98.魔法少女、朝を呼ぶ
内藤とアリスの挺身によって、五柱あった女神像は四柱までその数を減らしていたものの、総体として見るのであれば、その戦局に影響はないといっても過言ではない。
『アステールが斃れたか』
『しかし、四体の遊星兵器でも地球に星罰を下すことは可能とコメットは試算する』
『スピカも同意する』
『よって、合体のプロセスは継続される』
エリュシオンの巫女たちは同胞であるアステールの死を悼むでもなく、淡々と地球へと星罰を下すための準備として、残る四柱の女神像を文字通り一つに統合しようと試みていた。
彼女たちの試算通りに、もはや地球に抵抗できるだけの戦力は残されておらず、内藤とアリスの自爆によって取り巻きの敵星体は全滅したものの、元よりあれは数合わせでしかない。
絶望だけが、ただそこに横たわっていた。
諏訪部は、歯軋りをしながら、悠々と一つになっていく女神像を睨みつけたものの、航宙巡洋艦「羽黒」の武装の中で、あれにダメージを与えられるようなものは存在しない。
生き残った魔法少女は絵理一人で、呪術甲冑隊ももはや数えるほどしか存在せず、弾薬の類も底をついている。
77式を無理に引っ張り出してきたのは、何かの契機にならないかと期待してのことだったが、たった一機の試作機が投入されただけで戦況が一変するのは、お伽話かアニメの中でだけの話だ。
誰もが絶望に暮れる中、絵理ははらはらと崩れ落ちていく結衣へとかけよって、そのほとんど亡骸と化している身体へと、懸命に治癒魔法をかけ続けていた。
「……嫌、嫌です! 結衣さん、死なないで!」
普段の気弱な姿からは想像もできないほどに声を張り上げて、メタモルブーストが生み出す莫大な魔力を全て「治癒」へと変換し、絵理は結衣の肉体を癒していく。
だが、それは掌で水を汲むようなものであり、指の隙間をすり抜けて、やがては全てがこぼれ落ちていくように、絵理がやっていることは結衣の肉体が崩壊するのを、遅延させているだけのことでしかなかった。
それは、ともすれば無駄なことなのかもしれない。
結衣の魂は今にも燃え尽きかけて、入れ物の身体をいくら修復したところで、空っぽになってしまえばそこには何の意味もないのだから。
そんなことは、絵理としても百も承知だった。
それでも、愛しい人に、大好きな人に死んでほしくないという願いをかけるのは、間違っていることなのだろうか。
癒す側から崩れていく身体に涙を零しながら、絵理は懸命に、すり減っていく結衣の命を繋ぎ止めようと、己に課された特質である治癒の魔法を注ぎ続けていた。
しかし、その間にもエリュシオンの遊星兵器は、一つになろうとしていた。
虹の七色から欠くこと三つ、四つの色を一つにすることでその姿を現した八枚羽の女神像は、いっそ神々しさすら感じさせるほどに厳かな雰囲気を纏っている。
しかしてその実態は、地球の全てを、地球人の全てを鏖殺するために作られた地獄の機械でしかない。
神がこんなものであってたまるものかと、創造主だとして、人類を一方的に裁く権利などどこにもないと憤りを抱くのは自然なことだったが、もはや人類に、その暴挙を止めるだけの力は残されていない。
絵理がメタモルバーンを使って特攻したところで、勝ち目がないのは目に見えていた。
彼女の能力はあくまでも広域殲滅に特化したものであり、単体が相手となった時は不利であるという側面を持っているからだ。
地球連邦防衛軍の総戦力は航宙巡洋艦が総数四、呪術甲冑隊が総数二十、そして魔法少女が、総数一。
絶望という言葉すら生ぬるい、希望の欠片さえ見出すことのできない現実の前にある者は打ちひしがれ、ある者は神へと祈りを捧げ、ある者は諦めきれずに悔し涙を堪えて歯を食い縛る。
『人類よ、我ら創造主を前に数々の暴挙を働いたこと、そしてその互いに互いを食い合うことでしか進めない愚かしさ、全てが星罰に値する』
その声は、スティアを含めた五人の巫女のものが一纏めにされたような響きをもって、諏訪部たちへと訴えかけてくる。
星罰。
要するに、エリュシオンの民とやらは地球人の遠い祖先であり、この星に人間が生まれるための条件を整えたのにもかかわらず、人類が愚行を繰り返すから、全てを殺すことでその償いとする、ということなのだろう。
