水野の恋と最後の詰め
「……はぁ」
水野さんと僕は、またもやペアを組まされて「写真研究会」の学内展覧会の受付をしている。
だいたいの学生が海外とかに出払っている春休みに、のうのうと写真なんて見に学校へ来る暇人がいるもんか。せめて学外でギャラリーでも借りろっての!
こんな時期と場所に展覧会を設定した幹部の先輩たちが恨めしい。本来なら、毎年秋に『秋季展覧会』として行っているらしいんだけど、なーんかもたついて今の時期にずれ込んだ。だから、普段ならシャキっとしている水野さんが「はぁ」なんて、らしくないため息をついているのも頷ける。解ります。阿呆らしいですよね、人が来ない展覧会なんて。
「……はぁ」
ほら、また。
うとうとしていた僕らの元に、元気な声が聞こえてきた。それは穣の「こんにちは」だった。水野さんは、ガバッと顔をあげたが……でも、またへなりと机に目線を落とした。
「穣、きてくれたんだ。誰も来ないから退屈だったんだよ~」
「葉書届きましたよ。有り難うございます」
水野さんは、がばりと起き上がって穣の袖を掴んだ。
「……な、君、こ、ここ来るまでに、男は居なかったか? その……眼鏡掛けた、黒髪で、もやしみたいにヒョロいやつ……、」
何を言っているんだろう?
「いませんでしたねぇ。今は春休みですし学校はひと気がありません。……何でですか?」
好奇心旺盛な穣は、水野さんに突っ込んでしまう。あああ、知らないよ? この人、恐ろしいから怒られちゃうよ! ところが、水野さんはわざとらしいほどのため息をつくのだ。
「おやおや、色っぽいため息。さては恋のお悩みですか」
「……そうなんだよ。聞いてくれよ、白鷹の友人君」
ちょっとぉ、聞いてないんですけど。っていうか、どうして僕に先に話さないで、交流の浅い穣に話すわけ? なんか不満~……。
「……なんだよ白鷹。私が恋しちゃ悪いってのかよ」
睨み付けてくる。怖いんですけどー。
「冗談きついよ水野さん。こんな暴力的な女の人が恋だなんて……イタ! またそうやってすぐ叩く」
お客さんの来ない展覧会の受付は、いつの間にやらガールズトーク会場になっていた。勿論、水野さんは穣が女の子だって事は知らないんだけどね。
「……でな、そいつ、その授業に毎回一人で、早くから来て、一番前の席で受けてるんだよ」
「それで、この展覧会のフライヤーを渡した、と」
「そうなんだ。来てくれないか、ずっと待ってるんだ」
「ほほう、一目ぼれってやつですね。水野さん、ガンガン行くべきです」
そんな花咲ける乙女達に、陰気で野暮ったい青年が声を掛けた。自分で適当に切ってそうな黒髪に、細縁眼鏡。紺のダッフルコートに、ブラックウォッチタータンチェックのマフラー。「あのう……このチラシってこの展覧会で合ってます……?」
水野さんは弾かれたように立ち上がったのだ。
なるほど……ご本人が来てくれたってことだね。僕は穣を引っ張って会場の外へ連れ出した。あとは頑張ってね、水野さん♪
かつて、時雨さんと僕が言い合いになった時に座っていた、合皮の長椅子に穣を座らせた。いい加減僕は焦っていたから、この展覧会に穣を呼び出したんだ。
「まさかさっきのは、水野さんの思い人。うまくいくといいですね~」
「どうだかなぁ……ちゃんと女の子らしく出来るかなぁ、あの人」
そう言った僕に、穣はまだまだですね、と含み笑いする。
「おや、葉月さんの癖に分かってないですね。恋をすると、どんな乙女でもたおやかになるものです」
そうして笑って、水野さんのことは一旦、おしまいだ。僕は僕の用のために、君を呼び出したから。
「……ねぇ、穣。夏生のことは、残念だった」
ほんとうに、上手くいかないんだ。君が居なかったら、もっと悪いことも起きえたくらいに。穣は、もう元気ですと健気に笑ってみせた。
「ところで、殿宮時雨に先日電話した時に、女性の声が聞こえてきたのですが、まさかもう、その……結婚……したのですか」
罪悪感に打ちひしがれながら、穣は言う。穣の方でも、この話が聞きたくて来たんだッてことに気がついた。
「今月20日に結婚式だ」
そう、実は今時珍しく婚姻前の結婚式だ。戸籍上は他人のままってこと。それがどういう意図なのか、わかるようでわかりたくない。それに穣には、籍とかそんなこと話したって仕方ないだろう。だって、僕らコドモから見た世界では、神に誓ったその時に二人は夫婦になるんだから。
僕の読み通り、結婚式、と聞いた穣は、安心というよりかは、焦り顔になった。
「そりゃそうだよね、急ぎの縁組とは言え、春から動いているんだ。もうとっくにいろいろ決まっててもおかしくないんだ」
「……黙ってたんですか」
そして、怒りの表情。
「……葉月さんは、事の進行を全て調べて、知ってて黙ってたんですか」
冷静に頷いた僕に、今度は激昂。
「どうして何も言わないんですか! 放っておける立場ですか貴方は!」
僕は努めて無表情で、低い声を使った。
「じゃあ聞くけど。穣も知ってたよね。どうして言わなかったのさ」
「それは……貴方達の家の問題でしょう! それに時雨さんの名誉もあります。葉月さんも『言うな』と私に言ったはずです!」
つまり、「責任転嫁して私のせいにするな」って事かな? 「私は部外者だから」? そういうことなら。
「……僕の立たされてる立場は解らない? このことを知らないはずの『僕の』ちょっかいで、上手く行き始めてる家庭がどう傾くか想像できる? 言える訳無いよ。とにかく、誰に何を言われようと、自分の心に従う判断は君がすればいいんだ。少なくとも、僕はそうしている」
「それじゃぁ、今のままでは夏生ちゃんは、」
「うん。最後の最後まで知らないままだね。蚊帳の外だよ」
「……そんなのって!」
そう。可哀想でしょ? もちろん僕は、家庭なんて顧慮してない。そんなことで壊れるものなら壊れればいいんだ。それでも、僕が自分で言わないのは君『達』が動くのを待ってるから。
君に何を期待しているか、解らないほど鈍感じゃないよね? 今。今すぐ、穣には動いてほしいんだ。遅すぎたくらいだ。
僕の蛇のような目を見つめて睨んでいる君は、何を考え、何をするつもりだろうか。




