猫被り姫と謎の王子
午前中のタイクツなガイダンスも終わり、ようやくお昼時となりました。
学生たちはどんどん教室を出て行き、外は人の声でわんわん楽しそうに揺れています。昼休みこそ、と勧誘に力を入れる先輩方。下界から響くそんな新学期の喧騒は、閑散とした教室に響きます。「春だなぁ……」と伸びをせずにはいられません。まどろみが恐ろしいほど心地いいのです。
友達がいるという安心感で、私の心も身体もゆるみきっていました。
そうです! 私の隣には、小鹿のように背筋を伸ばしてパタンと机に突っ伏す新しいおともだち――姫草瞳ちゃんがいるのですから。
「ずいぶん眠そうですね。大丈夫?」
「昨日は、遅くまで起きていたの。夜更かしは、得意じゃないのだけど」
受験戦争を突破してきた私は、もはや徹夜も夜更かしも屁でもありません。しかし、この子は規則正しい生活を守ったまま勉強ができたようです。それはよいことです。
瞳ちゃんは、倒したばかりの頭を今度は私の肩に預けます。
「寝不足は万病の元ですから。今日は早く寝るといいですよ」
「そうね、」
きゃらきゃらと笑われてしまいました。オカタイ女子高育ちの私にとって、なんでもないことで金平糖が弾けるように笑うお嬢さんは久方ぶりのように感じます。彼女は私の袖を引きました。
「それからね、あのね、ユズルちゃん。あたし、早く起きてお弁当の準備したの」
それでね、と素早く鞄の中に手を入れるのです。
「ユズルちゃんの分も作ってきたの。よかったら、一緒に食べようよ」
瞳ちゃんは、何故か照れたように俯きます。
そのしぐさがひどく可愛いらしいのです。どうして、たったそれだけを言うのに照れるのでしょう! うぶなのです。どうも反応がうぶで春らしいのです。それが彼女の可愛らしさどころか美しさをもを引き出して、とても魅力的に見えるのです。だからこそ私は、彼女の側が心地よく、からだを寄せあっていたのです。
そんなときです。
教室の後ろのほうで、ガターンと誰かが乱暴に席を立つ音が響きました。響いただけかと思いきや、なぜか、立ち上がった誰かのごつごつした足音は、こちらに近づいてくるのです。
「乱暴に立つ人もいるのねえ。穏やかにできないのかしら」
と、通路を振り返った彼女は、かちんと固まりました。微動だにしません。手にしたおにぎりだけが、ほろりと崩れました。
なにごとでしょうか。
彼女の目線を追うと、何を見たと思いますか。そこにいたのは果たして、
――王子様でした。それは、紛れもない王子様でした。
生まれ持ったかのように見事に染めあげられた、艶のあるアッシュグレーの髪。そのスタイルは、豊かに流れ、光の粒を撒き散らしているかのよう。鼻筋の通った綺麗で小さな顔、意志の強そうな目。クールでクレバーな雰囲気。
彼を目にした瞬間に、頭の中でメロディーが鳴ったのです。金属をめためたに打ち鳴らしたような、静かな情熱を秘めたミニマルミュージックが。
「それ」が、肩を怒らせて歩いてきているのです。彼に釘付けになっている私たちの、目の、前へ。
生唾を飲み込んで彼を見上げる私と瞳ちゃん。
「聞きたいことがある」
ドラマの刑事のように、彼は机に両手をつきます。私たちは、ビクリと肩を震えさせて、彼に従うしか選択権がありません。女性の美以上に、この男性のもつ美は我々を圧倒します。まさに、美しさとは野獣の牙と同等の攻撃力と支配力を持つ「才能」なのです。
「君は、」と、彼は瞳ちゃんをじぃと見ます。「この人と付き合ってるの」指差す先は、私。
……このお方は何をおっしゃっているのかしら。
頓珍漢な問いが発せられた瞬間に、彼の圧倒も、彼の攻撃力も、どっかに飛んでいきました。妙なことを言い出すものです。大学って怖い。
ところが、瞳ちゃんは違うようだ。ほほが桃色になって、「違います……!」と、お焦りの様子。
……ちょっと、勘弁してくださいよ。新生活早々、親友予備軍の子と王子様の取り合いなんて、サブカル評論家もびっくりのベッタベタの典型的少女マンガ的展開は。
「そう。なら遠慮はしない」
彼は短くいい、私のほうを見ていいます。
「君に一目ぼれした」
数秒の沈黙の後、瞳ちゃんが顔に似合わない素っ頓狂な声(『はあっ!?』)を出すのです。
私の脳は、それをただの雑音として処理してしまいました。なぜなら、私の脳内、目、周辺、そこかしこで花が咲き乱れているのですから!
明らかなことです。
――これは、告白ではないですか!
しかも、とんでもなく美しい殿方からの求愛! こんなに早く、“研究”の成果が出るなんて思ってもみませんでした!
「こちらこそ!」
彼の手をとって叫びました。私の脳内劇場では、花吹雪と虹の共演が見られたことでしょう!
夢見心地で彼の手をとったのですが、この腕に、瞳ちゃんの爪が食い込みました。ピャッと飛び上がりましたよ、もう。
「……待って」彼女は、妙に低い声で言いました。「ゆずるちゃん、あなた……男でしょう?」
……は? 私は黙って首を振り、片手で王子の手を握りながら、もう一方の手で性別つき証明書を見せました。
二人の眼球は、食いつくようにその場所を見つめていました。やがて、ハモるおたけび。
「「女あ!?」」
正しいことを答えたのに、驚いた調子の二人。
それにとどまらず、どうして王子は私の手を振りほどくのでしょう。瞳ちゃんに至っては、もう一日以上の付き合いだというのに、性別を勘違いしているのです。失礼すぎるだろ。
「……今の、なかったことにしてほしい」
王子が額に左手を当てて私に右手でシッシ、とします。どういうことです!
「何でですか! 私は、あなたなら是非ともお付き合いがしたい。私こそ、今、この瞬間にあなたに恋をしてしまった! ナシと言われてはいそうですか、なんて言えるわけがない!」
彼の腕をむんずとつかみ、喰らい付きます。その脇で瞳ちゃんが、私の腕をさらに強くつかみます。だから、爪が食い込んでるっつーの!
「ちょっとぉ、どういうことなのよ。 ユズルちゃん……いえ、アンタ! もうアンタでいいや。とにかくアンタ、あたしのこと、からかったのね」
「それはおかしいでしょ!」
「おかしいのはそっちよ! 初対面の時から、なんでそんな格好してるのよ!」
そんな格好って……。失礼じゃあ、ありませんか!
初対面の時は、従兄のお店で誂えた特製スーツを着ていましたし、今日も従兄に見立ててもらったおニューのシャツとパンツですよ。
そうです、私は男装をしていたのです。
とはいえ、ですよ。
「自己紹介で一々性別なんて言わないですよ」
「解らないわよ。紛らわしい格好しているほうが悪いわ。……それに、この人は男が好きときた」
この人、と瞳ちゃんは王子を見すえました。
彼女の言葉の意味を解するのに、数秒かかりました。
チク、タク、チク、タク、……チーン!
私を男だと思い、付き合ってと言った!
でも、女だと気付いたとたんに振り払った!
「え、えええ? そういうことなんですね⁉︎」
今この場は、三人分の混乱と勘違いで床に穴が空いて、地の底まで落っこちそうです。




