8-9.「掻き抱くように」
うーん。
結局、昨日のアレはなんだったんだろう……?。
プリズンブレイクに失敗し、迎えた翌日。
いつものように子どもたちの相手を仕りながら、眠たい目をグシグシと私が考えていたのは昨晩の怪奇現象についてだ。
ルーシエさんに捕まったあといろいろ話してから別れ、1人でトボトボ薄暗い廊下を引き返していたと、そこまでは良いのだけれど。そのときふと、背中の辺りがぞわりとしたのである。
なんだろうか。
うまく言えないけれど、誰かに見られているような感じがした。
でも振り返っても、そこには誰もいなくて……。
ともすれば、脳裏をよぎるものなんて1つしかない。
『ユ』の付くアレだ。
いやいやそんなわけないでしょもーいい加減子どもじゃないんだからと、どうにか思い直そうとはしてみたけれど。時間が時間だし、辺りがシンと静まり返っていることもあって、だんだん気が気でなくなってくる。
結局、最後は回れ右し、わっと逃げ出す私だった。
そのまま駆け込むようにして自室に戻り、布団をかぶってヒィコラなる。
幽霊なんかいない幽霊なんかいないとガクブル、念仏のように繰り返し唱えながら。
情けないことに、それからほとんど眠れなかったのだ。
おかけでいま、油断するとすぐに欠伸が出てしまうような有様で。
また1つ、手で口元を押さえながらムニャリとしていると。
「おや、どうしたんだい? 今日はまた、随分とお疲れだねぇ」
そこにとてもおっとりした雰囲気の、聞き覚えのある声がかかる。
無防備に口を広げたままパッチと見上げれば案の定、そこにいたのは目の細い女性だ。
「あ、ジーラさん。こんにちは」
「寝不足ですって、そう顔に書いてあるみたいだよ?」
今やもうすっかり見知った相手、ジーラ・エイベニューさんである。
拉致られて1週間以上にもなると大体、この城の体制図というか古株メンバー的な人が誰なのかは見えてくるものだ。
アニタさん(リリーラさんの側近で一番の理解者、ほかの魔女さんたちをまとめるチーフ役)を筆頭に、ルーシエさん(年少組の世話係、新人教育担当)とリオナさん(普段は何をしているんだろう? たまに日向ぼっこしているところは見かけるけれど、とくに何もしていないような気がする。いざってときに腕の立つ用心棒?)。
その3人に加えて彼女、ジーラさんだ。
ジーラさんには決まった役割こそないが、あえて言うならばみんなの心の拠りどころとか縁の下の力持ちだろう。
手が回らないときに手伝ってくれるのでアニタさんからはとても頼りにされているし(感涙レベル)、たまにふらっと現れては年少組を一網打尽に疲れ果てさせてくれるのでルーシエさんからはとても慕われている。
サボっているリオナさんには、掃除するフリをしながらしれっとゴミを掃きかけていることもあった。それでさしものリオナさんもムスッとしながら、わぁったよ手伝えばいいんだろ手伝えば風に重い腰をあげていて。
一見しておっとり落ち着いた雰囲気の持ち主だけど、やるときはやっちゃうとてもお茶目な性格の魔女さんなのだ。私もすごいお世話になっている人だった。
ともあれ。
まさかオバケが怖くて寝れなかったなんて恥ずかしくて言えないし、それを言ったら脱獄に失敗したことまで話題が及んでしまう。なので「そうなんですよ。昨日なかなか寝付けなくて」と理由には触れずやんわりさせようとしたところ。
ジーラさんが言うのだ。
あっなるほどねとなにか閃いたみたいに、人差し指をすっと持ち上げながら。
「ひょっとしてアレかな、昨日の夜はすごい頑張っちゃったとか??」
そんなよく分からないことを。
「え、がんばる? 何をですか?」
「ほぅ、なるほどね。こういうときはアレだ、もうなになにちゃんたらヤダ~ウブ~アレよアレ女の子が夜更けに頑張ることっていったら1つしかないじゃない~などといかがわしい感じに腕をグイグイすれば伝わりそうなものだが」
「……うん?」
「その様子では望み薄どころか私の惨敗に終わりそうだね。大爆死するまえに戦略的撤退を取らせてもらうとするよ」
「あの、すみません……。何のお話でしょうか?」
