最終章 その1
そうして機は熟していくはずだった。驚いた穣が、夏生にばらしてしまえばいい。早く、一刻も早く夏生が気が付きますように。一刻も早く僕のこの手を掴みます様にと、気が気じゃなくカウントダウンを数えていたある日。父さんに先手を取られた。計算外の行動に出られてしまった。
作った笑顔のまま、僕は道化のように固まっていた。やっとのことで聞き返した僕を一瞥した父さんは、すぐに食器へと目線を移した。
「聞こえなかったか。お前達の叔父の殿宮時雨が結婚する。20日は空けておけ」
家族揃っての夕食の真っ只中でそれは告げられた。夏生の顔が恐ろしくて見られなかった。
「招待状は僕らには来ていませんよ」
鎌掛けであってほしくて、そう聞いた。
「私が預かっている」
こ・ん・のタヌキじじいぃぃ! ――とは面と向かってはいえない。
「……そうなんですか。おめでたいですね。急な朗報ですから、驚いてしまいましたよ。へぇ、あの時雨さんがですか」
能天気な母さんは、笑顔で話す。
「とっても綺麗なお嫁さんよ。美男美女でお似合いだわ。義弟も遂に身を固めるのねぇ、」
「でも、僕らまで式に参加するのですか?」
僕は食い下がる。夏生が何も言わないから。
「何を言っている。時雨はお前たちの兄のようなものだろう。当然、参加だ。冠婚葬祭のマナーは出来ているな。恥ずかしい態度を見せるんじゃないぞ」
夏生も、僕と一緒に返事した。僕は、父のその言葉を、僕らへの牽制として受け取った。
やられた。僕らはてっきり、式や披露宴には招かれないものと思い込んでいた。父さんが勝手に断っているだろうと。だってもう式の直前だ。だからこそ僕は、秘密裏にことをすすめられると思ったのに。
ああ、そうか。夏生の気持ちなんか最早関係ないんだ。『白鷹』家がびっちり揃ったところを関係者に見せるわけだ。夏生は、夏生は何を考えている?
僕は食事の間中、自分の皿だけを見つめていた。食堂には、カチャカチャという無機質な金属音だけが、静かに響いていた。
食事の後、僕は夏生の部屋を訪れた。物音もなく、唯静かだった。ノックをしても、返事がない。まさか。心臓が一回、大きく跳ね上がった。どわっと、冷や汗が体中から吹き出る。
「夏生!」
部屋は、真っ暗だった。真っ先に窓際を見てしまった自分が恐ろしくなって、呆然となった。もちろん、カーテンが夜風になびいていることもなければ、縄がカーテンレールに掛かっていることもなかったけど。夏生は、静かにベッドの中に包まっていた。静かに、というのも正しくは無い。小さく、嗚咽が聞こえて、布団は時々危うげに揺れた。本当に泣き虫な弟だ。ベッドの縁に腰掛けて、布団の暖かい膨らみに手を置いた。
「葉月……やっぱり、俺、正しかった」
布団から、くぐもった声が返ってきた。「え?」
「時雨さん、やっぱり、好きな人いたんだ。……良かった。馬鹿なことしないで。諦めて、良かったんだよ。」
「そうじゃない。違うんだよ、」
ははは、と湿った笑いだ。
「……何が違うんだよ。もう、俺のこと、励まさなくていい」
「違うんだよ、夏生、時雨さんは、」
解ってる。僕が教えてやっても、聞き入れないことなんか。時雨さん、あんたが夏生をさらいに来てくれるのが一番の特効薬なんだよ。
「なぁ、葉月。俺もそろそろ、恋なんかに振り回されてるようじゃ駄目だ」
「本当に、時雨さんはもういいっての? 僕だって、愁一と付き合うのやめたりなんてできないよ」
「『時間』。時間が癒してくれる、って。それに、葉月は器用だから大丈夫だよ」
「……そう。もう、本当にいいんだね?」
夏生は、返事の代わりに小さく鼻を啜った。
……ああ。
出来ることはするつもりで準備をしていたんだ。でも、スタートが遅かったんだ。始めから負け戦だったのかもしれない。僕の手を握る気力は彼にはもう無い。夏生は父さんに付いたんだ。時雨さんの写真のプレゼントは、思わぬ伏兵だったって訳だ。お前の覚悟がその方向に向かうなら、僕は進んでゲーム盤から降りよう。『秘密』は、全てが収まるまで胸に仕舞いこむことにしよう。ゲームオーバーだ。父さん、貴方の勝利だ。
僕は、大人しく夏生の部屋を去った。夏生のこの恋に、永遠に蓋をするつもりで、その戸を閉めた。
……なんちゃってね。
それならそれでいいよ、まだ足掻ける。こうなったら、父さん、貴方にとって最悪な、陳腐な茶番劇を演じてやろうじゃないか。僕はまだ降りちゃいないよ。
穣、君が動けば、あとは嵐を起こすだけだ。君は、絶対、黙って見ていられないはずだ。
僕の話を聞かない夏生。でも、君の話ならどうだろう。僕はそこに賭けているんだ。




