93.魔法少女、一つの決別
一方的に突きつけられた宣戦布告から数日、オケアノス級と主力級航宙戦艦の打ち上げ準備は急ピッチで進められていた。
専用の発射台を持つオケアノス級三隻を除き、残された十隻の主力級航宙戦艦は各地のマスドライバーに搬入された上で宇宙へと打ち上げられる運びとなっている。
文字通り、寝食を忘れて作業に勤しんでいた整備班が格納庫の固い床を枕にして眠っているのを横目に、結衣たちは最後に残された航宙巡洋艦「羽黒」へと乗り込んでいく。
「地球艦隊はオケアノス級が三隻、主力級が十隻、バックアップとして各地の巡洋艦が十隻の計二十三隻が投入されるが、はっきり言って、おれたちの巡洋艦は戦力に数えなくていい」
あくまでも諏訪部たちに巡洋艦が割り当てられたのは、魔法少女を戦場へと送り届けるためだけであり、各管区から提供されたそれは、敵の目を欺き、ターゲットを分散させるためのデコイに過ぎない。
事実上、死んでこいと言われているような任務に志願させられた兵士や船乗りたちのことを思えば、とてもやりきれるものではないが、かといって魔法少女たちに死なれたのでは元も子もない。
司令部は、というより軍務局長はあくまでもオケアノス級と主力級のタキオン粒子砲によって「蒼星二号」を撃墜するつもりらしいが、それがどこまで通用するかは、正直なところ半信半疑といったところだった。
確かにタキオン粒子砲は、放てる環境にあるならば比類なき力を発揮する。
人類が唯一、呪術回路を手に入れるまでは敵星体に対して有効打撃を与えることができる武装だったのがタキオン粒子砲だ。
その威力に疑いはない。
しかし、「救世の七人」作戦に参加していた諏訪部だからこそ、あの地獄を生き抜いた船乗りだからこそ、その砲口が十倍に増えたとはいえ、それだけで「蒼星二号」を撃退できると、確信を持って答えることができなかったのだ。
今回の作戦において、魔法少女隊はあくまでもバックアップという位置づけでしかない。
それは大艦巨砲主義と人類至上主義に囚われた軍部の意向というのもあれば、純粋にこの戦いを生き残るだけの余力が、魔法少女たちに残されていないというのもある。
「それは……私たちも、ですか?」
「……軍人としては失格の答えだとはわかっている。だが、わからんというのが正直なところだ」
結衣の問いかけに、曖昧な答えしか返せない己を自嘲しつつ、諏訪部はそう言った。
余力が、「猶予」が残されていない魔法少女たちを前線に送り出せば、生き延びる確率は絶望的になる。
よしんば生き残ったとしても、摩耗しきった魂が、どれほどの時間を彼女たちに与えてくれるのかもわからない。
魔法少女の出現によって、魂の存在は証明されたが、その実在まで、人類は証明できていない。
今も「ラボラトリィ」が研究に血道を上げているものの、どこまでも魂というものは不確定で、不安定だからこそ、定義づけて補足することさえ難しいのだ。
「申し訳ないが、出撃の覚悟だけはしておいてくれ。この戦い……どうにも嫌な予感がする」
諏訪部は軍帽を脱いで、結衣たちに頭を下げる。
敵の戦力が単純に「蒼星二号」だけだとしたら、確かにタキオン粒子砲による飽和攻撃は有効打となりうるだろう。
しかし、あの手この手で人類を滅ぼしにかかってきたエリュシオンの民が、3年前に破られた戦術だけを頼りにするだろうか。
何よりも不安なのは、スティアの、「赫星一号」の行方がわかっていないこともそうだ。
あの、メテオラと名乗った女性のいた空間に、スティアはいなかった。
結衣は小さく拳を握りしめながら、爛漫に微笑む少女としてのスティアの顔と、その瞳を深紅に染めて、背からは翼を生やした「赫星一号」の化身としてのスティアのそれを脳裏に浮かべる。
人類全てを射殺すような、底冷えのする目をしていても、スティアは最後に「赫星一号」としてではなく、「スティア」としての言葉を自分に残して、去っていった。
それが意味するところはわからない。
だが、もしかしたらそれは何か希望に繋がるものなのではないかと、結衣はそう思っている。
最後にスティアがくれた一欠片の何か。
それが人類にとっての希望となるのか、あるいはただ自分への慰めにしかならないのかどうかは判然としない。
しかし、必ずそこに意味はあるはずなのだ。
言葉が意味を成すならば、スティアがまだ「スティア」としての意識を残しているのならば。
──例え、刺し違えてでもあの子を迎えにいく。
一人、悲壮な顔をして決意を固める結衣に、美柑も絵理も、かける言葉は見当たらなかった。
「……結衣さん……」
結衣がこの状況下にあっても、スティアのことを信じようとするのは、信じているのは、わかりきったことだ。
自分の孤独では結衣の孤独を癒せない。
絵理は誰よりもそれを理解し、痛感している。
憧れとは距離の遠い感情であり、信仰というものは時に人を盲目にさせる。
絵理の抱く想いでは、結衣に届かず、絵理が使える魔法でさえ、結衣の傷は癒せない。
その事実に打ちひしがれながらも、それが結衣の選択であるのなら、と、絵理もまた一つの決意を固めて彼女の名前を口ずさむ。
「……ん、どうしたの、絵理?」
「……戦う前に、その……言っておきたい、ことが……その、ある、んです……」
しどろもどろになりながら、頬を真っ赤に染めながら、絵理は結衣へと自分なりの覚悟を、どうしてもケリをつけなければならないその想いを、はっきりと声に出して形にする。
「……その、わたし……結衣さんのことが、好きです。とっても、とっても……誰にも負けないくらい、好き、でした……」
「……絵理」
絵理が自分に対して好意を寄せてくれていることは、ライクではなくラブの方を抱いてくれていることは、なんとなくだが察していた。
そのことが嬉しくないかと訊かれれば、答えはもちろんノーということになる。
それだけ慕われて、きっとその想いを抱くことすらも躊躇っていたのであろう絵理が、自分を好きでいてくれることは、結衣にとっても嬉しいことだった。
だが、過去形の言葉を口走ったように、聡明であるが故に、きっと絵理は自分の感情がどうしても、絵理ではなくスティアに向いていることを理解している。
だからこそ、ここで決別を果たそうとしたのだろう。
その想いに、どんな形であれ幕を引こうとしたのだろう。
結衣はその勇気へ、覚悟の重さへと敬意を表するかのように、小さく深呼吸をすると、はっきりと、自分の中にある言葉を声に出す。
「……ごめん、絵理。私は……絵理の想いに応えることは、できない」
「……ッ……結衣、さん……」
「……でも、ありがとう。こんな私を好きでいてくれて。こんな私を……いつも心配してくれて」
その想いを受け取ることはできずとも、結衣にとっても絵理が恩人であることは確かだった。
そして、それは絵理にとっても同じことだった。
例え想いが届かなくとも、例え結衣が自分以外の誰かのことを見ていたのだとしても、絵理にとって、結衣が大切な人であることには、今も敬愛する対象であることには、変わりがない。
「はい……わたしも、ありがとうございます……結衣さんと会えて……結衣さんと、一緒にいられて……わたし、幸せです……」
「……ごめんね、ありがとう」
「いいえ……わたしこそ、こんな勝手な想いを受け止めてくれて、ありがとうございます……」
恋心は途絶えたとしても、絆は続く。
そのことを確かめるように、結衣と絵理は、引き寄せ合う磁石のように抱擁を交わすのだった。