8-17.「ないものはなくて」
魔女狩り、ライカン・オーレリーが父親になったのは、今から遡ること十数年前のことになる。
オーレリー家と言えばセレスディアでも有数の、多くの優秀な魔女狩りを輩出してきたことで知られる名家だ。『最初の魔女狩り』の系譜を辿り、もう何世代にも渡って男性しか出生していない。
当然、ライカンもそうなると思っていた。
愛するパートナーの膨らんでいくお腹を見て、屋敷に仕える使用人たちから順調ですよなどと経過も聞かされて。他でもない自分がそうだったように、生まれてくる子もまた当たり前に男の子だろうと。
いや確かに、その時点でもう例外はあったのだ。
『最初の魔女狩り』の直系にあたるグランソニア家や、最近だとグラノアラ家もそうだったか。男性ではなく、女性が生まれている。
魔女は繁殖の際に交配を必要とせず、適齢期を迎えた段階で必ず女の子――つまりは魔女を孕み、交配した場合のみ必ず男性――つまりは未来の魔女狩りを孕む。そして魔女狩りの後継は以降、必ず男児になると。それは絶対の法則、あるいは摂理のようなものと考えられてきたが。
およそ1世紀前、マーレ・グランソニアの出生を皮切りに、その反例をちらほら耳にするようになった。とはいえ症例は極めて稀で、セレスディア全土で見ても数えるほどしかない。
故にライカンも、ほとんど自分事として捉えてはこなかったのだ。
自分は健全男児の父親になるものと信じて、疑わなかった。
すっかりそう思い込んでいて。なればこそ。
「な、なに……!?」
待ちわびた吉日には目をパチクリ、口もあんぐりである。
おぎゃあおぎゃあと、元気な産声が聞けたまでは良しとして。
いま何と……?と呆気に取られたまま聞き返しても、助産師からの困惑気味な返答は変わらなかった。生まれてきたのがなんと、元気な女の子とのことで。
いやいやそんなはずはないだろうよく確認したのか。
思わず取り乱してしまったが、そんなこと言われたってないものはないんですと首を横振りされてしまう。
それでも信じられなくてピロリ、最終的にはこの目でも確認したが。
助産師の言う通りだった。無いものは、無い。
ツルペタだ。
否定すべくもないその事実を確かめ、ライカンは途方に暮れるしかなかった。
だってまさか、想像もしてこなかったのである。
厳しくも愛のあった実の父を尊敬し、そこに自分なりにしろ理想の父親像みたいなものを見い出していた。そのうえでいずれは自分も手本とされるような、厳格ながら愛情深い父親になれるよう励んできたからこそ。
よもやそっちが、生まれてくるだなんて。
「どうすれば……」
予期せぬ事態にその夜、自室で一人頭を抱えるライカンだった。
しかし結論から言って、その懊悩は長く続かない。
今までほとんど考えてもこなかったから、発覚した瞬間こそ動揺を隠しきれなかったけれど。
将来、大きくなった娘に「パパー!」と飛びつかれて、よぉしよぉしと撫でてやっている。肩車やブンブン回しをして、キャーと喜ばせている。ほわんほわんと空想してみたそんな自分の姿が、意外にしっくりきたのである。
悪くないんじゃないかと思い直した。
そこでライカンは方針を転換する。
もし当初の予定通り、生まれてきたのが息子であったなら。
ライカンはその子に、厳しくも愛のある厳格な父として接しただろう。
自分が父の背をみて、父親とはかくあれかしとそう思ったように。
自分の背を見た我が子からも、きっと同じことを思ってもらえるように。
目標としてもらえるように。
しかしそれがいま、期せずして娘になったというなら……。
うへっとその瞬間、だらしなく愛好を崩させるライカンだった。
「そうか、娘か。この私に、娘が……」
こみ上げてくる喜びにフルフルと、今さらながら打ち震えてほんのり涙を滲ませる。
ちなみに魔女狩り、ライカン・オーレリーはその実力や家名とともに厳格者としても知られ、街を歩けば周囲からこれはこれはとサマ付けで畏まられることもしばしばというほどの著名人なのだが。
そんな威厳や風格の一切、今や形無しである。
フフフとあらゆる雑念の取り払われたかのようなその表情は、まるで仏であるかのように澄みきっていた。いや、緩みきっていたと言った方が適切か。
「娘かぁ」
厳しくも愛を忘れずだったはずの教育方針から、ものの見事に厳しさだけがすっぽ抜けて。
◆
生まれてきたまさかの娘に、ライカンはミレイシアと名付けた。
とてもきれいな深緑色の髪をしていたので草花をイメージし、名に込めるに相応しい願いを同じ名前の花言葉から因ませる。
それから、数年後――。
「パパ―っ!」
「さぁおいで、ミレイシアーっ!」
すくすくと成長したミレイシアがたまの休日、父親であるライカンにパタパタとかけより元気よく飛びつくその姿はあの日、およそ彼が思い描いた通りのものとなって実現していた。
それぃと肩車で突っ走ってはワーイ、それそれそれぃとブンブン回しをしてはキャーと喜ばせる。イタズラを仕掛けるつもりだったか、何やら忍び足で近付いてきたところを不意打ちで驚かせるようにとっ捕まえては、これでもかとお腹をまさぐって。
パパやめてくすぐったいー、と。
いくら庭先とはいえ無邪気に地面をゴロゴロ、ほとんど一緒になって遊んでいるようなその姿は、以前のライカンからでは想像も付かないほどの燥ぎようだった。
それこそ家内からはまったくもうあの人ったらと呆れられ、長年仕える使用人たちからもパチパチと呆気に取られてしまうほどに。まぁ確かに見ようによっては、愛娘を溺愛する子煩悩な父、みたいな捉え方もできるのかもしれないが。
外ではほとんど表情を変えることもなく厳かに振舞い、ライカン様と敬われてはウムなどとそれらしく頷いているだけあって。示しが付かないというか、ひどすぎるギャップが居たたまれなかった。
正直、生まれてくるはずもなかったまさかの愛娘に『骨抜きにされている』と言った方がそぐうような有様で。だがそれでライカンに失意を抱く近親者がほとんど現れなかったことも、また事実である。
彼は決して、裸の王などではない。
オーレリー家の現当主として相応しい実力を持ち、知見も兼ね備えた人徳者であることは、彼に長年仕える多くの者が知っていたから。
何よりライカン本人が、それを気にする素振りも見せなかったことが大きかった。男児に恵まれなかった以上、格式高いオーレリー家の衰退はもはや免れないだろう。
一時は魔女の血に負けたオーレリー家だの、由緒ある家名に終止符を打つことになるライカンを魔女狩りの恥さらしだのと、好き勝手に書きなぐってくれた記事がセレスディア中を駆け巡ったものだ。
けれど当の本人であるライカンがその重責に苛まれるでもなく、悲観するでもなく。ただミレイシアとの時間を、あんなにも幸せいっぱいそうに過ごしているから。
だからその微笑ましい父娘の姿に、誰も水を差したりはしなかった。
多忙を極めるライカンが家を空けていることが多く、一緒にいられる時間も限られていたからこそ。
わっはっはと庭先に大らかな笑い声の響くそのひと時を、誰もが。
少しだけ離れたところから、温かな目で見守っていた。