8-30.「強襲」
「――え?」
その瞬間、私が見舞われたのはひどい思考の停滞だ。
何を言われたのか分からなかった。
見知らぬ彼女から投げかけられたふいの問いかけが、あまりに唐突で。
脈絡もなさすぎて。
ちなみにその人はたったいま、突然私に話しかけて来たところになる。
何はともあれこれにて一件落着、しばらく休んでいるようにとテグシーさんから促され、お言葉に甘えてこの壁際に座らせてもらったのが少しまえのことだけれど。
寄り添ってくれたルゥちゃんやウィンリィに改めてお礼を伝えて、やや離れたところにいるリィゼルちゃんにもこっちおいでよーと声をかけようとしていたときだった。
「ねぇねぇ、ちょっといいかなぁ!? 話を聞かせてもらいたいんだけどー!」
レコーダーを片手に、とても気さくそうな振る舞いで彼女がやってきたのは。
すると彼女はこちらの返事も待たず、ぐいぐいとレコーダーを押し付けるようにしながら矢継ぎ早に質問を重ねてくるのである。
こちらが答え終わらない内にうんうんなるほどねそうなんだぁとメモのペンを走らせ、また次の質問を重ねてはとても読み返せそうもない何かを書き留めている。
なんだか忙しないというか、節操のない人だなとは正直思った。
いろいろあり過ぎて私だって疲れてるし、せっかく久しぶりにルゥちゃんたちとも話せてたのに水を差さないでほしいなと。
そもそも、この人はいったい誰なのか。
あのすみませんと、いい加減に嫌気が差してしまって、その辺りから問い返そうとしたときだった。ところでさぁと、あくまで今までの質疑の延長であるかのように装ったうえで。
「――君ってもしかして、あの『イルミナ』だったりするのかなぁ?」
ふいに、そんな問いかけが飛んできたのは。
困惑を隠しきれず、私はとっさに聞き返してしまう。
でも彼女はただじっと私を見つめて、私がなにか答えるのを待っていた。
「ねぇ、どうなの……っ!?」
囁きかけるみたいな小声になって、もう待ちきれないよとはやし立てる子どもみたいに、ハァハァと呼気を詰まらせて。これは諸々、後に分かったことだが――。
彼女はフールーラー・ポットデールという、界隈でも要注意人物とマークされている雑誌記者だった。でっち上げだろうがなんだろうが、とにかく人々の興味関心を引き立て、自分の面白いように記事を仕上げる。でっち上げる。いわゆる三流ゴシップ記者というやつである。
過去にはライカンさんのことを、そしてゼノンさんにまつわる悪いウワサを流布したのも、もとを辿ればこの人だった。
だが質の悪いことに、彼女の書き立てる記事は全部が全部デタラメというわけでもないのだ。記事の中には少なからず、紛れもない真相も織り交ぜられている。
聞いたことがあった。
ウソが上手な人は、大部分の本当のなかにほんの少しだけソレを混ぜてくるのだと。すなわち重要なのは虚実の塩梅なわけだが、彼女はその調律が絶妙にうまかったのだ。
信じきれなくなる寸前で、確固たる真実を世に発信してくる。
そうすることでかつて書き立てた根も葉もないウソっぱちすらも、あるいは本当なのでは?と人々に懐疑を抱かせてしまう。そんな極めて悪質な器用さを持っていて。
では今回、そうも狡猾な彼女が狙ってきた『真実』とは何か。
そう、私のことだ。
私が魔女コード『イルミナ』の正体で、ゼノンさんがそれを隠して匿ってくれていたこと。リィゼルちゃん然り、以前からゼノンさんの付近ではターゲットが消えることがあったから、彼女はそこに目を付けたらしい。
でもこの時点で、まだ確たる証拠までは掴んでいなかった。
立証方法に当たりは付けていたものの、実行に移すための環境をどう整えるかが問題だったのだ。だから今日ここに足を運んだのも、あくまで下調べ――私との接触が目的で。
ところがそんな彼女の目論見とは裏腹に、期せずして絶頂のタイミングは訪れてしまうことになる。願ってもない。一番難関だったはずの『実行に移すための環境』、それが思いもよらず整ってしまったのだ。
なにせここには私やテグシーさん、そして魔女狩り協会の関係者も含め、被疑者や有力な目撃者たちが揃っている。何よりいまこの空間には、私の魔力――『光』属性の粒子が充満していたから。
