夢野先生の事件簿 情報戦その1
「おや、甘川君。いらっしゃい」
気だるそうに微笑んだ夢野さんは、いつものようにほの暗いカウンターの奥で、扇風機を回して、座っていらっしゃいます。彼の艶めかしい微笑みと低い声に、頬を染めて、うっかり「ホゥ」と感嘆するのです。妖しいけれども美しいのです、この方は。梅雨にあわせて、着物もさっぱりした生地に変わっています。よく洗い込まれているのでしょう、くったりと上品に体に馴染んで、胸元は例のごとくチラリズムです。
「先生、甘いものはお好きですか」
最近は、「先生」と呼んでも何も言わなくなりました。訂正することを諦めたに違いありません。「ええ、とても」と、彼は手を止めて答えました。
「では、丁度好いです。ケーキを買ってきました。召し上がってください」
「それはそれは。私、西洋菓子は気恥ずかしくて買えませんので、嬉しい贈り物です」
確かに、夢野さんに可愛らしく明るい洋菓子店は似付かわしくありません。洋菓子店を恨んで化けて出た、水羊羹の精霊かと思われそうです。……あ、意外としっくりくる表現です。思わず噴出しそうになりましたが、我慢です。
「このへんじゃ、有名な店らしいですよ」
夏生ちゃんの働いている、マダムのお店のケーキです。
「おや、では私や森栖君と顔馴染みかも知れませんね」
どうでしょう……あのマダムが夢野さんや兄さんの知り合いとは思えませんが。
ひとまず、ダークブルーの地に金文字で店名が書かれたケーキの箱を渡します。箱はとてもマットな質感です。
「丁度、兄さんの店とは反対側の、住宅街の地区の店ですよ」
夢野さんは、箱をまじまじと見つめて首を傾げました。
「……確かに、見覚えの無い店名です。私には縁遠い世界ですからね。では、今召し上がりましょう。ね、甘川君も」
「私も良いのですか」
「勿論。お菓子は戴いてすぐに食べるのが美味しいのです」
彼はお店の商品である染め付けのアンティークのお皿と湯呑みを洗って、お茶の準備をしてしまいます。白地に青の明治期の染め付けは、妙にマダムのケーキにマッチしていて、和洋折衷、文明開化の香りがします。
「見事な味ですね」
私は先刻から、普段の夢野さんに見られないような、お菓子に少しはしゃいだ様子が面白く感じられていました。いつも咳ばかりしている彼ですが、梅雨の湿気のおかげでしょう、ゴホゴホいうことなく、調子がよさそうに見えます。
「……いいですね、次の小説は西洋風の物語にしてみましょう」
夢野さんはそうひとりごち、次回の創作のインスピレーションを得たようです。
「美味しい……ですが、いわく付きのケーキでもありますね、違いますか?」
夢野さんは鋭いです。長めの黒髪をゆらりと揺らし、尋ねてきます。
「どうして解るんです」
「さぁ……どうも私には解るのです」
いつものように、要領を得ない答えです。
しかし、夢野さんの指摘は正しいのです。何でまた私がケーキを買ってきたのかと言うと、夏生ちゃんに少々心配事があるからなのでした。なので、様子を見に店へ行きますが、行くからには何か買わなくては具合が悪いです。それで、ここ数日は、母や敬之兄さんにも、ケーキを届けた次第です。
「実は、ここで友人が働いているのですが、少し問題があるようです」
「何でしょう、良ければ私に話してくださいませんか。何も力にはなれませんがね」
実は。哀れな夏生ちゃんは、「ブルーベルベット」の昼ドラ的泥沼に巻き込まれてしまったのでした。夏生ちゃんが言うには私も噛んでいるとのこと。「お前は店に来るな」と言われても、気になるものは気になるのです。やはり、あのマダムの店。何もない方がおかしかったのです。
夢野さんの「なにもできない」という謙遜にすっかり騙された私は、つらつらとここ最近のブルーベルベットの不穏な動向についてぶちまけたのです。
夢野さんが、創作的好奇心でこの話を聞きたがったことも、彼の店で夜な夜な行われているらしい、町内若衆秘密会の餌になったことも、私は知る由もありませんでした。




