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乙女地獄で桜咲けり!  作者: 黒檀
第二章
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若き夏生の悩み



 時雨(しぐれ)さんは、無機質で生活感のない俺のベッドに座って、俺の帰りを待ち構えていたように思えた。


「なんで……」


 助けを求めるようにあたりを見渡したけど、この部屋には、この人と自分しかいない。

どこかにはいるはずの兄だって、一切の物音をたてない。この男と二人きり、世界に取り残されたような静けさだ。腹の底がこわばる気がした。

だから俺は、苦し紛れにまた言った。


「……なんでだよ」


今更。と続けたかったのを、すんでのところで飲み込んだ。

時雨さんは、ははっ、と乾いた声で笑った。それに合わせて、心臓がどくんと脈打つ。


「どうした、首絞めた鶏みたいな声出して。幽霊でも見たような顔してるぞ」

「だってほんとに幽霊でも見ている気分だ」


 なんだよそれ、と苦笑しながら時雨さんは立ち上がる。俺は、気付かれないほど小さく後退する。


葉月(はづき)は俺に飛びついて喜んだぜ。お前は、久しぶりに叔父に会えたってのに、嬉しくないのか」


 叔父といっても、そう歳も変わらない青年だ。

改まったようにからかってくれて、憎らしいじゃないか。


「葉月があなたにしがみつくはずない。だって葉月はあなたのこと嫌いだ」


 半分は自分に言い聞かせていた。葉月は時雨が嫌い、だということを。その逆は、天地がひっくり返ってもありえないから。


「まったく、可愛げがないな」


 時雨さんはまだ笑っていた。

とたん、悔しくなる。

バカ正直に冗談に答えることなどなかったんだ。冗談だと解っていながらまじめに答えたのだから、自分が悪いけれど。

 彼と本気になって向き合っても、いいように丸め込まれてしまう。まっすぐ刺さった視線を引き離したい。彼に背を向ける。両手の力をやっと抜いて、買い物袋を降ろした。手は震えていた。荷物が重かったわけではない。緊張なのか、怒りなのか、不安なのか。のた打ち回る言いようのない感情のせいで、体が思い通りに動かない。


「夏生、」


 もう一度、時雨さんは俺の名を呼んだ。さっきの射すくめるような感覚はもう無い。どういう表情しているかはその声で想像がつく。

俺は彼を許してない。

何事もなかったかのように現れた時雨さんに、期待通りの反応をしてはいけないんだ。

自制しろ。

自分の弱さも、バカさ加減も、嫌と言うほど知っている。憎いと思っていても、顔を見れば簡単に赦してしまうことも。

 

