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99.魔法少女と明日への約束

「……ん、うぅ……」


 結衣が重たい身体を引きずって目を開けたその場所には、文字通りに何もない。

 世界の全てがまっさらに漂白されたかのように当てもない白だけが無限に広がっているその空間が、少なくとも現実ではないということだけは、すぐに理解できた。


「……私、死んだのかな」


 呟きながら右手を何度か開閉してみるが、そこには確かな感触があって、血液が身体の中を巡っている感覚も残されている。

 死んだというにしては生々しく、生きているというにしては現実感がない。

 結局自分はどうなったのかと、途方に暮れながら結衣はただ、鉛のように重い身体を動かして、この全てが白く漂白された空間を彷徨い歩く。

 ぴちょん、と、足を踏み出す度に、結衣は何か、雫が零れ落ちるような音を聞く。

 それは自分の身体から零れ落ちているのか、記憶から零れ落ちているのか判然としなかったものの、一つ一つ、跳ねる滴がまっさらな空間に浮かび上がる度に、結衣はそこに懐かしい景色を見る。


「……お父さん、お母さん、芽衣……」


 シャボン玉のように形を変えた雫の中では、かつて、敵星体が地球に現れるまでに過ごしていた親子での他愛もない時間が切り取られていた。

 そうしてふわふわと浮かぶ泡沫に触れようと結衣は手を伸ばしたが、それはひとときの楽しみにも似た泡のように、ひとときの喜びにも似た水のように、指の隙間をすり抜けてしまう。

 覚えている。

 あれは確か、庭でバーベキューをした時の記憶だったはずだ。

 しかし、それを掴むことは、選び取ることが結衣にはできない。

 釈然としない感情を抱えたまま歩き続ければ、その度に記憶の泡沫が宙に漂って、静謐な空間に、どこかから聞こえるピアノの音だけが響き渡る。

 初めて魔法少女になった時の記憶。

 3年前の戦いで鉄火場に立っていた時の記憶。

 浮かびあがる泡沫の中には、今の「小日向結衣」を構成する記憶が封じられていたが、しばらく歩いていると、それも様子が変わってくる。

 例えば、敵星体がこの地球に現れることなく大人になって、「スティア」と名付けた子猫を拾った時の記憶。

 結衣はその記憶に覚えなどなかった。

 だが、それを結衣は知っていた。

 記憶になくとも、あり得ないことであったとしても、それは確実に存在していた未来の一つなのだと、結衣は直感的にそう理解する。


「そう、ここには全部があるけど、全部がない……」


 声が聞こえたのは、どれくらい歩いていたかわからないほどに、重たい足を引きずりながら、少なくとも新星暦の世界を生きる結衣には存在しない記憶の森を彷徨っていた、その時だった。

 シャボン玉の中に浮かぶ数々の記憶の終着点にして、自分を誘うかのように響き続けていた美しく、哀切なピアノの旋律。その原点となる場所に、彼女は──スティアは、佇んでいた。


「……スティア……」


 これが夢なのか現実なのか、いよいよ結衣にはわからなくなってきたが、少なくとも目の前にいるスティアは本物であると、彼女の虹のプリズムを宿す瞳が、そしてこの世界そのものが、結衣にそう語りかけてくる。

 全部があるけど、全部がない。

 つまりはどういうことなのか、と結衣が頭上に疑問を浮かべれば、世界がそれを教えてくれる。

 ふわり、と目の前を漂ったシャボン玉の中には、結衣と芽衣、そして養子として迎えられたスティアが三人で、他愛もない会話に興じている情景が映っていた。

 それは身に覚えのない記憶だが、その可能性を──「あったかもしれない未来」という空想を、結衣はよく知っている。


「空想じゃない。結衣……ここにはね、あったかもしれない、全部の可能性がある」

「……パラレルワールド、ってこと?」

「結衣たちの言い方だと、きっとそうなる……世界は無数に分枝して、無数に存在し続けている」

「……そっか」


 その無数の世界の中で、自分が生まれたのは相当に運が悪いところだったのだろう。

 結衣は漂う泡沫の一つ一つを見つめながら、それでも生きていられただけマシなのかもしれないと、芽衣を庇って自分が死んだ記憶に触れる。


「……ごめんね、スティア」

「結衣……? どうして、謝るの?」

「……私は、スティアを最後まで信じられなかったから。あの時、スティアは……私に、さよならって、エリュシオンの巫女じゃなくて、スティアとして言ってくれたのに、私は……」


