三日月商店と陽気な青年 その1
私たちは、ぷらぷら、中心街に向かって歩いています。
「春はいいね。日が長くなっていく」
ナツキちゃんが、ポウっと言葉を落とします。誰も返事をするでもなく、まだまだ明るい空を少し笑って見上げるのです。
私はこの街が好きです。
昔、西洋人の方々が主導で都市計画を行ったそうで、欧州の古い街のように整然としています。
ある一区画は、昔の姿のままそっくり残っていて、石畳の道に、深緑のシックな街灯がぽつぽつ続き、ジョバンニとカムパネルラが烏瓜でも持って走っていそうです。
その通りに面して、その店はあります。
「the horned moon」、それが名前です。でも、常連さんは「三日月商店」とか「三日月さん」って呼びます。
店構えは、キャラメル色のこっくりとした木が基調の重厚なつくりとなっていて、その窓枠に大きなガラスがはめられています。入り口の両側には、堂々としたディスプレイコーナーがあり、暗い赤のベルベットがかかった台に、革のウィングチップシューズや、上等な鞄が素敵に置かれています。マネキンがいないところが、この店らしいです。
若者は普通、こんな店で買い物をしません。大体は、お隣の駅、「宵浜駅」の駅ビルやアウトレットで買います。そもそも街を歩いていて、こんなクラシカルな……くだけた言い方をすれば、オジサマくさいお店は目に入りません。その存在にすら気付かないのです。
明度を抑えた店内を伺いながら、金色のドアノブを回します。カラーン、と飴色の音が鳴って、来客を知らせます。カウンターで本を読んでいた眼鏡のシックな老紳士は、顔を上げて、私たちに気がつきました。
「おや。甘川ジュニアではないですか。いらっしゃい。おや、お友達がいらっしゃいますね。どうぞ、ごゆっくり」
にっこりとした笑顔は温かい紅茶のようです。
「先日、ユリ子さんにお会いしましたよ。確か、敬之くんが薦めたセーターを買われましたね。君にだろう? 話は聞いているよ」
と、いたずらっぽく笑います。男性装の件でしょう。これからもお世話になります。と、私は深々とお辞儀します。
敬之兄さんの所在をたずねると、「裏で在庫整理していますから、呼んできましょう」と、月川さんは奥の扉のむこうに消えました。
彼がいなくなってから、瞳ちゃんは私の袖をぐいと引きます。
「ちょっと……、素敵なおじ様じゃない!」
「ああ……。驚いた」
夏生ちゃんもそう言い、二人は顔を見合わせています。整然として、きちんとした店のなかを、ものめずらしそうに眺め回していました。
すると突然、
「穣、このドア開けてくれたまえ!」
張りのある声がドアの向こうから聞こえてきます。敬之兄さんでしょう。私は開けてあげるとします。
「ありがとう、ありがとう。助かったよ、穣」
ダンボールを抱えて、兄さんが現れました。彼は私を見下ろして、にかっと笑います。
「久しぶりだな、穣。元気にしてたかなー?」
彼はダンボールをレジ台に置くと、両手で私の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜました。子供の頃は、これをされるのが怖くて嫌だったのですが、今となってはもう慣れっこで、むしろ兄さんに会えてる実感で嬉しくなってしまうのです。
彼は、あらら、と言って手を止めます。
「お友達を連れてきたのか。珍しいな」
彼は、人懐こい笑顔で二人に握手を求めに行きます。
「俺は、森栖敬之。穣のイトコのお兄さんです。穣がお世話になっているね」
「お世話をしているのは私ですよ」
私は、兄さんに二人を紹介しました。夏生ちゃんは、借りてきた猫モード、瞳ちゃんは猫かぶりモードで、とてもいい子らしく自己紹介をもするのです。だまされてますよ、兄さん。
とは言っても、私としても、変な奴とつるんでいるという心配をかけなくてすむので、この二人の変わり身の速さというか、ずるさには助けられるのです。
「……穣、お前お邪魔虫じゃないのかぁ?」
「兄さんの目は節穴ですか! どう考えても、お邪魔虫は瞳ちゃんですよ!」
いつもの調子で瞳ちゃんを貶めても、彼女はふんわり笑って感情を表に出しません。これ、怖いですね。あとで報復されそうです。
「そんなわけないだろう。とってもお似合いのカップルじゃないか」
三人、全否定です。兄さんは私たちの勢いに一瞬驚きましたが、すぐにニヤーリと笑いました。わかったよ、そういうことにしておこう。と。
「さて。少年少女たち、ようこそいらっしゃいました。何を御所望で?」
やんちゃな少年のようでありながらも、大人の色香がふんわり漂う人。敬之兄さんは、そんな方であります。