二人もたまには険悪になる。
とか、そんなことを考えていると、葉月に小突かれた。
「どうしたの、ボケっとしちゃって。情けないね、一晩で骨抜きにされちゃってさ」
そういうわけじゃないっての。弟の朝帰りに直面して、まだ角が立ったままの葉月はちくちく責め立てる。
「頼むからもうその話やめようか。兄弟でする話じゃないよね」
「僕じゃなかったら誰と話すの?」
「俺一人でしまっておく事」
じと、っと睨みつけてきた。……あれ。やっぱり、時雨さん関係はこんな風に険悪になるのか。
「むっつりめ。……もうやめたほうがいいと思うけどな、時雨さん。誠実じゃないよ、あの人。つかみどころ無くてさ、すぐ行方くらますし」
行方くらますのは、仕事の性質上仕方ないとは思うけど。
煮え切らない俺の態度に、葉月は苛立った様子だ。葉月は何でもはっきりした奴だ。俺みたいな奴、つまり、引きずられては傷ついての繰り返し、そんなうじうじした奴は嫌いなのかもしれない。
「盲目過ぎるよ夏生は。楽しむだけならいいよ? でも、がんじがらめになっちゃてさ、バッカみたい」
楽しむだけ? 楽しむだけってどういうことだよ。何したって、俺は足りない。
「それに、時雨さんだって何時まで僕らの叔父でいられるか、お世話を焼いてくれるかなんて分からないのに。もう祖父様も祖母様も、随分歳を召していらっしゃる。いつ、僕らの縁が切れるか……」
それでいいじゃないか。他人になったほうが都合が良い。少なくとも、親の監視はなくらるんだから。随分前から、思っていたことだ。
「……一生時雨さんの傍にいるなんて出来ないんだから」
「もういいだろ。葉月には関係ない」
葉月を振り切るようにしてキッチンから出る。
なんで。なんで放っておいてくれないんだよ。俺はお前の恋路だろうが、遊びだろうが、全部、見てみぬふりしてやってるだろ。それどころか、お前は何でも楽しそうにしてるから、俺の出る幕はないんだ。
「そんなこと言ってるから苦しむんだよ! 二人、今までずっと付き合ってなんかいないじゃん」
痛いところを突かれた。まったく、今日は辛辣だ。勝手に、時雨さんの気持ちも確かめずに、彼にぶら下がっているのは事実だった。
「いいようにからかわれてるんじゃない? ……時雨さん、夏生のこと好きだなんて言ったの?」
「……やめろって」
さらに、去ろうと足を踏み出した腕を掴んで、葉月は俺を逃してはくれなかった。
「それに、あの人、絶対軽いよ」
「やめろよ葉月!」
葉月に背を向けているけど、彼が意地悪く笑ったような気がした。ぞわりと寒気が這い上がる。
「……僕にだって平気で手出してくるんだからね」
最低だ。――気づいたら思い切り葉月を張り倒していた。
葉月の呻きで我にかえる。頬を押さえて、床に倒れこんでいた。
とっさの「ごめんね」も発音できなかった。助け起こそうと手を伸ばすと、葉月はそのまま力いっぱい俺の腕を引っぱった。勢いあまって葉月の上に倒れ込んでしまった。口から一筋の血を流している葉月は、憎まれているんじゃないかと疑うほど、冷たい目をして俺を見据えた。
震えた、低くて聞き取りにくい声で、呟いた。
「……自分だけ報われないようなツラしちゃってさ、」
「じゃあ葉月はどうだッてんだよ。人のこと勝手に詮索するくせに、自分のことは何一つ言わないじゃないか」
何もないからだよ、と機械的に答える。
「どうしてみんな、誰かをそんなに好きになれるかな。恋愛なんかより、僕は、僕の野望の方が大事なだけだよ」
言葉の後半から、いつもの可愛らしい笑顔にすり替わる。作ってるのだろうか、明るさを。
なあ、葉月。じゃあ、何でお前まで家を追い出されるような不始末をしたんだよ。どうして大人しく父親の言うことを聞いていないんだよ。お前は何でも器用にこなしてただろう? お前、本当は、一体何と戦ってるんだ? 分からない。いろいろぶつけたい疑問符をぐっと飲み込む。葉月の笑顔に調子を合わせてやる。
「悪かったな、俺は色ボケ小僧で」
「……ほんとはね、時雨さんは僕に手出したりしてないよ」
疑わしい。
「葉月が嫌がるからちょっかい出すんだよ。時雨さんがお前をからかうのを見るのは、俺、嫌いだ」
「夏生が嫌がるからじゃないの?」
そうか? いずれにせよ、あの人はひねくれていて意地悪だ。本当は何を考えているのかだなんて、詮索するだけ無駄だ。ひくほど複雑な事情があるかと思えば、死ぬほど単純だったりする。
「……僕、本当は羨ましい。」
少し戸惑って聞き返した。「何が、」
「そうやって夏生は穣にも時雨さんにも愛される。」
……バカ言うなよ。人に愛されるのは、お前、葉月の方だ。
そうして、俺たちは座り込んだまま、額をつき合わせて小さく笑っていた。葉月の口元を汚した血を、俺は手でふき取った。「……ごめんな」
でも、葉月。馬鹿なのはお前だよ。
たくさんの人に愛されてることが分からないなんて、本当にお前は馬鹿なんだ。本当は、自分だけへの、独占欲にも似た強い愛が欲しくて欲しくて、みんなの愛が見えていないんだ。
バカバカバカバカバカバカ。どんなに良い子ぶろうがどんなに腹黒くみせようが、そんなの意味なんてない。そんなの気付かない人間なんていない。そのまんまのおまえが、誰の目にも曝されてるんだ。そんなおまえが、愛されてるんだ。
ぺたりと座り込んだままの葉月を引っ張りあげ、すっかり遅くなってしまった朝食の準備を始める。葉月も俺に並んで、自分の使った食器と、甘川のタッパーを洗う。
と。……そういえば。
「なぁ、葉月。この前、家に泊めた高校生と、なんかあったの? 普通の子っぽかったけど」
「……何の話?」
とぼけてやがる。
「葉月は帰りが遅いから会ったこと無いかもしれないけど、あの子、お前を訪ねて来るんだけど」
何か弱みを突けたようだ。葉月は、食器を洗っていた手が完全に止まって、不細工に顔が引きつっている。
「……ふぅん。なるほどね。葉月にしては、下手打ったね」
葉月はいつも、後腐れしない、同類の人間にしか手を出さなかった。
「元はと言えば、夏生があの子を泊めるなんて言ったから! 僕の好み分かってるくせに」
「いや、『元はと言えば』全部甘川が悪いでしょ。」




