、こいつ」と言わんばかりに胡散臭そうな視線を向けられてしまえば、にへっとスマイルで応じるしかなかったが。やがて諦めたようにため息をつかれて。
「まぁいい、じゃあ行ってくるからな。さっき言ったこと忘れんなよ」
「ちなみにゼノンさん、どれくらいで帰ってくるご予定でしょう?」
「……まさかトイレ行きたいってんじゃねぇだろうな?」
「ちっ、違いますよっ!?」
あんまりな誤解に、ガンと黒鉄を打つ勢いで否定する。
いろいろ心配だったから聞きたかっただけなのにー!
「そうだな、まぁそんなにかからねぇとは思うが。どの道、本部にはもう連絡してある。もし俺に何かあったら、そいつらにはおまえから事情を話しといてくれ」
「えっ、ゼノンさん!? それってどういう……!?」
「頼んだぞー」
ゼノンさぁぁん!
檻をガタつかせる私の叫びも虚しく、後ろ手をぶらぶら振りながらゼノンさんは行ってしまった。どこまで本気なのか分からないまま、その背中が遠ざかっていく。
――ところで。
これは、さっきゼノンさんから聞いた話だけれど。
ケイン・ガストロノア。
ゼノンさんによると、それがこの先に待ち構えているだろう人物の名前とのことだ。
なぜ分かったのかと言えば、その人はかつてゼノンさんの同僚だった人だから。
つまるところ、ケインさんも魔女狩りということになる。
ただし、もとだ。
少しまえにケインさんは魔女狩りを追放されたらしい。
その原因は、彼が『魔女を狩る』という行為そのものに愉悦を覚えてしまったからになる。
なんでもケインさんは『魔力を食べてしまう』ことができるそうだ。
そして食べたものは当然、消化される。自分の力として還元できる。
だからまさに魔女狩りにはうってつけと言える性質の持ち主だった。
それだけに周囲からの期待や人望も厚かったようだが――。
結果として、その力が彼に道を踏み外させてしまった。
魔力を食べたいと欲求への歯止めが、徐々に効かなくなってしまったのだ。
少しずつ、彼が不安定になっていることに周りの誰も気付かなかった。
気さくで、人当たりのよい今まで通りの自分を演じる裏で、ケインさんの『味わい』への探求は続いていた。
そうして、ついに発見してしまうことになる。
魔女は強い不安や恐怖を与えたときほど、より芳醇で味わい深い魔力が滲み出すことを。そうと分かってから、『魔女狩り』という行為は彼にとって最高の快楽となった。
だがそれでも、満たされない。満腹には程遠い。
通常の魔女狩りとしての活動だけでは、この飽き足らない食欲を、空腹感を満たすことなんて到底できやしない。だから密かに何人もの魔女や、ときには同じ魔女狩りさえも生け捕りにし、拷問にかけて――。
そして、そのすべてが明るみに出たとき、彼はすでに姿を眩ませていた。魔女狩りたちもずっと、その行方を追っていたそうだが。
やはり魔女狩りを追放された今でも、彼は人知れず魔女狩りを続けていたのだろう。
「ひどい……」
横たわるヨルズさんの体には、いたるところに傷があった。
痣やなます切りにあったような切り傷がいくつも、時間の経ったものから真新しいものまで数えきれないほどに。着衣の内側にまで……。
魔力の捕食行為は一種の催眠効果も誘発する。
ほとんど精神的にも支配され、逃げることもできなかったのだろうとはゼノンさんの見立てだった。
ここでたった一人、逃げることもできずに。
それはどんなに怖かったことだろう。
どんなに苦しかったことだろう。
そのとき『ヨルズ』さんが小さく呻いた。
目を覚ますかと思ったけれど、また眠ってしまって。
「もう大丈夫です。大丈夫ですからね、きっと……」
手を伸ばし、そのきれいな黒髪をそっと梳いてやる。
できることは、ただ手を組み合わせ願うだけだった。
遠ざかっていくその背中に、どうか無事の帰還をと。
そしてゼノンさんが近づいていくと、まるで迎え入れるかのように重たい鉄扉が開かれて――。