 引き金を、引いてしまった。最後まで、スティアを信じられなかった。

 だから、ごめんね、と結衣は頭を下げる。

 もしも次、スティアに会うことがあったらそうしようと決めていたことだった。

 まさかその再会が、この奇妙な空間で果たされるとは、思ってもいなかったが。


「……ううん、結衣。謝らなくちゃいけないのは、スティアの方。スティアは……それが使命だったから、多くの人の命を奪った」

「……スティア」

「だからね、結衣が撃ったのは……悪くない。エリュシオンの巫女は、傲慢だから」


 文明の良し悪しを、命の良し悪しを一方的に切り分けて、悪しきと判断した者を殺し続けることで、浄化は果たされる。

 かつて銀河に存在していた、星史文明エリュシオンは地球人と同様に、互いに憎み合い、争い続けてきたことで衰退していった。

 だからこそ、生き残った「巫女」のオリジナルに相当する存在は、その誤りを疑うことなく信じてしまったのだろう。

 銀河に種を撒き続け、いつか善なる者が生まれてくるまで、悪しき芽を積み続ける。

 その傲慢なやり方を、何代も何代も自己複製と、敵星体を生み出す遊星兵器という終末装置に頼ることで重ね続けてきたのが、星史文明エリュシオンの末路だった。

 とうとうと語るスティアの声音には申し訳なさと、その愚行を恥じ入る心が滲んでいる。

 結衣は星史文明エリュシオンとやらの事情を知らない。

 それでも、スティアもまた自分と同じように、一つの星にその運命を狂わされた存在なのだと理解することはできた。

 言葉もなく、細い身体を抱きしめて、結衣は互いの過ちに、そして結衣が結衣である限り、スティアがスティアである限り、避けては通れなかったこの世界の運命に涙を零す。


「……スティア……ごめんね……スティア……」

「ううん、結衣……いい……だって、結衣のおかげで……スティアは、『私』じゃなくて、『スティア』になれたから」


 僅かだったかもしれない。

 触れたぬくもりも、交わした言葉も、共にした時間も。

 全てが、ごく僅かなものでしかなかったのにもかかわらず、スティアはまるでそれが天からの福音であるかのように、涙を滲ませた笑顔で抱きしめる。


「……スティアは、スティアだよ」

「うん、結衣……スティアは、スティアになれた」


 この真っ白な世界には、あらゆる可能性が漂っているが、それを観測できても、それを確定させることはできない。

 結衣はそれを、スティアを通して本能的に理解する。

 結衣たちに残されているのは、あくまでも互いに引き金を引き合った、赫星戦役から連なる地獄のような、今生きている可能性だけだ。

 それでも、結衣はその可能性を、数多の犠牲の上に成り立った世界を認めて、スティアのぬくもりに縋るのではなく、互いに互いをあたため合うかのように抱き合っていた。


「きっと、この世界じゃなかったら……私とスティアは、私とスティアじゃなくなってたんだね」

「うん……この世界だから、スティアは、スティアになれた。結衣と出会えた」


 だから、この真っ白な世界で二人きりの最期を迎えるのも悪くないと、結衣は、疲れ切った身体を横たえようとする。

 もう目を閉じて、楽になってしまいたい。

 戦うだけ戦って、最後にはスティアともちゃんと出会えて、そして、ずっと謝りたかったことを話せたのだ。

 ならばもう、思い残すことは何もない。

 結衣がそんな想いと共に目を伏せようとした、その時だった。

 一つの魔力反応を、魔法少女として結衣は感知する。

 それは、間違いなくスティアから発せられているものだった。


「……スティア? 何を……」

「結衣……結衣は、スティアのわがままを、聞いてくれる?」

「わがまま……? ねえ、スティア、何を……」

「……スティアは、許されないことをした。それはわかってる……だから、スティアはあるべきところに還る。でも、結衣はそうじゃない」


 スティアは自身の背後で、先ほどまでは奏者もいないのに鳴り響いていたピアノがあった場所に渦を巻く混沌を指差して、静かに微笑んだ。

 それが何であるのかを結衣は理解できなくとも、そこに行ってしまえば、二度と戻れなくなることぐらいは、直感的にわかっていた。


「ここは高次元の世界……結衣はあの時、本当は一つしか身体に収まらない魂をいくつも収めていたから、現実世界から弾き出されてこの世界に飛ばされてきた」

「……ねえ、スティア。待って……私は……!」

「……わかってる。でもね……結衣は、スティアに明日をくれた……スティアが『私』じゃなくて、『スティア』として生きる時間をくれた、だから──結衣には生きてほしい。スティアの生きることができない、明日を。スティアがいっぱい奪ってきた、明日を」


 だから、これはスティアの魔法。

 スティアはそう告げると、涙を眦に滲ませながら、「赫星一号」として吸収し続けてきた魔力の全てを一つの法として、結衣を高次元の世界から、現実世界へと送り返す。


「待って、スティア──!」

「さよなら、結衣……」


 ありがとう。また、明日。

 その言葉をお別れに、結衣は高次元の世界から弾き出されて、あるべき現実へと解けていく。

 また、明日。その小さな約束を、叶うことのない言葉を抱いて、結衣は、魔法少女は、現実へと帰還していくのだった。

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