ブルーベルベットのマダム 前哨戦その2
「あ~ら~義くん、この前はどうもぉ~!」
やけに甲高い声とともに、もっさりした頭のマダムが奥から姿を見せました。
想像通りの「マダム」でした。茶色で、強めのパーマがかかった肩より少し短い髪、濃い化粧、指輪でごてごての手。豊満な肉体は、滑らかそうな生地のワンピースなんだかドレスなんだか、微妙なラインの服にねじ込まれています。この人、絶対ケーキ作る人ではありません。オーナーです。
「この前は、バースデーケーキありがとうございました。マジ美味しくて、俺、親父の分まで横取りしちゃったんスよ」
「じゃぁ、義くんの誕生日にはもっと大きいケーキをサービスしちゃうから!」
「マジッすか、嬉しいです。俺、パリブレストがいいです」
「まかせて。義くんはシューが大好きだもんね」
ツン☆と、千堂の鼻を指でつつきました。ぞっわあああ……。
この人、ぜえったい、若い男の子が大好きです……。瞳ちゃんを連れてこなくて本当によかったです。
千堂も千堂で、「素直でちょっとおバカな青年」を演出しています。あ、馬鹿は元々でした。
千堂と話しながら、私をチラッチラ見てくる彼女の視線は、なんだか粘着質で居心地が悪いです。
さっさと目的を果たして帰りたくなってきました。
「ところで、この前、俺と一緒に来ました白鷹はどうですか」
「ああ、夏生くんね? いい子、すごくいい子よ。義くん、いいお友達をもったわね」
「そうですか~良かった。うまくやってますか?」
「ええ、もちろん。……実はね、お客様に人気なのよ。このお店、女性のお客様が多いでしょう? 『白鷹くん可愛いわ~。つい見たくって買いに来ちゃう!』ってね」
と、小さな声で囁くマダムの笑みは、まごうことなき「経営者」のものだったので、私はほっと胸を撫で下ろしました。お店のマスコットボーイを自ら傷物にするはずがありませんから。
これで、私の敵情視察の目的は果たせたことになります。
そうして、マダムは世間話を一通りしますと、奥に戻ろうとしましたが、不意に振り向きました。「ね、黒髪の貴方」
うっわあああああああああ! 目ぇ付けられましたぁぁあぁ! ばれたんでしょうか、女の敵センサーに引っかかってしまったのでしょうか。
「……うちのシュー・ア・ラ・クレムは絶品なの。気に入ったらまたいらしてくださいね」
何、なんなのだ。何の意図がこめられた言葉なんだ!?
「貴方、可愛いわ。余裕があったら雇っちゃいたいわ。夏生君と並んだら素敵でしょうね」
勘弁してください。彼女は、またバチンと片目を瞑って見せると、奥に消えました。
とりあえず、変なマダムだということは分かりまして、すごすごと私たちも店を出て行ったのです。
◇
「ふう! 任務完了です。(たぶん)心配なかったです」
「じゃ、ベスト3のケーキはもらうぜ」
「どうぞ。あ、シュークリーム1つは僕の分です」
千堂は箱を手渡してくれます。
「……今食べていいですか?」
「歩きながら食うなよな。どこかに座れよ」
と呆れ顔の千堂はきょろきょろとあたりを見渡しますが、この辺は住宅街ですし、椅子なんかその辺に在りません。というか、一々座ってられますか。シュークリームはすぐにぱくつくのが一番美味しいんです。そのままかぶりついた私に、千堂は「可愛くねぇな……」と。
「今の僕は可愛く在る必要は無いのです。と言うか、貴方の前で可愛くてもね……」
「うるせえよ変態。貴重な時間を分けてやったんだ、大人しく俺に頭下げやがれ」
千堂は、ごつい手で、ぐいぐいと私の頭を下に向けます。そのはずみで、クリームが一部、ポタリと落ちてしまいました。
「あ、お前、クリームこぼしてんじゃねえよ!」
「あ。」
「『あ。』じゃねーよ! どんだけ美味いクリームだと思ってんだ、バチあたんぞ」
って言うか、お前のせいでしょう! おまけに、千堂が、私の頭をパカーンと叩いたので、シュークリームはぐちゃりと鼻に激突しました。
「……千堂」
「……スマン。でも、俺のシュークリームはやらん!」
恨みがましく見上げた私に対しても、半笑いな彼には殺意がわきました。そのケーキの箱、道路に投げつけてやろうかしら。
鼻をティッシュで拭きながら、私は尋ねました。
「ところで千堂は瞳ちゃんから手を引いたんですか?」
「だって、許婚いるんだろ」
彼の返答はズイブンクールなものでした。予想していたといえば、していましたがね。もし僕が君の立場だったら、だったら諦められません。やっぱり、ハンターは引くのも早いんですよ。動物の猟とは、目標をさっさと変えないと餌にありつけないで死んでしまいますから。
「どうにかなるもんじゃねえって」
……ん? でも、じゃあ、何で。コイツはいつまでも瞳ちゃんに付きまとうんでしょうか?
「だったら、さっさと別の女のケツ追いかけたらどうです」
「あのな、おれ、姫草が好きなの」
「でも、振られたんでしょう? 諦めたんでしょう?」
「あのさ、終わったら、離れなきゃなんねぇの? 気持ちまで捨てなきゃならねえの? ……無理だろ」
今、思うことは色々あります。千堂が意外に一途だということ。(その余裕は、他のところに餌の供給源があるからだとも思えますが。)
諦めるのと離れるの、それはまた別次元なのかしら、ということ。
そして、千堂が言ったことは、不本意ながらも私にとっても真実だということです。気持ちを捨てるなんてどだい無理な話です。我々はコンピューターのように削除や上書きなんてできないんです。どこかにこころのゴミ箱があればいいのに。
「……そうですね。無理ですね」
「だろ!? 相手の都合なんか知らねーよ。それに、俺らトモダチ~」
そういって、いつものように馴れ馴れしく私の背中をバンバンと叩きます。
「千堂。今の貴方の言葉は、いささか、僕の気持ちを救いました」
少し驚いた顔をして私を見下ろした後、「へへ」と、そう笑って、彼は頭の後ろで手を組みました。
「……千堂のくせに」
すかさず彼は激烈な一発を私の脛にお見舞いしました。堪らず、うずくまって涙目で見上げた空は、茜色です。まもなく、風は雨雲を連れてきます。私の大好きな季節、梅雨が始まります。




