思い出すのが遅い? いや、まだ間に合う!
「お、思い出すのが、一日遅い」
授業初日の教室でけつまずいて転んで、運悪く机の角に頭を打ち付け気を失って、運んでもらったらしい学園の救護室で意識を取り戻した、最初の感想。
「どうした?
なんか混乱してんのか?」
「ヒィッ!」
前世ではあり得ない、紫髪紫目のイケメン。
前世では問題視しかされない、救護室の先生なのに咥え煙草。
昨日までの私は違和感を持っていなかった世界。
昨日の私は、あろうことか入学式を遅刻ギリギリで学園に辿り着き、さらにあろうことか転んで金髪金目のこの国の王子に突っ込み、にも拘らず会場まで案内してもらっていた。
それがきっかけで、王子の婚約者の銀髪銀目の公爵令嬢に睨まれ、赤髪赤目の騎士団長子息に「面白れぇ女」呼ばわりされ、青髪青目の宰相侯爵令息に入試の成績が理由でライバル視されて、緑髪緑目の魔術師団長子息に魔力量で興味を持たれている。
そして、今、紫髪紫目の救護室担当教師と相対している。
……詰んでる。
「……ダメそうだな。
落ち着け。今の自分の状況は分かるか?」
「ハッ、すみません。失礼な態度を取りました。
ちょっと混乱していました」
「そうか?
頭を打ったらしいからな。
治癒魔法をかけて傷はもう塞がってるが、まだ様子を見た方がいい」
「……寮の部屋に戻れないでしょうか?」
渋るイケメンに、ダメもとで寮母さんにお願いして欲しいと頼み込み、寮に戻る事に成功。
規律に厳しいオールドミスの寮母さんなら、女子生徒を男性教諭が担当の救護室に置いたままにしないとは思った。
迎えに来てくれた寮母さんに、心の底からお礼を言って、部屋に戻る。
今の私は、ミア・ダラム。ダラム男爵の庶子。
ピンク髪にピンクの目をしている。
数か月ほど前に実母が亡くなった。
亡くなり際に渡された指輪を握りしめて、言われたとおりにダラム男爵を訪ね、引き取ってもらった。
前世の名前は、村田美亜。
ネット小説を読むのが趣味の、高校二年生。
前世から運動神経が悪い上にそそっかしくて、雨の日に歩道橋の階段で滑って転んで、そこから記憶が無いので、多分それで死んでる。
お母さんお父さん、逆縁の親不孝をごめんなさい。
今世の母にも親孝行はもう出来ない。
泣けてきた。
「……しっかりしなきゃ」
用事を済ませてくると言って寮母さんが出ているので、一人きりなのをいいことに声を出して思い切り泣いて、やっと少し落ち着いた。
胸元に手をやる。
今世の母の遺髪が入った袋を首から下げている、それを服の上からそっと押さえる。
「苦労をかけてごめんね。
でも、お前だけは生きて幸せになって」
それが、今世の母の最期の言葉だった。
この遺言を守りたい。自分の為にも。
乙女ゲームをやってた事は無いから、この世界がどのゲーム世界かは分からない。
ネット小説は数え切れないほど読んだから、この世界がどの小説世界か思い出せない。
「いずれにしても、ヒロインにはならない」
階段落ちるとか、もういらない。
それに、断罪返しでざまぁされるのも嫌だけど、どの攻略対象を選んでも幸せには遠そう。
今世の母を見たから思う、身分違いなど不幸なだけだ。
今世の父も頼りたくない。あれは只の浮気者だ。
男爵夫人は悪人なんかじゃなかった。
私の存在は嫌だったと思う。そういう態度も隠しきれてはいなかった。
でも、嫌がらせなどされなかった。
必要なマナーを教えてくれた。
習得出来ていないのを見て、入学を遅らせた方が良いと言っていた。
それでも入学を決めたのは、父の男爵だ。
学園入学の手配を済ませてくれたのは夫人。
何かあって頼るとしたら、父じゃなくて、夫人を頼るべきだと思う。
「……先ずは髪を染めよう」
意気込みの割に、そんなに良いアイデアは浮かばなかった。
頭を打って安静を言い渡されているので、寮母さんに確認されながら、今日一日は大人しく過ごし。
翌日は運良く休みだったので、茶色の染粉を無事入手。
ところで、乙女ゲームのヒロインの設定に、「私、平凡な女の子」みたいなのあるよね。
ユーザーの共感を呼ぶためなんだろうけど、そんな派手なピンクの髪で何言ってんの、みたいな設定。
……この世界では、ピンクの髪は平凡でした。割と大勢いるの。
いや、茶色に染めた事は無駄じゃないよ?
