彼は語った「写真が真実なら映画は毎秒24倍真実だ」
大学で初めてとなるテストがだんだんと近づき、私たちがそわそわし始める頃に梅雨はとうとう明け、夏空がぎらぎらとやってくるのでした。
それと同時に、私たちが昼休みを過ごす場所は広場の炎天下の元から木陰へと移動しました。今日もシートを敷いて、ダルッダルにまどろんでいました。背後の木にもたれかかって、静かに本を読んでいる夏生ちゃん。なぜか此処でネイルを塗りなおしている瞳ちゃん。臭いんです、マニキュア。千堂は、他の友人と、広場の真ん中でサッカーボールを蹴って、半裸になってはしゃいでいます。他人の迷惑です。男の子ってのは、いくつになっても球が好きですね。
そんな陽気な彼らを膝を抱えてぼぉーっと見ていると、一枚の写真が目の前にニュッと差し出されました。それは葉月さんの手。今日も今日とて可愛い葉月さんが、ミルクティ色の髪を輝かせています。
「なんです、この写真。……ん、フライヤーですか」
「これ、僕らのサークルの写真展のチラシみたいなもの。午後から始まるから、来てね。僕も新人枠で一枚だけ出展させてもらったんだ」
「瞳ちゃん、夏生ちゃん、是非行きましょうよ」
「俺はいいよ」
夏生ちゃんはちらと顔を上げて短く返事をすると、再び本に戻ってしまいました。引っ込み思案の弟みたいです。
「何でよ。お兄さんのお誘いでしょ」
「一人で行くから」
いいえ、夏生ちゃんは引っ込み思案なのじゃなくて、マイペース。自分で動くのが性に合っているのでしょう。葉月さんもそれを知ってか、何も言いません。
更に三つ折の紙を渡されました。宵浜駅付近のアウトレットのイベントカレンダーです。
「それとね、夏休みには、もう一つのサークルの方で、このイベントにファッションショーで参加するから、見に来てねぇ。今日は僕、4時くらいから会場で受付してるからね~。じゃぁ」
子ウサギの様にふわふわと去っていきました。本当に手広い方です。そのバイタリティーには驚嘆します。彼の背を見送りつつ、あたりで球を蹴る千堂に視線を移動させた瞳ちゃん。
「義也は誘わないの?」
愚問ですよ。あいつと一緒にいたら、我々が恥ずかしい思いをしますよ。大人しくものを見ることが出来るはずが無いのです。
そんなわけで、千堂は誘わずに私と瞳ちゃんで授業終了後に会場へ向かいました。会場はそこそこの人入りでした。多目的室をオレンジの暗い照明にして、パネルにもなる壁に、いくつもの写真を掛けています。小教室二つ分くらいの大きさでしょうか。天井からも、オーナメントのように糸で写真が吊るしています。
「よろしければ、アンケートにご協力お願いします」との決まり文句とともに、受付のハスキーボイスの女性は私たちに目録とアンケート用紙を手渡しました。
おや。この女性、見たことありますね。狐色の髪、あっさりした顔。葉月さんの先輩、水野さんです。水野さんのほうも私を思い出したようで、眉毛がひゅっと上がりました。
「白鷹の友人じゃないか。なんだ、可愛い彼女連れて」
「違いますよ! ……葉月さんはいらっしゃらないんですか?」
「ああ、あいつなら、兄みたいな人が来てな、二人で外に出て行ったぞ。その辺に居なかったか?」
と、親指を会場の外、「そのへん」に向けています。
「ならいいんです。帰ってきましたらよろしくお伝えください」
「おう。ゆっくり見ていけよ」
美人なのに妙に男前な彼女の元をさると、瞳ちゃんは私の服の裾を掴みました。
「……ねえ、穣、葉月さんに兄なんていた?」
「夏生ちゃんのことじゃないですか? ぱっと見、彼の方が兄貴分ですよ」
それ以上、水野さんの言葉に疑問を持たずに、それぞれ私たちは思い思いに白と黒の写真を見ていきます。ふと、ある写真に私の目は奪われました。
No.55、白鷹葉月、題「恋人」。
ストレートな題にポッと頬を染めてしまいます。セピア色の写真は、夕焼けを想像させます。宵浜公園でしょうか、海が見える場所で、柔らかな笑みを湛えたブレザー姿の高校生の男の子の横顔が写っています。塩風に吹き上げられた髪の毛は繊細で、思わず整えたくなるような無頓着さが窺えます。
一見、高校生のカップル、「恋人」を見つめる女の子のドキドキした視線を擬似的に再現したようにも受け取れます。でも、私には、この少年、中川愁一くんを愛おしくフィルムに閉じ込めようとした葉月さんの姿が想像されて、胸が甘く高鳴ります。こっぱずかしい擬音を使わせていただくならば、まさに「きゅん」ですよ。
いつのまにか、先にさっさと見ていた瞳ちゃんが私の傍に寄り添って、綺麗な瞳でその写真を見上げました。私は一瞬、彼女をからかおうかと思いました。「君のような汚れた子でも、この写真の純粋さがわかるんですか」と。
しかし、彼女は小さく呟きました。その言葉を聞いた私は、からかいを企んだ自分自身を大いに恥じねばなりませんでした。
「なんだか、もじもじしちゃうわね」
汚い部分が誰にも存在するように、純粋な部分だって、確かに人は持っているのです。この愛おしさの塊の前で、下らない冗談を言わなくて良かった。彼女の感想に、その通りだと思ったので、私も何度もそれに頷きました。
「見終わったから先帰るね。今日、ちょっと実家帰るのよ」
彼女は会場を後にしました。私はまたすこし、瞳ちゃんが好きになりました。……絶対に言ってやらんけどな!
時間を掛けて会場を回りましたが、その間に葉月さんが受付に帰ってくることはありませんでした。
その帰りのことです。最後にお手洗いへ寄ろうと廊下を歩いていると、ふと、トイレの奥の曲がり角の向こうから、葉月さんの声が聞こえてきました。いつもの葉月さんとは思えない、悲しい涙に濡れた声でした。
「……ずるいよ、時雨さんは、いつも……」
「兄」と話しているはずの葉月さんの声です。なぜ、泣いているんですか?
しかも、その後に言葉を返した相手は、夏生ちゃんではありませんでした。低く、そして冷たいのにあたたかな大人の声です。
「俺のすることは全部、お前たちが好きだからだよ」
好き、という、ありふれた言葉。私も先刻、瞳ちゃんに対して抱いた気持ち。
ありふれた会話かもしれない、なのに、私は、何故だかそこを動くことが出来ませんでした。
床に縫い付けられたように立ちつくしたのです。