だから残り満たすべき条件は、たった1つだけだった。
グランソニア城の結界が取り払われた今、それを阻む制約も失われている。
「一応、持ってきといて正解だったよ~」
故に彼女は満を持して、それを取り出そうとした。
戸惑いながらも否定した私の言質をしっかり取ったうえで、ゴソゴソとポケットをまさぐって。
「……?」
刹那の静寂。
抜き出されたかと思った彼女の腕が、間髪入れずに振り下ろされかけたのが次の瞬間だ。
そこにビュッと、テグシーさんの差し向けた生糸の拘束がかかって。
「えっ、ウィンリィ!?」
前触れもなく『中』サイズに変化したウィンリィが私とルゥちゃんごと飛び上がり、引き下がらせたのが同時のことだった。まだダメージから回復しているわけもなく、着地とともにウィンリィはガクンと膝を折って苦しそうになってしまったけれど。
「なんで……どうしたの!? まだ動いたら……!」
「なんのつもりだ。フールーラー・ポットデール」
「嬉しいなぁ、テグシー。名前を覚えてもらえてるだなんて、光栄だよ」
「答えろ。いま何をしようとしたのかと聞いている」
「ちょっとちょっとぉ、顔が怖いよぉ! そんな急かされなくたって、これから披露するのにねぇ」
テグシーさんが、そして負傷の身を酷使してまでウィンリィが、私を何から助け出してくれたのか。それも分からないまま、事態はさらに進行する。
手にした魔道具らしき球体を、彼女がポロッと手放したのだ。
落下したそれが地面に触れると共に起動。風が吹き荒れ、たちまちバチバチと空間に開いたのは、ぽっかりと黒い穴のようなものだった。
「あれは……!」
知っている。
あれは門と呼ばれる空間系の術式によるものだ。
現在地点と別地点とを繋げることができる。
今まさに、通じている。
では何処と繋がったのかだが。
答えは、私がかつて『イルミナ』として過ごしていたあの森だった。
私も以前に一度だけ経験があるけれど――。
『空間の記憶を辿る』という古い魔法がある。
このとき彼女がやろうとしていたのがそれだったのだ。
あの森へ繋がるゲートを開き、此処と繋げたうえで。私の魔力が充満しているこの場にやがて描き出されるだろう過去の再上映。
そこに『イルミナ』の姿が映し出されれば、私がその正体であると立証できるから。
「っしゃーっ、これでまたバズるぜぇええーっ!!! さぁ私の正しさを証明してくれ、アルカディアスゥウウ~ッ!!!」
吹き荒れる風のなか勝利を確信し、両手を掲げるようにして彼女は歓喜していた。
それは、これからまたセレスディアに巻き起こるだろう旋風を予感しての高揚だ。
何よりそれをやってのけたのが自分というのがたまらない。
これだから辞められないんだこの仕事はと、ペンを片手に打ち震えていて。
そんなだから、まったく意味を取り違えられてしまったのだろう。
(「おい、何やってんだバカ! 早く閉じろッ!」とリィゼルちゃんもひどく声を荒げ、懸命に訴えていたけれど。)
「や、やめて……! ダメです、早く閉じてくださいっ!!!」
私のその、血相を変えてまでの呼びかけの意図は。
おお必死必死と、なおのこと彼女を喜ばせてしまったに違いない。
だが違うのだ。
私が感じていた不安は全然、そんな先の展開を予見してのものではない。
もっと目先のことだった。
だってこうしている今も、肌で感じる。
どんどん近づいてきているのだ。
本当にもう、すぐそこまで――。
「お願いです、早くッ……!」
ニュルリと、鎌首をもたげるみたいにそれがホールから顔を出したのが次の瞬間だった。
「――え」
バクンと真っ先に餌食になったのは一番近く、寸前まで高笑いに興じていた彼女である。するとニュルニュル、瞬く間に彼女を絡めとってしまったそれと同じものが殺到するかのように次々と、同じホールから這い出してきて。
――まさかこんな形でまた会えるだなんてね。
予期せぬ再会に身を躍らせるように、かつて私をあの森に閉じ込めて放さなかった魔樹――『ガガイア』の触腕が佇立し、うねる。うねる。
「みんな、逃げ……っ!」
その強襲こそがグランソニア城を、更なる混乱へと陥れていくのだった。