90.「さよなら魔法少女」
突然の警報に軍人たちが困惑する中で、いち早く動き出していたのは結衣だけではなかった。
訓練された彼らが訝りながらも食事を放棄して持ち場へと向かうより早く、諏訪部は官僚たちとのお喋りを打ち切って、総司令部へと走り出す。
「状況はどうなっている!? 報告しろ!」
『はっ! 現在スティアと呼ばれる少女が突然反乱を起こし──ぐあああっ!』
「クソッ!」
念のためにとスティアには監視をつけていたはずだが、それが全滅したということを、通信の途絶によって諏訪部は悟る。
緊急事態宣言を判断した総司令部の戦術シミュレータによれば、超巨大敵星体反応が司令部から検出されたという話だったが、タイプ・ホールケーキが現れたのならばこの建物はとっくに崩壊しているだろう。
ならば、その敵星体反応は、スティアから発せられていると見るのが妥当なはずだ。
諏訪部は総司令部へとひた走っていたが、通信が途絶した今、そこに行って何ができるのかと、嫌悪感に小さく舌打ちをする。
しかし、指揮を取る人間がいなければ動かないのが軍隊というものの慣例である以上、諏訪部が陣頭指揮に当たらなければ、マジカル・ユニットを動かすことはできないのだ。
総司令部への道中で、通信を呼びかけられる設備がないかと諏訪部は思索を巡らせるが、生憎持っているものはスティアに薙ぎ倒された護衛に通じるそれでしかない。
「それにしても、なぜスティアから今更……ッ!?」
諏訪部は、今までいくら検査を重ねても敵星体反応が検出されなかったスティアから、急激に強烈な敵星体反応が検出されたのかを疑問に思い、訝るが、咄嗟に思い出していたのは、真宵の言葉だった。
──東京を守る呪術結界の回路には、不活化された「赫星一号」の破片が含まれている。
それはあくまで推測でしかないと、諏訪部もまた理解していた。
だが、仮説として考えた場合、符合することは多い。
不活化された──「名付け」によって定義づけがなされることでただ「魔力を抽出するための仕掛け」として使われていた「赫星一号」の破片はその実、活動を続けていて、「星遺物」として生み出されたものがスティアだったのではないかと、諏訪部はそう推察する。
しかし、不活化自体は問題なく機能していたが故に、スティアは敵星体としての力を失っていて、それが今、何らかの形で力を取り戻した──そう考えれば、辻褄は合う。
何らかの要因があるとするなら、それは恐らく複製体が呟いていた「エリュシオン」という言葉がトリガーになったのか、あるいは。
「敵星体の全滅が、引き金になったのか……?」
だとすれば、人類はまた自らの手によって破滅の要因を呼び込んだことになる。
諏訪部は二度、そして三度と繰り返される悲劇の連鎖に怒りを燃やしながらも、ここでそれを断ち切ろうと、総司令部へとひた走るのだった。
◇◆◇
敵星体反応が、「星の悲鳴」が聞こえてくるのは地下の立ち入り禁止区域からだ。
結衣はそこに強烈な不安を感じながらも、一縷の望みをかけて、己の内側に絶え間なく響き続ける「星の悲鳴」を辿って、地下区画へと走り続ける。
何故、どうして、今になって敵星体反応が検出されたのかも、そしてスティアに会おうとしたその瞬間に現れたのかも、全てが結衣にはわからない。
しかし、何かとてつもないことが、破滅に繋がりかねないことが起きている。
それだけは、確信をもって結衣にもわかる。
途中で倒れていた軍人の姿に不穏なものを感じながらも、まだ息があることを確認し、結衣は電子ロックが無理やりこじ開けられた扉を潜って、地下区画へと、脇目も振らずに走り抜けていく。
「電子ロックが破られてる、それも物理的に……」
