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乙女地獄で桜咲けり!  作者: 黒檀
第四章
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時雨と葉月の秘密会話 その2

 そういうことか、と時雨は納得する。


「あのなぁ、葉月。ごまかしや自棄(やけ)じゃないのか?」


 時雨(しぐれ)は、先ほどの葉月の言葉を無視して問う。葉月の頬を大きな手で挟んで、その可愛らしい目を覗き込んだ。


「違います。僕は、もう、苦しくないんだ」


 本当、なんだな? 自分のこころを確かめるような時雨の問いに、葉月は安心する。自分がこころを示せれば、彼は進んでくれる、そう確信して頷く。

 ――そうなんだ。本当なんだ。あなたがもう、気に病む必要なんて微塵もない、微塵もない、綺麗な場所を明け渡してあげるんだ。だから――

 やがて力なくうなだれ、時雨のその手を外側から強く握り締めて、搾り出すように言った。


「……ごめん……なさい……」


 急に大きな涙の水滴が音を立てて合皮の長椅子に落ちる。この甥から謝罪の言葉が出たことに、時雨は少なからず驚いた。


「今まで、いっぱい、迷惑、かけた。……僕が、うっとうしかったはずだ。時雨さんを、……夏生を、ここまで不幸にしたのは、……僕だッ……、……ごめ、さい……」

「馬鹿言うな。誰が不幸だッて言うんだよ。勝手に決め付けるなよ」

「決まってる! 一番大切なものを諦めて、不幸じゃないなんて、あるはずないじゃないか……。それとも、あなたにとって夏生は、諦めてもいいくらいの大したものじゃないってことなの? ……ごめん、違う、違うんだ。時雨さんを責めたいんじゃなくて、謝りたくて……、僕は……夏生が時雨さんにと、とられるのが嫌だったんだ、だから、」

「いいから。分かってるから。泣くな」

 

 時雨は、ボロボロ泣く葉月の頭を乱暴に引き寄せると、その胸の中に抱えて、スーツに涙のしみを作らせる。


「僕だけ……僕だけ幸せになるなんて、……駄目だッ、……時雨さん、時雨さん、お願いだよ……、」


(……ああ、本当は、僕だって時雨さんが嫌いなんかじゃないのに。)

 時雨は、ただ黙って、葉月の華奢な身体に手を回していた。




 葉月の嗚咽が消え入った頃、時雨は口を開いた。


「なぁ、葉月」


 目をこすりこすり、葉月は短く唸った。


「俺は、夏生が好きか?」

「馬鹿なの? 時雨さん」


 胡散臭そうな声色だ。


「軽い人間ぶって、ころころ逃げ回るような真似してさ、そのくせ、しっかり夏生を捕まえてる」


 時雨への丁寧語が消えるのは、いつもの葉月が戻ってきた証拠だった。時雨は苦笑しながらほっと胸を撫で下ろす。


「俺には随分厳しいんだな」

「当たり前だよ。あんたは逃げ回るオトナで、夏生は捨て身のコドモなんだよ。……ずるいよ」

「そりゃ良心は痛む」

 

 葉月は、「ハッ」とはき捨てるような笑い声をもらす。


「良心? 違うでしょ。時雨さんは、夏生が好きだから、拒めるはずが無いんだ。あんな目で見られて突き放せるはずがないよ」


 時雨は、何も言わず腕を組んで壁にもたれかかっている。


「僕はもう邪魔したりしない。夏生を受け止めてよ」

「葉月が許そうと許すまいと、俺は夏生に何も言う資格は無い」


(筋違いなんだよ……)とは言えず、ただ口をつぐんだ。


「意味が分からないよ」

「……もうお前も高校生じゃないんだ。社会ってもんを見ろ」

「時雨さんこそ。いつまで独身貴族でいるつもり?」


 茶化したつもりだった。ところが、返ってきたのは誠実な響きを持つ答えだった。頭が一瞬、白くなるような。


「――俺は、結婚するよ」


 一瞬、意味がとれず、葉月はきょとんとする。


「……は? 何、言ってるの……?」

「だから、結婚。お見合い」

「どうして……?」

「都合上」


 短い事務的な回答に、葉月は昂ぶった。


「そういう意味で聞いたんじゃない! 時雨さんが結婚なんて、夏生はどうなるの!? どうして? 誰を好きでも、堂々としろって言ってくれたのは、時雨さんじゃないか!」

「それはお前らだからだ。俺はお前らとは違う」

「嘘だ! ……父さんだね? 父さんが何か脅してるんでしょ!」


 葉月は、時雨の胸倉を掴んで怒鳴り声を上げる。しんとした廊下に、五月蝿いほどに響く。そのエコーが、壁に向かって叫んでいるかのような空しさと味気なさをかきたて、彼をさらに苛立たせた。


「なんだよ、ごまかしてたのはそっちじゃん! 僕、知ってるから! あんたが夏生の頭を撫でる手がどんなに優しいか! どれだけ切ない目であいつを見ているか! いつも泣き出しそうな顔してるじゃないか! 『俺は夏生が好きか?』だって!? 聞くまでもないだろぉーがッ!」


