夢野先生の事件簿 決戦編その2
いらっしゃいませ。
大学があるこの地区の話題のケーキ屋、『le velours blue』で働いている、白鷹夏生です。
ひっきりなしに女性客ばかりが続く。まとわり付くような主張の強い香水の匂いは、実はもううんざりだ。逆に、夜が近づくにつれて男性客は増えてくる。上品で、センスのいいスーツ姿。どこかあわただしく、こちらの薦めたケーキや焼き菓子を購入していく。
だけど今は昼間。目の前の女性客が選んだ「ムース・オ・ショコラ」と「シャルロット」をショーケースから慎重に取り出して、箱につめる。
ディープ・ブルーのマットな質感の紙の手提げ袋に箱を入れ、できる限りの笑顔で見送る。シックな店なので、過剰な元気や大声はいらない接客スタイルが、自分には合っていた。
そんな平日の午後・おやつ時。不穏な和服探偵は現れた。
からんと鐘が鳴り、機械的に「いらっしゃいませ」を発声する。が、一瞬、ぎょっとして身体が固まった。そこにいたのは、水墨調の妖怪画から抜け出てきたような、年齢不詳の和服姿の男性だった。
俺に気が付くと、平安の貴婦人がごとく口元を着物の袖で覆ったまま、水のように微笑んだ。ちらと見えた唇は、葉月のものよりもさらに赤く、色っぽさすらあった。肌は不健康に白く、病弱そうに痩せた体は痛々しい。青光りするほどつややかな長めの黒髪は、艶かしく首筋や頬に垂れている。華奢な撫肩に滑り落ちそうな着物を着て、夏用の上着を羽織ってる。
「……君は、最近雇われた子ですか?」
すうっと空気のように漂ってきた声は、寒気がするほど透明感がある低い声だった。そうですけど何か、と逆に聞きたい。
「そうですか。成程」などと、細い首をくっと突き出して俺のことを遠慮無しにじっくり見ていた。前髪で少し隠れているが、よく見たら、涼やかな人形のように綺麗な顔の男だ。肌もしみ一つ無い。
「あの、ご注文は」
「ああ、そうでした。貴方があんまりにも美しいもので見惚れていました」
恥ずかしげもなくそう言い放つ。美しいのはそっちの方なのに。
「職人を、……山根元春さんを呼んでいただけますか? そして、貴方には失礼を承知で申し上げますが、できればそのまま席を外していただきたい」
物腰は柔らかだったが、どこか確固たる意志が込められている言葉だった。
その後、元春さんと彼の間でいかなる会話がなされたかは俺は知らない。
再びベルの音がして、あの着物の男が去ったことが分かって売り場へ戻ると、山根さんが、祈るように握り締めた手を額に当てて、泣いていたことだけは、分かった。まだ若いのに、苦労をしたのだろう、随分老けて見える。
「夏生くん……僕は、僕は……ついに赦されるのかもしれないんだ……」
そう言って、彼はしばらく肩を震わせていた。不思議と、その間は客が来なかった。
次の日から、何故か俺に対する桃子さんのいやがらせはぴたりと止まった。やれやれ、これで店をやめていたら、姫草にお坊ちゃま扱いされるところだった。
第一、桃子さんは根っからの悪人じゃないのは分かってた。彼女は少し心が参っていただけなのだ。何時までこの緊張状態が続くやら、と危ぶんだが、結果的に全ては丸く、かどうかは微妙なラインだが、収まった。
元春さんとマダムは何故か協議離婚して、慰謝料はナシだ。ただ、店そのものと経営権は元春さんが譲り受けた。どうやらマダムの方でも、かなり前から不倫関係を持っていたらしい。
自分にしては、随分面倒くさいところに頭を突っ込んでいたなぁ、なんて思う。以前の俺だったら、さっさと辞めて、この人たちのことも忘れていただろうに。
店名も「patisserie Les enfants du Paradis」となって、新たなスタートを切った。
かつての深い海の底の色に代わって蘇芳色に、イメージカラーが変わった。桃子さんと元春さんのご近所への挨拶回りの際は、多くの祝福と励ましをもらってきた。俺は、そのまま店に置いてもらえることになった。
桃子さんは、こっちが気後れするくらい、あの仕打ちについて謝ってきたので、「分かっているから、」と、宥めた。俺も、時雨さんのことになったら、他人を貶めるくらいしてしまいそうだから、どんな気持ちだったかは分かるんだ。
二人は結婚し、やがて、新しい命が桃子さんに宿る。「夏生はさながらコウノトリ」、葉月がそう言った。その言葉は少し、俺を励ました。厄介者だったわけじゃないって思える。
ところで、この一件に関して、どうやら暗躍していた人物がいる。俺が思うに、それは例の着物の男だ。興信所の探偵……だったのかな?
リニューアル・オープンの際に、花に紛れて、アンティークの美しい西洋時計が贈られてきた。店の雰囲気に見事に合っていた。差出人は『夢野商会』とだけ。
見当の付かない元春さんと桃子さんは、差出人が名乗り出てくれるのを思って客の目に触れる場所へ飾った。しかし、誰もがその時計を褒めたが、送り主を名乗るものはいつまでたっても現れなかった。
ある日、学生服を着た艶々とした髪の少年がやってきて、「フランボワーズ」ばかり三つ買った。
中学生のお使いだろうか。この店に若年層が来るのは珍しい。何故か、言葉を話さずに指と頭の動きだけで意思を伝える。だが、帰りがけに、その猫目の少年は、じっとその時計を見てぽつりと言った。
「……きれいだ」と。
ブルーベルベット編完結です!ちょっと回り道。