無理やりこじ開けようとすれば、ロケットランチャーを持ち出してきたとしても難しいその大扉は、鋭利な刃物で斬り裂かれたかのような切り口でこじ開けられていた。
それが尋常ではない何かによってもたらされた所業であることに、疑いの余地はない。
こじ開けられたオートロックの跡を辿りながら、結衣は恐らく──そこにスティアが待っているのであろう地下区画へと踏み入っていく。
旧地球連邦総司令部の跡地を再利用する形で作られた、大呪術結界の心臓──今は「ラボラトリィ」の本部として扱われている施設は、不気味さが裏返り、いっそ厳かささえ与えるほどに、静まり返っていた。
結衣がここを訪れたことは何度かあった。
その時の記憶と、恐らくはスティアであろう何者かが残した破壊の跡を頼りにして、結衣は「星の悲鳴」が示す最後の場所、大呪術結界の心臓部である試製呪術回路が安置されている区画へと、静かに足を踏み入れる。
「待っていた……結衣」
「……スティア、なの……?」
ぼんやりと赤い明かりを放つ試製呪術回路と相対するスティアの背中からは、漏れる光と同じ──否、それ以上に赤い、赫を纏う一対の翼が生えていた。
覗く角度で色を変えていたその瞳もまた同じ深紅に染まり、その身に纏うどこか朧な雰囲気も、明瞭で輪郭がはっきりとした──敵対的なものに変わっている。
目の前にいる、変わり果てた存在がスティアであるという事実を、結衣は否定しかけるものの、本能はそれを理解してしまっていた。
絶え間なく内側で響き続ける「星の悲鳴」は、間違いなく今、スティアから発せられているものだ。
結衣はスティアを、最後の敵星体を仕留めるべく、携えていた拳銃を構え、そのセーフティを解除するが、構えた腕は震え、その照準が定まることはない。
撃たなければいけない。
目の前にいるのはもう、スティアではない。
あの荒んだ日々に潤いを与えてくれた少女は、もういない。
頭でそれを理解していても、心がそれを拒んでいるのだ。
「ずっと忘れていた……私は、エリュシオンの巫女。結衣たちが『赫星一号』と呼ぶ、敵星体そのもの」
「違う! スティアは……スティアだよ!」
「なら、どうして銃を構えているの? 私は……スティアは、敵だとわかっているんでしょ、結衣?」
スティアはそんな結衣の動揺を嘲笑うかのように大呪術結界を支える回路へと手を伸ばすと、その中から、こともなげに「赫星一号」の破片を取り出して、体内へと取り込んでみせる。
「魔力……星の力。星の守護者が持つ力。結衣が私に教えてくれた、スティアに教えてくれた」
「……違う! 私は……!」
「結衣は、魔法少女。この星の守護者。そして、私は……エリュシオンの巫女。播種と教導を司り、悪しき文明への裁きを下す者。だから、スティアは──」
言葉を失った結衣が、引き金を引くのと同時にスティアの姿が虚空に溶けていく。
しかし、その唇が何事かを紡いでいたのを、結衣は見逃さなかった。
見逃すことなど、できなかった。
あれは、スティアが最後に紡いだ言葉だから。エリュシオンの巫女ではなく、「スティア」という少女が発した、精一杯のメッセージなのだから。
なのに、自分は引き金を引いてしまった。
「あ……ああっ……ああああああっ!!!」
絶叫する。己の過ちに、そしてスティアを、最後まで信じ切ることができなかった己の弱さに。
美柑たちが到着したのは、結衣が膝から崩れ落ち、項垂れてからのことだった。
「結衣……何が、あったの……?」
「……美柑……」
スティアは、敵だった。
自分たちは、敵を、憎むべき「赫星一号」を抱き込みながら戦っていたのだ。
「ス……ティア……う、あああああっ……!」
その残酷な事実を伝えることすら、震える唇が紡ぎ出すのは難しく、ただ涙のみが、そして言葉の形をなさない叫びのみが、機能を停止した地下区画に響き渡るのだった。