 再び、涙が頬を伝う。


「僕だって夏生が大事だったから分かるんだ! 夏生が、時雨さんを見る目、あの目がどれほど訴えてたか……時雨さんにはわかんないんだ……、夏生の何もかもを手に入れて、それでいて貴方は何も与えない! ずるいよ……! ずるくて、憎くて、恨めしくて、僕はそんな貴方が赦せなかったんだ!」


 時雨は、胸倉を掴んでいる葉月の手を乱暴に引き離しながら、抑えた声で呻く様に言った。


「……俺だって言いたいに決まってるだろ」

 

 葉月は眉間に皺を寄せ、時雨の言葉を聞こうと耳をそばだてる。


「好きだ、って抱きしめたいんだよ。ずッと俺の傍にいてくれ、……愛してるって言いたいんだよ!」


 いつも水を湛えるように落ち着いている彼の目が、苦しさに揺れる。

 どろり重たく黒々とした血が流れ出している時雨の本心を、さまざまとと見せ付けられたようだった。飄々とした彼の、唇をかみ締めて涙を堪える姿を葉月は始めて知る。


「だったら言えよ! 言って、さらっちまえよ! 簡単なことじゃないか! その中途半端さが……その、中途半端な無関心の装い方が、どれだけ夏生を傷つけてきたかわかってるのか! 逃げるなよ今更!」

「逃げじゃない。いい加減、覚悟だ。過ちは償わなきゃいけないんだよ」


 葉月はふるふると明るい髪を揺らした。その瞳は涙にぬれている。指は食い込むように、時雨のスーツをつかんでいる。


「馬鹿言わないでよ……過ちなんかじゃないでしょ、」

「……なぁ、葉月。夏生もお前みたいに、いずれ別の恋をする。そういうふうに、人間は出来てるんだよ。そうして、その好きな人と今度こそ結ばれればいい」


 半分は自分に言い聞かせているようだった。対照的に、時雨の瞳はどんどん揺らぎを失い、乾いていった。まるで決意を新たにするように。それが葉月を焦らせるのだ。


「……僕、夏生に全部話しちゃうよ。そうしたら夏生がどうなるかぐらい分かるでしょ、あの子はバカだもん。だから、結婚しないって言ってよ、夏生を受け入れるって言ってよ……!」


 時雨はもう、元に戻った。飄々とした笑みに戻って首を横に振った。こどもを宥めるおとなの顔を、見事に作り上げた。


「脅しのつもりか、お坊ちゃん? まだまだ修行が足りないね。俺はわかってるよ、お前が夏生に話さないってことは。だから話してるんだろうが」


 葉月も諦めに近い笑みを浮かべた。情けなくて、頼りなくて……悔しそうな笑みを。はは、と口からは乾いた声がもれた。


「そうだよ……僕がこんなことを、夏生に言えるはずなんて無いじゃないか。あなたを説得できなかったなんて、言えないに決まってるじゃないか、あなたの意思は、僕の言葉じゃ動かない」

「白鷹の跡取りともあろう男が、『説得』が出来ませんでした、じゃあな。しかも、身内の人間すら動かせなかったとあっては格好がつかない」


 もう冗談を言い出している。この話題は終わってしまったのだ。終わってしまった話は、今日はもう引きずれない。自分の負けだ。葉月は涙を拭いて、唇を歪ませながら辛うじて笑った。

 でも、それだけじゃない。世界でいちばん夏生を悲しませる言葉を、自分の口から言えるはずが無いのだ。言ったところで夏生はきっと、自分の幸せをつかむためには動きはしないのだ。

 そう、――「僕の言葉では動かない」んだ。

 ――無力だ。時雨さんも、夏生も、寄ってたかって僕の無力さを身に刻みつける。いや、自ら勝手にたかって傷ついてるのは僕の方か――。


「ずるいよ、時雨さんは、いつも……」


 こぼれ出る葉月の涙を、時雨は指でそっと拭い、瞳の水面を揺らして、笑う。


「俺のすることは全部、お前たちが好きだからだよ」


 ねえ、時雨さん。

 悲しくなるほどの長い間貴方を好きだった夏生は、この先、光のような速さで過ぎ去る何十年で貴方を超える人に出会えるのかな? 

 夏生には、新しい恋に骨を埋めて欲しいって? そんなの嘘だよ。

 夏生は、泥のようなスピードで過ぎるこの先何十年を、独りで貴方の面影を抱くんじゃないんだろうか。それを貴方は心の底で望んでいるんでしょう。そしてそれは、貴方も同じだ。同じ悲しみの中に落ちるであろうこと。そこに僅かな愛の繋がりを見出すんでしょう?

 残酷だ。最期まで、残酷だ。

「美しい」なんて思ってやらないからな。

「バカだ」となら何度だって罵ってやる。墓の穴の上からでも、「おまえはバカだった」って罵ってやる。 


 ああでも、あんたは笑うんだよ。何にも辛いことなんてありませんよ、って顔して笑うんだ。

 だからもう一度、アンタに「バカだ」と言ってやるよ。

 この人は、自分の笑顔がどんなに悲しげか、わかってないんだろうか。


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