播種と教導を司ると宣っていたように、もしかすれば過去の地球にもエリュシオンの民は現れていて、その時の伝説が神話として残されていたのかもしれない。
だが、今更それがわかったところで何になるというのだろうか。
諏訪部は唇を血が出るまで噛みしめながら、八枚羽の女神を睨みつける。
──それでも。
それでも、諦めなかった者の下に、奇跡というものは訪れる。
絵理が肉体の崩壊を懸命に食い止めていたことによって、薄れかけていた結衣の意識は、徐々に鮮明さを取り戻していた。
「……絵、理……」
「……っ、結衣さん……!」
「……ありがと……絵理……聞こえる……今なら、きっと、皆の声が……」
「結衣、さん……?」
茫洋とした意識の中で結衣が譫言のように呟いていた言葉の意味を、絵理は理解できなかった。
だが、それとは対照的に、結衣は、ほとんどその肉体が空っぽになった状態で高次元と接続していたこともあって、文字通りに「全て」の声を聞いていたのだ。
高次元とは揺らぎの世界であり、不確定な可能性の全てを内包する巨大にして観測不可能な、魂が座す領域のようなものだった。
そして、魔法少女とは「星の悲鳴」を、地球が上げた叫びを聞いたことによってその魂を高次元に接続することができる存在だ。
だが、魂とは元来、一つの体に一つしか収まらないように、そう設計されている。
故に、今の結衣の状態はイレギュラーそのものだといってもいい。
ほとんど空っぽになった肉体に、高次元を通していくつもの「声」が、魂があげる叫びが流れ込むことで、星そのものの意思が、人類の総体としての意思が、生者と死者の区別なく、結衣の身体という器の中に注ぎ込まれる。
──頑張れ、魔法少女。
──負けないで、魔法少女。
──俺たちの、私たちの地球を、守って。
それはともすれば身勝手な願いであり、呪いなのかもしれない。
力を持たない者にできることは、ただ、突きつけられた理不尽に抗う力を持つ者に対して祈りを捧げることだけだ。
こうあってほしい。こうであってほしい。
願いとは理想の押し付けであり、自分の思い描く筋書きを他人に通そうとする行為でしかないのかもしれない。
だが、祈りは、願いは、他者を縛る呪いでありながら、時にそれは表裏一体の祝福へと姿を変える。
宇宙空間に横たわっていた身を起こし、結衣はかつてないほどの魔力を宿す魔法星装を手にすると、それを迷うことなく、八枚羽の女神へと向けた。
聞こえたのだ。
無数の声が、祈りが自分の中に雪崩れ込んでくる中でたった一つ、特別なものが、大切な声が、忘れることのできないその愛しい響きが、結衣には確かに届いていたのだ。
──お願い。スティアを、撃って。
それは「エリュシオンの巫女」としてではなく、「スティア」という個人が、人間が、結衣へと託した祈りの証だった。
その福音を胸に抱きながら、結衣はたった一つ、今度はその願いと祈りを、信じることを手放してしまわないようにと抱きしめながら、地球人類全ての祈りを、地球という星に残された全てのリソースを魔力に変換して、額の宝玉にエネルギーを収束し始めた八枚羽の女神へと撃ち放つ。
「……キリエライト・ノヴァ!」
光あれ。祝福あれ。
始まりにあった言葉が力となって、奇跡となって、全てを浄化するように、星々を塗り替えるように轟き渡る。
『馬鹿な……そんな、馬鹿なああああっ!?』
美柑とアリスの挺身。絵理の献身。そして、捧げられた人々の祈り。きっと、何か一つでも欠けていたら、この答えにたどり着くことはなかっただろう。
そして、この結末は、エリュシオンの巫女であれども想像できなかったらしい。
陳腐な断末魔と共に、神々しさを剥ぎ取られ、八枚羽の女神は塵芥へと堕ちていく。
言葉通りの星の守護者、地球そのものに代わる形で、あらゆる魂を器と化したその身一つに注ぎ込むことで星罰を退けた結衣は、終わりのない夜を、星々が作り上げた悪夢を退けて、この星に未来という名の夜明けを、朝を呼び込んでいた。
そうして、少女は夜明けを見る。
眩しさに目を瞑っていた絵理が目を開けば、そこにはもう、地球を脅かしていた敵星体の姿はどこにもない。
人類は、勝利したのだ。
しかし、同時にその立役者の、結衣の姿も、この物質世界からは、消失していたのであった。