時雨さんの、小さくもらしたため息が聞こえる。諦めるような。俺もまた、小さく息を零した。

そんな俺の脇に、彼はすっと体を通した。俺はぎくりと硬直する。


「買い物してきたのか。めずらしいな」


時雨さんの目的物は、俺の買い物袋だった。

 断りも無く紙袋を(あらた)めようとする。彼が体を移動させるたび、自分の肩がびくりと跳ね上がった。時雨さんは、何も気付いていないふりをしてそばに立つ。


「ああ、いい靴じゃないか。お前の買い物にしては上出来だ。いつも葉月のお下がりを着てる夏生がなあ。進歩したもんだ」


彼は、買ったばかりの靴を片手に持ってくるくると全体を眺め見る。


「……返してください。クローゼットに仕舞います」

「おいおい、そう急くな。せっかくだから、今着てみろよ」


 時雨さんは、シャツを押し当ててくる。カッとなって手を払おうとしたら、肩透かしを食らう。


「冗談だって」


時雨さんは少し退いて笑っていた。彼はシャツのタグを見て呟く。


「三日月、ねえ。ロマンチックな名前だな」


 黒字に銀の糸で店名と月が描かれている。俺はそれに気が付かなかった。タグもおそらく敬之(けいし)さんのデザインだろう。


「ひょっとして、好みの男だったのか」


 急なその言葉に、とっさの切り返しが出来なかった。図らずも目が反応し、大きく見開いたはずだ。時雨さんは、そういう反応を見逃さない。


「あたりだな」


でも、言ってることや解釈はトンチンカンだ。バカなのか、あなたは。

彼はシャツをクローゼットのノブに引っ掛けた。


「そうでもなければ、お前が服を買うなんて珍事が起こるはずもない」

「違います。俺はそういうこと考えていません」

「そういうこと? ……はっきり言えよ」


 彼はもう笑っていなかった。


「だから……、好みだとか、どうとか。そんなことで買ったんじゃありません、俺は」


時雨さんは何も言わない。俺の言葉をまだ待っている。だから少し早口になる。


「……少し、自分を変える気になった、それだけです」時雨さんはまだ何も言わない。弁解しているように聞こえるのは承知で、続けて言う。「それに、その人は友人の兄です。だから、なんでもないんです」

「自分を変える。……ふうん」


時雨さんが興味をもったのは、言い訳じゃなくて、自分を変える、ということのほうだった。でも、深い意味があったんじゃない。

 そんなことより、と続けたくても、続ける勇気が無い。俺はうつむいて手を弄んだ。


時雨さんはベッドから立ち上がり、微笑む。


「べつに根掘り葉掘り聞き出したいわけじゃない。お前はすぐ深刻になる。なにを怯えているんだよ」

「……俺は葉月じゃないから。冗談のセンスなんてないんです」

 

 自分で葉月、兄の名を出しておきながら、兄のことを話題にしたくはなかった。

 でもさ。

 あの兄の靴はいったい? 何があった?


「……葉月はどこ?」


 時雨さんの目から逃げるように、廊下へのドアを開けた。


「あいつは出てったけど」


 何の裏もない言い方だった。興味がなさそうというか。


「でも靴があった」

「靴なんて、俺が知るか。別の靴でも履いて出たんだろ」


今ここにいないのか。その事実に、いろんな思いが寄せては消えた。

 自分が来る前に、二人は何か揉めたのだろうか。時雨さんと、兄の葉月は、よく軽口を叩き合う仲だった。葉月のほうが、本気で怒って時雨にくってかかることもよくあった。

 うまく納得できないでいたが、時雨さんは伸びをしながら部屋を出て行く。


「さて、俺は用が済んだから帰りますっと」

「用? 何もしてないじゃないか」

「したよ。お前たちに会えた」


 お前たち、と俺は小さく口にする。


「お茶も飲まないの、」

「いらん」


 不意に時雨さんは立ち止まり、こちらを振り返って頭に手を伸ばしてきた。


「……お前たちを放っておいて悪かった」


 俺の好きな、優しい目の色になって彼は言う。

バカだな、おれは。もう赦してしまっている。


「悪いと思うんなら、態度で示してくれよ……!」


 目を見ては言えなかった。ふっと笑った気配だけが伝わってくる。


「桜、頭にくっつけてるぞ」


 時雨さんは、俺の頭に軽く触れ、桜の花弁をつまんで見せてくれた。

 桜のせいで、言いたい我儘を飲み込むしかなかった。穏やかになった彼の眼を見上げ、ありがとうをやっとのことで言う。


 すっ、と彼は出て行った。

 何の前触れも無く現れて、帰る時はこちらの虚を突いて帰る。いつも狐につままれたような感覚を味わわされた。飄々としていてつかみどころがない。


 リビングに戻ると、札束が入った分厚い封筒が置いてあった。


「用って、これかよ」








 その夜遅く、床についてどれぐらい経ったときだったか。

 酔っ払った葉月の声と、宥める様な、知らない男の声が聞こえてきた。葉月が帰ってきたようだ。


 だが、その後すぐに眠りに落ちてしまい、翌朝起き出した時にはもう、リビングに葉月一人がいるだけだった。





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