茶色の方がもっと地味でさらに多数派だし。
でも、青髪とか緑髪みたいな前世ではあり得ない髪色も、攻略対象以外にもチラホラいて、ちょっとビックリする。
「ルーカス様ぁ。
入学式の日はありがとうございましたぁ。
わたしぃ、リア・ティリスって言いますぅ。
リアって呼んでくださいぃ」
あと、なんか転生者も一人じゃなかったっぽい。
入学初日に私がやらかした、攻略対象との出会いイベントは彼女、リアさんが代わってくれようとしている。
リアさんもピンクの髪にピンクの目をしている。
好意じゃない事は分かってるが、好都合なんで放っておく事にした。
初日の件は、改めて謝罪に行くとか考えていたけど、王子様も公爵令嬢もリアさんの事だったと認識してるようなので、そっとしておく。
ルーカス様は王子様の事ね。
勝手に名前呼びして、銀髪の公爵令嬢の目が吊り上がってる。
リアさんはちゃんと子爵家のお嬢様なのにね。
私はそれどころじゃない。
マナーが全然身についてないんだよ。
記憶を取り戻す前の私が、遅刻ギリギリだったのもそのせい。
この世界の平民は、多少遅刻しても平気だったから。
男爵夫人が教えてくれてたのに何やってんだ、記憶が戻る前の私。そっちも私だったけど。
学園の先生を頼り、マナーの特訓をしてもらう。
姿勢を矯正したり、仕草を優雅にするって、大変。
そうでなくても運動神経悪いから。
それに座学的に覚える事も多い。
マナーの習得に時間を取られているせいで、座学の成績もちょっと落ちた。
マナーの習得に体力を取られているせいか、魔法の実技もそんなでもなかった。
怪我の功名で、青髪と緑髪の興味もそれたみたいだ。
流石に紫髪の救護室担当は誤魔化せなかったが、怪我の後遺症だけ確認されて、それで終わった。
あの煙草は、薬煙草という前世には無い煙草で、副流煙は害がないどころか沈静作用があり、あの時は私のために吸ってたそうだ。変な悲鳴をあげてしまって申し訳なかった。
地味に頑張る毎日。
でも、授業初日に気を失った時に助けてくれた人達とも、お礼を言って仲良くなってもらったし、学園生活は楽しい。
マナーがちゃんとしてきたんで、男爵夫人が認めてくれて、ちゃんと養子縁組してもらった。
商人出身の男子生徒といい感じになったんで、相談にのってもらっているところ。
そして、卒業式。
まるでなってなかった私のマナーを、下位貴族にしては上出来くらいまでにしてくれた、学園の先生方や寮母さんには感謝の気持ちでいっぱいです。感慨深い。もちろん、お礼を言ってきました。
そして、
「リア・ティリス!
貴女の身分を弁えない行動も今日で終わりだ!
よくも私の婚約者を犯罪者呼ばわりしてくれたな!
貴女を何度も諌めてきたティリス子爵には温情を与えるが、今日でティリス子爵家を放逐される貴女に与える温情は無い!
今後は無償で鉱山労働に従事してもらう!」
これまでの我慢が爆発している王子殿下。
疲れた感じの公爵令嬢とその他の攻略対象っぽかった人達。
皆、我慢しすぎだよね。
魔力豊富で成績良くても素行不良の子爵令嬢の一人位、とっとと処罰しちゃって良かったと思うのに。
その我慢強さで、初日の私も許してもらったんだから、私が言う事じゃないけど。
リアさんは、
「わたし、ヒロインなのにぃ!」
と言いながら、連行されていった。
「やれやれ、やっと彼女に煩わされなくなるよ」
私の婚約者のマシューです。
なんと彼も攻略対象でした。
地味な茶髪茶目だったんで気付かなかったよ。
リアさんもほぼノーマークだったし。
この世界の人達は皆美形だし。
「何故か、彼女の中では僕が彼女の事が好きって事になっててね。参ったよ」
キープ済みのつもりでノーマークだったらしい。
「本当のヒロインはミアなのにね」
彼も前世持ちでした。
お姉さんのゲームを手伝わされたそうだ。
「オープニングから少しいったところまでを、数え切れないほどやらされたからなぁ」
前世は子供の頃に思い出していた彼が気が付いたのは、ダラム男爵家を訪れた時。
「ヒロインにデフォルト名が無かったから、気が付かなかったのかな」
リアさんの誤解の原因を気にする彼。
「夢見がちな人だったんじゃない?」
ヒロイン転生だと思っても、ヒロインするかどうかは別だよね。
なんと、私は文官試験に受かりました。
これからしばらくは共働き。
その後は、ダラム男爵家を二人で継ぐ予定です。
ダラム男爵家に子供がいませんでしたからね。
義母とは仲良くなりました。
その分、父はちょっと肩身が狭そう。
「お母さんの遺言は守れそうかな」
「君のお母さんに僕も誓ったからね」
前世を全うできなかった同士として、マシューとは一緒にそれぞれの前世の家族に祈ったりします。
前世は取り戻せないけど、語り合う事が出来る相手が居るのは大事な事のように思います。
前世のお母さんお父さん、今世のお母さん、
私は、この世界で頑張って幸せになるよ。
読んで下さってありがとうございます。