9-2.「魔人たち」
巻き起こった次元震により、あのとき無限回廊に居合わせた人々のほとんどが今、このグランソニア城領域内のあちこちでバラ撒きにあっているような状態にある。
それが当初、リィゼルの立てた見解だ。
もっと言えば、それのみだった。
だからルーテシアを探しに行ってくると出ていったアリシアのことも、べつに放っておいてもそのうち見つかるだろうがと思いながら気軽に見送ったのだが。
――違った。
いまこのグランソニア城で起きていることの全容はまったく、そんな生半可な事態にない。もっと深刻で、よほどまずいことが起きている。
そうと分かったのはついさっき。
『おっいたいた。おーい、こっちだこっちー。なんか妙なのも一緒だけど』
『なに、妙なのだと? ――なっ、貴様は!?』
何食わぬ顔で奴らが部屋に入って来たときのことだ。
思考が停滞して、まともに声も出せなかったが。
確定だ。
あんな奴らがあそこで自由にほっつき歩いていた以上、それしか考えられない。
とにかく今は一刻も早くアリシアを探さなければと、現場から離脱するなり入り組んだ通路を駆け抜けるリィゼルだった。声なんかなるべくあげたくないが、そうするより他になくアリシアの名を呼び求める。
いったいどこに行ったのかと。
そのときだ。
「おい待て、ウィンリィ! 一人で動くなっ!」
グルルと低く喉を鳴らすなり、フルメイルの腕で抱えていた手負いのワンコが懐から飛び出してしまったのは。ちょくちょく大きさが変わるので何かの魔獣だろうとは思っていたが、まさか光狼獣とは思わなかった。
そんなウィンリィが小から中にサイズを変化させるなり、回廊の角を勢いよく曲がって姿を消してしまったのである。もう立ち上がることだって苦しいだろうに、そうまで足を急がせ何に反応を示したというのか。
思い当たる答えは1つしかない。
同時のことだった。
「おい、アリシアッ!」
追従し、ヘンゼルの身で回廊を曲がったリィゼルが、通路にへたり込むようにして座り込んでいる彼女――アリシア・アリステリアを視界に捉えるのと。ガルルと牙を剥き、唸りをあげながら、その場に居合わせていた何者かにウィンリィが襲い掛かったのは。
たったいまアリシアの身に危険が迫っていて、ウィンリィが寸でのところでそれを食い止めた。すかさずと駆け寄り、ひとまずと無事を確かめられた彼女の怯えた顔付きからしても、それは明白なことになる。
「リィ、ゼルちゃん……?」
「なんだ……!? どうしたんだよ、おまえ……!?」
だが、それにしたって様子がおかしかった。
顔を青ざめさせ、体を小刻みに震わせながら浅い呼吸を繰り返しているアリシアの様子は、見るからに尋常ではない。ひどく取り乱している。
だが今はともかくと、その体を抱えあげようとして。
ところが今度、キャンと掠れた鳴き声が届いたのは前方からだ。
「なっ……!?」
目を疑ったのは、ついさっきウィンリィが飛び掛かり、その尖牙の餌食とされていたはずの男が。いつの間にか立ち上がり、逆にウィンリィの首を片手で掴んで持ち上げていたからになる。
「邪魔を、するな……。獣、風情が……。これまで私がどれほど……。やっと……」
焦点の合わない双眸を揺らめかせ、片言のように呟きながら。
男がギリギリと、ウィンリィの首を握力だけで締め上げていくのだ。
ウィンリィが突き立てた牙は間違いなく、男の服を鮮血で濡らしているというのに。
いったいどこに、まだそんな力が残っているというのか。
でもその答えは、直後に明らかとなった。
「何してやがんだぁああっ!?」
悪態とともにガコンとレバーを押し倒し、急発進させたヘンゼルの鉄拳が男の顔面を打ち砕く。確実に鼻っ柱をへし折ってやった確かな手ごたえに、どうだと息巻いてやったが。
血をまき散らしながら吹っ飛んだ男がニヤリと崩壊した笑みを浮かべた次の瞬間、まるで細胞が縫い合わされるかのように傷の一切が修復されたのだから。
「なッ……!?」
バカげていた。
いったい何をどうしたら、そんな怪物体質が手に入るというのか。
何より驚くべくは、その男の存在がリィゼルにとってもまったく未知なことである。ここに収監されていたほどの罪人であるなら、少しくらい見覚えがあっても良さそうなものなのに。
いずれにせよ、こんな得体の知れない『何か』に構っている時間はなかった。ここはいったん引き返すしかないと、アリシアとウィンリィを拾い離脱しようとした次の瞬間である。
今まさに引き返そうとしていた後方、回廊の奥から。
ズンと、何やら足音らしきを聞き及んだのは。
「最悪だ……」
瞬間、リィゼルは直感する。
これで進むことはおろか、引き返すこともできなくなった。
完全なる挟み撃ちにあってしまったと。
できることならさっき、あの場に留まってでも阻止したかったことだ。
しかしできなかったのは、リィゼルではどうにもならない狂人が彼らのなかに含まれていたからになる。
だから逃げ出すしかなかった。
そうすることで、より状況を悪くすることとは分かりきっていても。
何でもいいから、とにかく失敗してくれることに賭けるしかなかったのだ。
しかしその願いは、どうやら届いてくれなかったらしい。
案の定、のそりと。
たちまち通路の奥から姿を現したのは、低い天井を狭苦しそうに四つん這いとなったリリーラ・グランソニアの巨体である。しかし問題は、彼女自身ではない。
彼女を下僕として従え、その背に我が物顔で居座っている彼らこそが大問題だった。
「はあ~、楽ちん楽ちん。揺れはひどいけど、悪くないものだねぇ。いつもふんぞり返ってたやつをこうして尻に敷くっていうのはさ。魂が洗われる気分だよ。これで香りの良いハーブティでもあったら言うことなしなんだけどなぁ」
「はっ、そんなもの此処を出てからいくらでも啜ればよい! いまはこの心地よさを愉しめ、堪能しろ! なにせいま私たちが従えているのは、あのリリーラ・グランソニアなのだからな! 見たか、これが私の力だっ! こいつが居れば世界を牛耳ることさえ夢ではない~ッ!」
片や足組みをしながら鼻歌交じり、優雅な一時を楽しむかのように。
片やクルクルとステッキを手に、ほっほぉ~と高笑いと未来の展望を掲げて。
ケイン・ガストロノア。
アーガス・ゼルトマン。
絶対に野放しにされてはならない魔人が2客、支配下に置いたリリーラの背で綽綽と笑みを浮かべながらこちらを見下ろしている。
うん?とその視界がふいに、もっと手近なところで座り込んでいたアリシアを捉えたのが次の瞬間だ。
「あはっ、な~んかいい匂いがすると思ったら!」
「おおっ、おまえはああっ!?」
それぞれが違った反応を見せつつ。
彼らの魔の手もまた、アリシアへと差し向けられて――。