8-18.「全父が泣いた」
ライカンからのふんだんなる愛を一身に受け、それからもミレイシアはすくすくと成長していく。
子を持つと、時の流れとは何故かくも無情なほどに早まってしまうのか。
ついこないだまであんなに短かったはずの手足はすらりと伸びて、いまやオーレリー家のご令嬢ともっぱら評判なほど可憐でお淑やかなレディに。
その見目麗しさ、可憐さときたら、その名の冠する通りあたかも一凛の花のようではないか。たったいま絵本から飛び出して来た草花の妖精と言われても、そのまま信じてしまいそうなほどに。
――などとは流石に、いくらなんでも父親の贔屓目というものが利きすぎかもしれないが。
だが少なくとも、ライカンにとってはそうだった。
どんなに大きくなっても、愛する我が子はかわいい盛り。
ほら、今だって。
花瓶の水を取り替えているだけだというのに、こんなにも絵になっている。
たまらず熱くなってしまった目頭を押さえ、ウッと涙ぐんだ。
「えっ、ちょっとヤダ。なんで泣いてるの、パパ」
「ミレイシア、いつの間に……。こんなに大きくなって……」
「もう、またそれぇ? こないだも同じこと言ってたばかりじゃない、最近どうしたの?」
「実を言うとな。私の寿命がもう、残りわずかで……」
「……えっ?」
「もってもたぶん、あと30年くらいしか」
「ねぇ、この水かけるよ?」
表情を陰らせているときでさえ、ミレイシアはかわいかった。
「おーミレイシアー、愛する我が娘よ! なぜおまえはそんなにもかわいいのか!? さぁおいで、パパの胸のなかにー!」
「やめてやめて、お願いだからやめて! 恥ずかしいでしょ、あと声もおっきいよ!?」
「は、恥ずかしい……? 何故だ!? ついこないだまでは当たり前のように」
「そんなわけないでしょ!? 何年前の話をしてるのよっ!?」
少々悪ふざけが過ぎたか、「もうっ!」と腰に手をあてフンスとされてしまう。
でもそんなミレイシアも、やっぱりかわいくて仕方がなかった。
目に入れても痛くない。絶対痛くない。
「とにかく、次そんなこと言ったら許さないからね!?」
「そんなこと?」
「余命がどうとか! そんなの冗談でもやめてよ!」
「ミレイシア、まさか私のことを心配して」
「まさかって何!? するに決まってるじゃない!」
「ミレイシア……」
ダーと滂沱。全父が泣いた。
なれば、すべきことは1つ。
この込み上げんばかりの感無量を、全身で体現するまで。
「愛しているぞ、ミレイシアーッ!! 最愛の我が娘よおおおッ!!!」
「あーはいはい。もう、分かったから……。とにかく静かにしてて」
その深すぎる愛に、頭を抱えさせてしまうこともしばしばだった。
◆
だがその実、ミレイシアの言うことも尤もではあった。
ライカンにとっての体感時間がどうであろうと、ミレイシアが生まれたあの日から過ぎ去った歳月は歳月。いつまでも幼な可愛いミレイシアではいてくれない。
無論のこと、愛の深さは変わらない。
これからどれだけ時間が経って互いに年を取ろうとも、ライカンにとってミレイシアは最愛の娘のままだ。そんなのは言うまでもない。
ことあるごとに、ライカンはそれを決めゼリフにもしていた。
「もう、私だっていつまでも子どもじゃないんだからね!」とミレイシアが唇を曲げようものなら、「子どもじゃなくても我が子には変わらないぞ。いつまでもな」なんてフッと澄ましこむ。
もちろんやり取りの末尾には「愛しているぞミレイシアー!」とか「最愛の我が娘よー!」とかが欠かさず付くわけだが。(もはやライカンにとっては、おなじみのネタみたいなものだった。)
潮時というものがある。
そんな風にいつまでも茶化して、選択肢を取り上げるわけにはいかない。大切だからと囲って、本人の意志まで蔑ろにするわけにはいかないのだから。
そのときが、ついにやってきてしまった。
あのねパパと、何やら神妙な面持ちとなったミレイシアからそう切り出されたのは、いよいよ成人の誕生日を迎えた晩のことである。
よくよく話を聞いてみれば、どうやら一度セレスディアの外に出て、もっと広い世界のことをちゃんと知りに行きたいとのことだ。もちろん二つ返事で行っておいでと、そう背中を押してやりたかった。
嬉しかったのだ。
今まで何かが欲しいとかそういうのも、あまり自分から言い出してくれることが少なかったから。
ミレイシアは何かと、与えられたもので満足してしまう慎ましいところがある。そんな彼女が初めて、自らの手で掴み取りたい何かを見い出せたというなら。
多くは聞くまい。
自分のしたいようにしなさいと、ライカンはその決断のすべてを心から支援できた。
だが――。
現実問題として、それはとても難しいことだった。
なにも父親として、まだ年若い娘の一人旅を案じてだけのものではない。
一度セレスディアから外に出ようものなら、狙われる可能性が一気に高まるからだ。なにせ魔女狩りが力を強めるためには、外部から魔女の血を取り込むことが一番手っ取り早いのである。
そこに魔女だの、魔女狩りの家系に生まれた女性だのと細かい垣根は存在しない。由緒正しきオーレリー家の血ともなれば、いったいいくつの家名が狙い出てくることか知れなかった。
あるいはミレイシアが自衛の術を持っていれば、まだ考慮の余地だってあっただろう。だがミレイシアの生まれ持った魔力は、世にも珍しい『治癒』だ。
とても応戦できるような代物ではなく、一人でいるところを襲われれば一溜りもなかった。
そうでなくともミレイシアはあまりに優しすぎる。
だからこそ、その魔力に選ばれたのかもしれないが。
いずれにせよ人を傷つけるなんて、できっこなかったのだ。
そうたとえ、自分の身を守るためだったとしても――。
気持ちはよく、察せれる。
なにせミレイシアは同じ理由で、生まれてこの方セレスディアから外に出たことがほとんどない。あったとしてもせいぜい、日帰りできる程度の距離だ。
きっとこのまま、何も知らないままでいたくないのだろう。
外からきた魔女の友人が少なくない以上、そういう話を聞くことだってあったはずだ。
だが、それでも――。
悩んだ末に、ライカンは正直に伝えた。
きっとそれは、とても難しいことだと。
一番安全なのは、ライカンがその旅路についていってやることだ。
でもそれはできない。
手放せない案件を、すでにヤマと抱えてしまっているから。
あるいはまた近場ならと代替案を示した。
だけどミレイシアの反応は優れない。
彼女の願いは、そんな手近なところにはなかったようだ。
「そうだよね……。やっぱり、難しいよね……」
最後にはひどく弱々しい表情で、しょんぼりされてしまう。
それがライカンには、どうしても心苦しくてならなかった。
仕方ないこととはいえ、自分が手を放せないばかりにミレイシアに我慢を強いてしまう。
もしかしたら生まれて初めて切り出してくれた我儘かもしれないのに。
それさえも、自分のために叶えてあげられないなんて。
「ミレイシア……」
胸が痛んで、仕方がなかった。