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乙女地獄で桜咲けり!  作者: 黒檀
第六章
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クリスマスに…… その2

 マンションを出てすぐのところで、二人を捕まえました。葉月さんは、寒さと嬉しさでほっぺを赤くして中川くんに飛びつきました。


「夏生、僕は迎え呼ぶから先に帰っていいよ」

「ああ。あまり遅くなるなよ」


 夏生ちゃんは渋い顔をして腕時計を指差しました。


「はぁい。早くになるかも、朝!」


 中川くんが可愛く慌てます。ふふ……幸せそうですね。それを冷めた目で見送った夏生ちゃんは、白い息を黒い空に向かって放ちます。「――じゃ、いこうか」


「は、ハイ。でも、あの、お迎えは来てないんですか?」


 夏生ちゃんは「迎え? ここに?」と目を丸くしました。どうやらあたりにお迎えの車は来ていないようでした。葉月さんもさっさと消えうせてしまったし、電車で帰るつもりだったのでしょうか。とするなら、駅までご一緒することができます。


「ああ、そっか。……俺も呼べばいいか。じゃぁ、宵浜公園まで行こうか」

「今からですか!?」

 

 夏生ちゃんは、驚いた私に不思議そうな顔を向けました。


「そのつもりだけど。終電までに上宵浜に戻れば甘川も大丈夫だろ。心配するなよ、もし逃したら送ってく」


 一応注意をしなければいけませんが、夏生ちゃんは細身で美人なこの頃はやりの男の子なのです。なので実際のところ、闇夜を共に歩こうともたいしたボディーガードなんぞになりゃしないのです。それでも、なんだか、こういう臨機応変さというか、強引さがなんだか格好良くたくましく思えてしまう、乙女心なのです。私もいい加減、頭の中が蜂蜜のように甘い様は恥ずかしいと思うべきですね。

 

 ゴトゴトと電車に揺られて、宵浜駅までやってきました。海からの風で、此処は更に寒々しいのです。私達の足は自然、宵浜公園へ向かいます。さすがクリスマス。カップルが多くいらっしゃいます。船に施された綺麗なイルミネーションに見入っています。

 私達は、海が見える手すりに寄りかかって、しばし沈黙。

 ――どうしよう。ここに夏生ちゃんがいる。優しくて、静かで、そっと微笑むその姿が大好きなんです。

 いつか、その少し悲しげな微笑が、翳り無く明るくなることを祈って、今はクリスマスの神に手を合わせます、ってこれ合掌か! いや、この際、クリスマスの神という八百万的な意味を込めて、合掌です。


「……何してるの?」


 そして貴方は胡散臭そうに私を見ます。


「あ、イヤ、クリスマスの神に祈りを捧げているのですよ……、」


 何だよソレ。そう言って、夏生ちゃんは笑いました。

 はた。そうです、忘れるところでした。クリスマスプレゼントを渡さねば。包みを手渡すと、夏生ちゃんは戸惑いながら驚きました。


「本当に用意してくれたの? いいって言ったのに」

「これは欲しくなるはずですよ? ぜひ、あけてみてください」


 夏生ちゃんは、私が手渡した包みを開けました。


「イイノネコーヒーのオリジナルブレンド豆! ……有り難う。嬉しい。どうしよう、俺、何も用意してないや」

「その笑顔が見たかっただけです。それだけで十分ですよ」


 われながらなんて臭い言葉を言うんだ。まるでJ-POPですよ。そもそも、クリスマスに恋人同士が高価なプレゼントを交換するという仕組み、それ自体J-POPですよ。


「甘川のくせに随分謙虚だな」


 夏生ちゃんは、不意に横を向いて私の唇と重ねました。私には目を閉じる隙すら与えませんでした。――それは冷たくて、でも暖かくて、そして、心無い悲しい口付けでした。それでも、心臓破壊の威力は持っていました。


「これで勘弁して。今日のところは」


 彼はうっすらと目を細めて綺麗に微笑みました。反則です。私は、へなへなとしゃがみ込んでしまいます。それしかできなかったのです。

 しかし、この行為に、どれほどの心が込められていたと言うのでしょうか。私は類稀なる馬鹿で阿呆ですが、大好きな彼の心を推して量ることが出来ないほど鈍感ではないでしょう。そこにたしかにあったのは、「ごめん」という謝罪と、明らかなる欺瞞と、そして、悲しいほど存在感を主張している、誰かさんへの恋心です。彼は私の背後にそいつを思い出して、ときどき虚ろな目をするのです。

