穣と葉月が出会ったら。
姫草と千堂のデートを無理やりセッティングし、彼らをニコニコ見送って別れたのだが。彼らが背を向けた瞬間から、ガラスの仮面を引っぺがす勢いで顔を青ざめさせた甘川だった。話がある、と言って、帰ろうとした俺を無理やり引き止めるのだ。そして無理やり、帰り道までまとわりつき、その流れで甘川は俺のマンションまで乗り込むことになる。
乙女を自称しておきながら、なんという慎みのなさと図々しさなんだろうか。
そんなこんなで、俺の部屋で、甘川は騒いでいた。
「協力してください。お願いします。ホラッ! このとーり!」
甘川は額を床にこすり付けて、まるで蛙のような土下座をしている。どの通りだよ。
自分で提案しておいて、顔を真っ青にするほど心配するなんてどうかしている。俺は承知しなかった。
「まだ駄々をこねますか、夏生ちゃん」
だって俺、この件に関係ないだろ。駄々もくそもない。
「いいえ! 言い出したのは僕ですが、もし、瞳ちゃんの身に何かあったら、どうしましょうと気が気じゃないんです」
「責任を自分で取れる範囲のことをしろよ」
そういってやると、甘川は落ち込んだようにしゅんとなる。そんな態度になられると、こっちとしても分が悪い。さすがに「責任」って言葉を使うと、俺のほうが大げさすぎるかも。
ため息をついて、俺は甘川に向き合った。
「もう守るものも無いんじゃない、あの子。大丈夫だって。お前は年頃の娘を持った父親かよ」
「でも、駄目です、放っておいちゃ駄目なんです」
「いいんじゃない? 嫌よ嫌よも好きのうぐにゅっ……」
血走った目の甘川は、俺の両頬を片手で挟んだ。
「わかってませんよ、貴方。私は瞳ちゃんの心配をしているんじゃありません。貴方の心配をしているんです。もし瞳ちゃんが辱めを受けたなら、そのとばっちりは私たちに降り注いでくるのは、先刻承知でしょう……?」
……ええええ?
関係無いはずなのに退けない状況になっている俺。
「協力してくれますね? この際、ナツキちゃんの筋肉の無さはかまってられません」
「お前、俺を巻き込んでいながら、非常に失礼な子ですね」
「一人より二人、ですからね」
なぜか楽しそうに言う甘川。最初から、俺を巻き込むつもりだったんだ。
「……ふうん。面白そうだね」
俺でもない、甘川でもない声が部屋に響く。
「でも、三人ならもっと心強くない?」
……最悪だ。俺を振り回す三大人間のうちの二人が人出くわしてしまった。
兄の葉月が、部屋のドアに寄りかかり不敵な笑みと共に俺たちを見下ろしていた。不覚だ。
「葉月。いつ帰ってきたんだ……」
「今だよ。ただいま」
葉月はたくらみ顔でにっこり笑う。どうして今日に限って帰りが早いんだ。遊びはどうした。
「お……お兄さんですか」甘川は目を輝かせる。
葉月はにこやかな挨拶とともに、歩み寄って手を差し出す。甘川も手を差し出して近づく。
「甘川穣です」
握手したなり、葉月が妙な顔つきで固まった。しかし、すぐに明るい顔つきで俺を振り返る。
「ああ、夏生。この子誰かに似てると思ったら、し……ムグゥっ」
俺は咄嗟に葉月の口を塞ぐ。俺に押さえ込まれた葉月が不満の声を漏らしている。誤魔化さなきゃ……。ああ、こうやって面倒な気を回さなきゃいけないから、葉月と甘川が鉢合わせるのはいやだったんだ……。
「葉月、歯に海苔が付いてる。可愛くない。可愛くないぞ。さ、鏡見てこよう」
面食らっている甘川にくるりと背を向けて、葉月を引きずるように部屋を出る。葉月を連れ込んだのは脱衣部屋だった。鏡台の脇に座り込んで小声になる。俺は、葉月が口を開く前に手で制した。
「葉月の言いたいことはわかる。でも黙っててくれ。あいつに時雨さんのこと知られたら、何て騒ぐか!」
そう。
甘川は、時雨さんの昔に似ているのだ。俺たちの共通の記憶。葉月も気付くほど似ている。
そんな、焦った俺を静めるような声で葉月は聞く。あの子は誰? とか。単純な意味しか含まれていない質問だとは、さすがに思わない。
「勘違いするなよ。あいつは女だし……。初めて会った時、俺が思わず話しかけてしまったんだ」
告白までしてしまったのはだまっておいた。
「ああ、なんだか読めてきたよ」
「読むな」
睨むと、葉月はくすくすと笑った。今度は何の含みもない笑いだ。
「……驚いた。あの子、昔の時雨さんにそっくりだよ」
「あいつが時雨さんに似ているせいでヘマをした。で、今はなんとなく友達になった」
葉月は、優しい目をして、俺の頭に手を置いた。
「夏生は、時雨さんのことになると馬鹿になるからね」
「わかってる」
「でも、僕が言いたいのは……、」
少し言いにくそうに淀む。
「あの子が夏生を好きそうだ、ってことなんだけど」
「……いつから話聞いてたんだよ」
「最初から」
「冗談だろ。あいつはそういう冗談を気軽に言うから。俺と違って」
「違うよ、夏生。目でわかるんだ」
そう言って、葉月は立ち上がった。
「お茶でも用意するよ。ね?」
手を差し出して、俺を立ち上がらせてくれる。
「……あの子、女の子なんだよね」
眉を下げて微笑んだ。でもすぐに、目を伏せて哀しい表情をした。
「夏生は応えてあげられないのにね」
◆◇◆
部屋に戻ると、俺のベッドの下を覗き込んでる甘川がいた。こいつは……。葉月とシリアスな話をしてきたばかりだというのに、背骨の力が抜けてしまったような気分だ。まったく、緊張感ないやつ……。
「甘川、何してるの」
「健全な男子は寝床下に不健全なるものを隠していると聞いたもので」
「変態。もう二度とうちの敷居をまたがせないからな」
部屋のドアが音もなく開く。
「何かあった?」
また、俺でも甘川でもない声。彼は足でドアを開けながら、お盆を手に持ちやってきた。
「ハーイ。葉月くん特製麦茶でーす」
「ありがとうございます、お兄様!」
麦茶とは、夏を先取りですねえ、なんて内容のない話題で二人は盛り上がる。二人とも、人の懐に入るのは早い奴だ。このうち解け具合にも納得するけどさ……。
甘川と葉月。この二人が打ち解けていくことが、俺の日常を脅かすものにならないと良いんだが。