1-9.「かくして魔女は拾われる」
「そうか。まぁ確かにこの状況じゃ、それもありかもな」
そう言って、ゼノンさんが静かに腕を下ろす。
するとそれを合図とするようにパチリパチリ、樹根を抑え込んでいた鎖が弾けるように次々と消えていった。
でも意外だったのは拘束を失ったからと言って、またすぐに森が襲い掛かってくるようなこともなかったことだ。もう逃げる気がないとは分かっているのか、あれだけのた打ち回っていた樹根がその動きの一切を止め、その野太い鎌首をもたげたまま何もしてこないでいる。
最後に別れを告げる猶予くらいはやろう。
まるで森がそう告げてきているかのように、霧の漂う辺りにはもとの静けさが戻っていた。
「悪ぃな、やっぱ此処じゃ魔力が吸われちまってよ。思うように力が出ねぇ。出口まであと少しとは思うんだが」
「いえそんな、気にしないでください。私、すごく嬉しかったんですよ。昨日からゼノンさんが私のこと、すごくいっぱい考えてくれているのがよく分かったから」
飾らぬ感謝の気持ちを、私はゼノンさんに伝える。
本当はここに来るまでに私を見捨てたり、切り捨てたりする機会はたくさんあったはずなのだ。ゼノンさんにとってラクな道は、たぶん他にいくらだってあった。
でもゼノンさんは最後までそれをしないでいてくれた。
この手を振り払わずにいてくれたから、ちゃんとこちらから振りほどく決心がついた。
またあの寂しさを味わわずに済んだ。
それだけでもう、感謝の気持ちで一杯なのだ。
謝られる道理なんてどこにもない。
あるはずがない。
「ここまで連れ出そうとしてくれただけでも、もう十分すぎるくらいです。だから、ありがとうございました」
だからありったけの感謝を込めて、私はゼノンさんにそう伝える。
ぺこりと頭を下げてから、吹っ切れたように顔をあげて。
「いいんだな、本当に」
「はい。もう、行ってください。あまりモタモタしてると、また森さんが怒っちゃうかもですよ」
「あとで泣きべそかくなよ?」
「かきませんよぉ、もう。小さな子どもじゃないんですから」
するとゼノンさんはもう見慣れつつある仕草で頭をガリガリ、踵を返すと。
「じゃあ、元気でな」
「あっ、よかっ……」
「もう二度と、会うこともねぇだろうが」
「……はい、そうですね。どうか気を付けて」
「あぁ、おまえもな」
短いそんなやり取りの後に、行ってしまった。
心底、ホッとする。
あと少し突きつけられるのが遅かったら。
良かったらまたいつか遊びに、なんて言いかけてしまうところだった。
危ない、危ない。
徐々にその後ろ姿が霞む霧の向こうへと消えて行って、完全に見えなくなる。そうして気付けばポツリ、私だけがその場に取り残されていて。
――ところで。
私には、好きな絵本の物語がある。
あるところに不幸な囚われのお姫さまがいて、勇者が助け出してくれるような。それは開けばものの数分で読み終わる、実に単純で子ども向けのストーリー。
でも私はこれが好きで、小さな頃はそれこそ毎日のように読み耽っていた。最近ではこのお姫さまの置かれた境遇を、いまの自分に重ねたりもしていて。いつか私も……なんて恥ずかしながら実にバカらしい空想も認めたものだ。
でもやっぱり現実は、そう上手くはいってくれないらしい。
それはそうだ。私はお姫様じゃない、魔女なのだから。
そんな分かりきったことを、この一人っきりの静寂のなかに確かめてから。
「よし、かーえろっと」
そう吹っ切れたように、私もまた踵を返す。
なにせ住まいが封鎖されてしまったから、すべきことはたくさんあるのだ。いつまでも現を抜かしている場合ではない。
何のことはない。
なんとなくこうなるって予感はあったし、言ってしまえば昨日までに戻るだけだ。
一人きりだってもう慣れっこだ。
へっちゃらだ。
そのはずなのに――。
「あれ……」
いつの間にか滴が頬を伝い、流れ落ちていた。
いったいどうしたというのだろう。
直前までぜんぜんそんな感じじゃなかったのに。
むしろ清々(すがすが)しくて、気分も晴れやかだったというのに。
「え、なんで……? どうしたんだろ、私……」
足を止める。
拭っても拭っても、止まってくれなかった。
ポロポロと拭う先から、零れ落ちてしまって。
「う、あうぅ……」
止まらなくなる。