「ほら言わんこっちゃない」
これだからみたく首を横に振られてしまうが、やっぱり私には解せない。
かと思えば。
「ところでアリシア君は、子どもってどうやったらできるか知ってる?」
脈絡もなく、そんないきなりクエスチョンも飛んできて。
「な、なんですか。突然……? そりゃ、知ってますけど」
「そうそう、愛する男女が指輪を交換するとできるんだよね」
「できませんよ!」
「チューをしたらできる?」
「できません!」
なんか探りを入れられた。
ちっちゃい子じゃないんだからバカにしないでほしい。
私だってそれくらい知っている。あれだ。
とにかく生々しいことをするのだ。
でも口にするのは憚られ、もにょもにょしていると。
「そんなことないさ、できるよ。ただしお口じゃなくて、オマタでのチューだけどね」
「おまっ……!?」
「なるほど。反応からしてちゃんと意味は分かっているようだ。しかしこれまたアンバランスなことだが」
「あ、アンバランス……?」
私はたじろぐばかりで、何をどう反応していいか分かったものではない。
「まぁ、そういうのも過程だよね。急ぐことはないよ。いずれアリシア君にも分かる日が来る」
「えっと……?」
「自然に知るのが一番さ。何者にも毒されることなく、ね」
いったい何を諭されているのかもいまいちピンと来ないまま。
最後はふっと微笑み、黄昏風に空を見上げるジーラさんだった。
◇
――と。
話戻って寝不足の原因については、いったんやり過ごせたようにも思ったのだけれど。
なんとジーラさん、昨晩のことについてはもうおよそご存知だったらしい。
私が何やらコソコソしだしたのにはリアルタイムで気づいていて、でも直後にルーシエさんも動き出したものだから任せたのだそうだ。まえから思ってはいたけれどキミって誤魔化すのヘタだよねとかやましいことしたって顔に書いてあるよとか言われてしまって、返す言葉も見つからなかった。
ちなみに今、ジーラさんは自分もいかなかったことを激しく後悔しているとのこと。なにやら口調もおどろおどろしくなってきたので、何かと思ったら。
見てよこれと、出てきたのは見覚えのある空の一升瓶である。
早い話が、大事に取っておいたそれをルーシエさんに飲み干されたらしい。
だからいま、ルーシエさんを探しているのだそうだ。
その頭で、空っぽにされたそれを叩き割るために。
「そうすれば少しは、飲んであげられなかったこの子の弔いになるかと思ってさ……。ねぇ、見なかった?」
息絶えた我が子を掻き抱くみたいに、空の一升瓶にそうするジーラさんにブンブン、全力で首を横ふりする私だった。(うん本当に知らなそうだね顔に書いてあると、またもフムフムされつつ。)
なんか最近、キッチンとかからよく食べ物も消えるそうだけど。
やっぱりそっちも知らなくて首をブンブン。
「まぁそうだよね。ということはそれもルーシエか……? それともリオナ……? まぁいい、あとで問い詰めるとしよう」
とまぁそんな感じに、脱線の脱線もあったけれど――。
その先でジーラさんから言われたことは、昨晩ルーシエさんからもらった忠言ともおよそ重なる内容になる。もしあのまま強行していたら、危なかったと。
「たぶんルーシエからも言われたことかもしれないが、今一度キモに命じるんだ。キミ一人の力でこの城から脱出することは決して叶わない。現状こそが、キミがこの場所で望める自由の最大値なんだよ。それ以上を望んでも無謀でしかない、身を亡ぼすだけだ」
そのうえでジーラさんは言う。
付近に人の耳がないことを確かめてから、耳打ちするみたいな囁き声で。
とにかく今は待つように、と。
「あと数日でいいから、大人しくしてるんだ。これ以上、状況を悪くしたくなかったらね。それまでに必ず、なにか動きがあるはずだから」
「え……?」
「また追って伝えるよ」
それだけ告げると、ジーラさんはそれじゃねーと行ってしまった。
どういうことなのか、分からない。
分からないけれど。
『――アリっち、これはまだ内緒のことなんすけどね。』
もしやあのことだろうかと、浮かぶ心当たりは1つしかなかった。