 きっと、それらの「激情」を隠しているつもりも無いのでしょう。それだけが、私を慰める貴方の誠実さなんです。





 しばらくして、宵浜駅へ戻るのです。

 その途中、夏生ちゃんは急に立ち止まりました。声をかけても、首をむこう、斜め前方の一通の道路を凝視したまま、微動だにしません。その目線の先には、紺の車が一台停まっているだけでした。ありきたりの、どこにでもあるような地味な車。


「白鷹家のお迎えですか?」


 質問には答えず、彼はその車に向かって走り出しました。


「え!? ちょっと、夏生ちゃん!」


 紺の車の手前で、私はようやく彼に追いつきました。


「どうしたんです! いきなり何も言わずに走り出すなんて、」


 私の言葉も耳に入らないようで、彼は、その車のボンネットに手を付くと叫びました。「時雨さん!」と。その名を聞いた時の私の心臓は、恐ろしいほど縮み上がりました。今いちばん、夏生ちゃんの前にソン在位して欲しくない人間です。

 たしかに、良く見れば、この車はあの時彼が私を拉致した時の車と同じでした。

 その車は、運転席の窓をヴィーーっと開けていきます。心臓の拍動はどんどん大きくなります。そろそろと、目の前の夏生ちゃんの腕に手を伸ばしていました。もし、そいつだった場合、私は彼を連れて逃げる権利はあるでしょうか。「忘れちまえ」と諭す権利はあるでしょうか。

 ――しかし、顔を覗かせたのはボブヘアーのオネエサンでした。まったく、殿宮時雨とは無縁そうな。


「ごめんなさい、邪魔ですよね。今どかしますから……すいません、道に迷っちゃっててこんなところに……、」


 安堵のあまり、焦ったお姉さんの弁解の言葉は聞こえなくなってしまいました。夏生ちゃんもそれは同じようでした。要領を得ない言葉で、なんでもないんだ、と言います。


「いや、違、……人違いです……、すいません…………」


 しかし、動転しているのは彼女もおなじ。否定と謝罪の言葉むなしく、彼女には聞き入れられませんでした。


「すみません、ごめんなさい! 今すぐどかすんで、泣かないで下さいぃ~」


 泣かないでください? 違いますよ。お姉さんの車が邪魔だから泣いているわけなんてないでしょう。車の主が貴女だったから泣いたのですよ。むしろ、あのヒトの車でなかったから、彼は泣くのです。あの人に逢いたいと思って泣くのです。

 私は、彼女の車のボンネットに手を突いたままの彼を後ろから抱きかかえて遠ざけました。彼女のボンネットには、大きな涙の痕が落ちています。彼女は急いで車を発進させ、宵浜の夜に溶けて消えてゆきました。

 夏生ちゃんは、力なくそのまま道路の真ん中へへなへなと腰を落としてしまいました。

 私もそうしたいです。私も地面にくず折れて膝を抱えて泣きたいです。でもしませんよ、貴方が泣くなら、私はそうしません。それでも、心がズキズキ音を立てているのにはもう無視できませんでした。腫瘍が、もう臨界点を突破して、


「甘川……、俺、……苦しい……」


 破裂しました。

 それだけ、たったそれだけの言葉を彼は、呆然と空を見詰めてかろうじて零しました。地面にきつく閉じられた拳をつきポタポタと、冷え切ったアスファルトを涙で濡らしていきました。すると、空からも涙のようなみぞれが降ってきました。誰の涙かは、言わずとも知れましょう。私じゃありません。だって、泣いていませんから。

 ――貴方も泣いているんでしょうか、殿宮時雨。


 彼の零した、凍てつくほどのある人への愛しさに刺されて、私の腫瘍は破裂しました。 

『この人は、私を好きになりはしません。この先もずッと。』

 腫瘍から出ていた膿は、暗いくらい、わかりきった事実でした。空元気の気力は失われ、ただ、大きな絶望を感じていました。今、目の前で、肩を震わせて泣いているこの愛しい人と同じような絶望を。

 それを身に刻み付けるように、冷たいみぞれがゆっくりと私達を濡らすのでした。

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