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乙女地獄で桜咲けり!  作者: 黒檀
第三章
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夏生の御袖の時雨もながめがちにて…… その1


 自室がある階まで、エレベーターは一定の速度で上がっていく。4階、突き当たり奥の角部屋407号室。


 葉月は最上階がいいと駄々をこねたが、俺たちはそんな無駄遣いをしている場合じゃない。第一、最上階と四階の違いって大したもんじゃないと思う。眺めが良くなって、上階に人がいない、ってだけだろう。湯水のように金を使う葉月は、親父の会社を継げる気でいるんだろうけど、俺は無理だと踏んでいる。第一、経済観念の無い奴が、億だの兆だのといった金額を誠実にまわせるはずが無い。しかし葉月のことだ。俺と同じだけの仕送りを受けていながら、あの派手な使いっぷり。何か投資でもしてるんじゃないかと思う。危ないことにならなければそれでいいけれど。


 エレベーターは音も無く4階で止まる。鞄から鍵を引っ張り出す。多分、家は開いてない。葉月はサークルや男遊びでいつも帰りが遅いので、俺が先に帰ってくることがほとんどだ。今日も俺が先だろう。


 サークルといえば。

 数日前、甘川に、一緒にサークルに入らないかと誘われたが、断った。

 大人数とつるんで、活動したり、酒を飲んだり、喋ったり。なんだかんだ活動内容は違っても、結局みんだで集まることに主軸が置かれているように思う。集団での人間関係に気を遣わなければいけないことが、煩わしい。そうやって、つい、様々な事物を自ら遠ざけてしまう。

 ……これって、社会性が無いって言うのかな。


 閉鎖的な自分に対して、葉月は社交的で活発だ。今は写真の同好会みたいなのに入ってせっせと写真を撮っている。確か、服飾系のサークルにも顔を出していたような気もする。人脈作りも手を抜かないヤツだ。可愛い子ぶって計算高い。可愛いから無条件で愛される。かといって、俺は葉月になりたいとか、あいつが羨ましいとかは無かった。

 自室の鍵を開けようと差し込んだところで、小さな紙がドア下部の隙間に挟まっていることに気がついた。

 なんだこれ。

 二つ折りのメモを開いたとき、あまりに急な心臓の反応に、どっと汗が吹き出た。


 電話番号と、殿宮時雨、という名だけ。


 おそらく携帯電話だ。

 震える指で、ボタンをを押すものだからなかなかうまくいかない。うまくいかないから、いらいらして余計に焦る。何度目かの入力でやっと打てた番号に電話を入れる。

 あまりの安堵に、ドアにもたれて座り込んでしまう。

 呼び出し音がやけに大きく聞こえる。

 どれくらいの秒数待ったかも分からない。

 急に、いつものあの低くて優しい声が聞こえてきた。


「はい、殿宮です」


 よくわからない音を発すると、時雨さんはすべてを了解したらしい。了解した上で、聞く。


「ああ。……どっちだ?」


 あったかい、でもかさかさした声が、砂漠に染み込んでいく。染み込んでも、余計に乾くだけだ。雫を落とされれば落とされるほど焦がれて、乾く。

 ――もっとだ。もっとその声が聞きたい。


「わかってるくせに、意地悪です」

「お前は、からかうと可愛いんだ。なあ、夏生」

「葉月より?」

「……お前は葉月が大好きだな」


 時雨さんは呆れたように笑った。僕がじゃない、貴方が葉月を好きなんだろう。


「時雨さんがでしょ」

「お前がいつも葉月葉月言うから合わせてやってるんだろ」


 低い声で、吐息が漏れるような笑いがあった。


「そうかな。この前、葉月に何かしたでしょう?」

「さぁ? 葉月クンはお前に何も言わなかったのかな?」


 彼のペースに飲まれちゃ駄目だ。言うべき事と、問うべきことはキチンと言うんだ。はぐらかされる前に。


「僕だって間抜けじゃないです」

「何言ってんだ。夏生は間抜けだから可愛いのに」


 またそうやって話をごまかそうとする。ごまかすくらいなら、電話番号なんて置いていかなければいい。そうすれば、俺はなんとか一人でもここで立っていようと思えるのに。諦め切れるかもしれないのに。


「……どうしたんですか、今更、電話番号置いていくなんて」

「お前たちが勝手に番号変えたからだろう」

「時雨さんこそ。繋がらなかった」

「だから、その紙を置いてった」

「僕らの番号は、伝えたはずですけど」


 電話口の向こうで、時雨さんは思案するように黙っていた。……ああ、この調子では、彼に連絡先が伝わってなかったのだろう。


「……やられたな」

「父さんでしょう、どうせ。じゃぁ、ここしばらく僕らのことを放っておいたんじゃなくて、分からなかったんですね」


 時雨さんは、自分の義姉、つまり俺と葉月の親を悪くは言わない。決して。


「僕がちゃんと直接伝えるべきだった」

「無理だったろ」


 あなたに会えない間、干からびてしまった。


「……時雨さん、」

「なんだ」

「……会いたいです」

「どうした。この前はあんなにツンケンして追い出したくせに」

「追い出してません。いつも貴方のほうが勝手に来て、勝手に出て行くんだ。それに、この前は放置されたと思ってたから……少し、すねていた」

「また今度、葉月もいるときに出直す」


 今更大人ぶって。葉月なんていなくていい。


「嫌です。今会いたいです」

「馬鹿か」

「馬鹿じゃありません。……今日は、葉月、家に帰ってくるの遅いんです、だから、」


 はっきり誘えない。いいことなのか悪いことなのか、もう、ぐちゃぐちゃだ。


「俺を呼びつけるなんていいご身分だな」


 やんわりした拒絶。そう思った。


「……すみません。忙しいですよね。忘れてください、今の。また電話していいで、」

「お前が来い。中央図書館にいる」


 俺の話している最中に割り込んで、ぶっきらぼうにそう言うと、時雨さんは急に電話を切った。

 いつの間にか、震えは止まっていた。勢いよくドアの前から立ち上がり、駆け出した。部屋に荷物を置くことも忘れて、帰ってきたときのまま、エレベーターに乗り込んで、再び地上に降りていった。



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