だって私は、また一人になってしまったのだ。
やっと見つけてもらえたと、そう思ったのに。
またこの森で、私は。
いつになったら。
向き合いたくない現実がそこにあって。
小さな子どもみたいにみっともなく、泣きじゃくってしまう。
置いていかないで。
たったそれだけを伝えるのが、どうしてこんなにも怖いのだろう。
本当は言いたかった。
助けを求めたかった。
行かないでって。
でも、できないよ……。
だって自分が助かるために誰かの逃げ道を塞ぐなんて、おかしい。
間違ってる。絶対やっちゃいけないことだから。
何より、また振り払われたらどうしようって。
そう考えたら怖くて。勇気なんか出せなくて。
だけど……。やっぱり……。
此処でずっと、この先も一人きりなんて嫌だ。
誰か、誰でもいいから。助けてほしい。
私をここから連れ出してほしい。
「誰か……」
霧の立ち込める森のなか、涙にか細く声を震わせたそのときだった。
ジャリンと鋭く、背後からその音が差し迫ってきて。
◇
これは後で分かったことだけれど、その頃――。
「つか、まえたぁっ!」
森の外側ではゼノンさんが、ジャラつく鎖のうちの1本をグイと掴まえ、自分側に引き寄せていた。目前には不自然に途切れた濃い霧が広がっている。おかげで視野は効かないが、しかし手先から伝わる僅かな感覚が告げていた。
どうやら無事に本命を引き当てることに成功したらしいと。
たちまち泳がせていた他の鎖を束ね、さらには追加で幾本もの増援を送り、その捕捉をより強固なものとする。そして――。
「ぐ、おおおおっ!」
あとはこのまま引っ張り出すだけと、全力で踏み応えていた。
実はゼノンさんは最初からこのつもりだったのだそうだ。
あのまま霧のなかに留まっていては魔力が際限なく吸われてしまい、思うように力が出せない。じり貧になってしまう。だからまずは自分だけ先に出て、外から私を引っ張り出す作戦にシフトしたのだそう。
わざと見捨てるように振る舞ったのは、私がこの森から出たいという気持ちを最大限に引き出すためだった。魔力は感情ともっとも強くリンクしている。
とりわけ私みたいなお子さま魔女は、不安とか悲しみとかマイナスの感情がトリガーとなって魔力が引き出されることが多いらしい。つまり私が不安になればなるほど、魔力も大きくなって居場所を特定しやすくなると、そんな算段だったようで。
「……っ!?」
そうとも知らず、ただ引っ張られるままの私だった。
両足も浮き、涙も横に流れるくらいのすさまじい勢いで森の木々が過ぎ去っていく。
霧の向こうからうっすら、何か大きな影がうねるようにして追従してきていた。ふいに側面からグパリとなにかが口を開くが、すかさずジャリンとしなる一撃に叩き落とされて。
何が起きているのかも分からないまま、次第に霧が薄まっていく。
最後に森が慟哭するように鳴動して――。
ボフンと雲を抜けたような感覚のあと、一気に視界が明瞭となった。
宙返りするみたいに仰いだ空が、これまで見たなかで一番蒼く、蒼く見えて。
「よぉ、元気にしてたかよ」
見下ろしたそこに、ゼノンさんがいた。
ところで私には、好きな物語がある。
それは開けばものの数分で読み終わる、実に単純で子ども向けのストーリー。
あるところに不幸な捕らわれのお姫さまがいて、勇者が助け出してくれるような――。
「魔女の一本釣りってとこだが。やっぱ泣いてんじゃねぇかよ、ったく」
言われたそばから、ぶわりと止めどなく溢れ出す。
それから果たして、私はゼノンさんを何回呼んだことだろう。
すぐに降ろしてくれたのがよくなかったのだ。
たちまちぶええとなって、やめろとかくっつくなとか抗議されたけど、そんなのちっとも知らなくて、しつこくまとわりついて。
それくらいただ嬉しくて、仕方がなかった。
こちらから振りほどいた手を、この人がまた繋ぎ直してくれていた、そのことが。
ともあれ、こうして始まることとなるのだった。
王都セレスディアに向けて。
パッと見なら師弟関係にも見えなくもない。
でも実は魔女と魔女狩りだったりする、私とゼノンさんの二人旅が。
パート1はここまでです。
次話からパート2に入ります。
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