9.魔法少女、戦鐘を聞く
復興の象徴として池袋駅周辺に建てられたショッピングモールは、未だ地上への居住権を獲得した特権階級や上流層しか利用できていないのが現状であった。
それでも、焼け野原になった都心にこれだけの建物や、ここまで結衣たちを運んできた鉄道というインフラを復興させられたのは、一つの成果だといっても過言ではないだろう。
特権階級や上流層が優先して地上への居住権を獲得するという、貧しい者や弱者が排斥されるような構図に結衣もまた、一抹の憤りを覚えてこそいたものの、自分もまた一軒家付きで地上への居住を許されているその一部なのだと思えば説得力もなくなるし、声高に糾弾するのも後ろめたくなるというものだ。
地下鉄、かつて地下に張り巡らされていたインフラより更に下、地下都市へと繋がる駅であり、地上に棲まう市民の緊急避難口となったものを一瞥しながら、結衣はそこに分断を感じながらも、そこから目を逸らしてショッピングモールへと向かっていた。
「ショッピングモール……お店がいっぱい……スティアは、わくわくしてる……?」
「あはは、無理もないよ。とりあえずは服屋さんに行こっか」
ショッピングモールには、結衣たちが目指している服屋だけではなく、本屋からレストランまで多様な店舗が、いくつも軒を連ねている。
あの「赫星一号」が襲来するより前は東京にこういった複合施設が存在するは珍しいことだったらしいが、3年という長いようで短い期間では、そういう形に街を造ることが精一杯だったのだろう。
かつて、ここに輝いていた都心の栄光を完全に蘇らせるには、まだ時間が足りない。
このショッピングモールの存在はある種、壊すのは一瞬であったとしても、作り上げるのには多大な時間とコストを要するというのは、いつの時代も変わらないという真理として、結衣たちの前に突きつけられているようなものだった。
とはいえ、勝手に辛気臭くなっていたのではせっかく出かけているのにも台無しで、無垢に微笑んでいるスティアの喜びにも水を差すことになる。
それをわからないほど、小日向結衣という人間は愚鈍ではなかった。
微笑み返す仮面の下になんともいえないやるせなさを押し込めながら辿り着いたファストファッションの有名店舗で、結衣はスティアが再び不思議そうに周囲を見渡している姿に視線を向けつつ、マネキンが着用しているのと同じコーディネートのものと、その色違いをいくつか見繕って籠の中に放り込んでいく。
「不思議……服、身に纏うもの……スティアは、悩んでる……? 困ってる……?」
「まあ、これだけ種類があればね」
「うん……種類は豊富、でも、結衣は選んでくれた」
ありがとう。スティアは、感謝してる。
相変わらずどこかぶっきらぼうで機械的に聞こえる彼女の言葉は無垢なものであり、そこに冷たさや必要最低限の妥協といったものは微塵も存在しない。
こんな風に、誰かに頼られるというのは悪くない。
そう思えたのは一体いつ以来のことだったか。
擦り切れ、涸れ果てた結衣の心にその無垢なる言葉は、ある種祈りにも似た厳かささえ感じる純粋な感情は染み渡り、少しずつ瘡蓋の下に押し込められた膿を取り除いていくようだった。
思えば、他人に感謝されたくて、何かの見返りが欲しくて、魔法少女となる道を選んだのではない。
ただ、敵星体の襲撃から生き延びるので精一杯だっただけで、その結果として結衣は、初陣で家族を、そして同じ魔法少女となった妹を喪っている。
だから、期待を寄せられるというのは結衣にとっては重荷でしかなかったことだった、少なくとも今まではそのはずだった。
やれ最強の魔法少女だと、「原初の七人」、「救世の七人」だと持て囃されようと、それはあくまで結果論でしかない。
結衣は幸運だった。生き残ったことが幸せかどうかはわからなくとも、最低限あの地獄のような「赫星戦役」を生き抜いたことは確かで、他の魔法少女たちはその九割以上が死に絶えたと、そういうだけの話だ。
風の噂では、戦いが終わっても魔法少女の発生は止まらず、軍が目覚めた少女たちを管轄しているらしいが、最早そこに居場所をなくした結衣にとっては、何の関係もない話だった。
アウターを買った後、結衣はマネキンを不思議そうに眺めているスティアを視界から外さない範囲で下着や靴下といった必需品を無造作に買い物籠へと放り込む。
スティアのスリーサイズは聞いていなかったが、少なくとも昨日風呂に入った時に貸し出した自分の下着、特に上のスペアが問題なく彼女の胸に収まっているのだから、同じものを買えばいいだろうという考えだ。
お洒落にも気を使えるような大人になりたいと願って背伸びをしていた幼い日からは程遠い自分の買い物に苦笑しつつ、結衣が会計を済ませたその時だった。
「結衣、来る……!」
「来るって、何!? スティア!?」
「わからない、でも、何かが来る……スティアには、わかる……!」
先ほどまでマネキンをしげしげと眺めていたはずのスティアが突如としてしゃがみ込んだかと思えば、何かに怯えるかのように突如として声を張り上げる。
来る。その言葉が意味しているものは、彼女の深刻な表情や叫びを鑑みれば、吉兆や福音の類でないことぐらいは想像がつく。
だが、脳がそれを拒みたくなっているのは、結衣が最悪の答えを瞬時に導き出していたからだ。
来るといわれて来たものは、この星においては一つしかない。
その予感が確信へと変わるのと同時に、ショッピングモールに内線で流れていた陽気で呑気な音楽が裏返ったかのように、スピーカーがけたたましい警報音を歌い出す。
『緊急事態宣言発令、繰り返します、緊急事態宣言発令。都心に敵星体の出現を確認、地上にいる皆様は速やかに地下都市区画へと避難してください』
スティアとは違って無機質な印象を与える合成音声が警報音と共にそう告げたかと思えば、どすん、と低い横揺れがショッピングモールを襲う。
パニックを起こした民衆が、怒号と悲鳴を上げながら我先にと店舗から地下都市へと通じる緊急非常口へと殺到する中で、結衣はただ一人茫洋と立ち尽くしていた。
──確かに、東京の敵星体は全て駆逐したはずだ。
あの日「赫星一号」を撃ち落としただけで、戦いは終わらなかった。
その後に待ち受けていたのは地上を埋め尽くす敵星体を駆逐するための戦後の戦争であり、その戦いに勝利したからこそ、今の東京があるのではなかったのか。
結衣は当惑しながらも、魔法少女としての本能が身体を突き動かしていた。
「スティア、走れる!?」
「あ、ああ……っ……スティア、怖い……足、動かない……」
「……ならっ!」
腰を抜かして地面にへたり込んでいるスティアを、レジ袋と共に抱きかかえて結衣は周囲を一望するが、地下都市への避難口は逃げ惑う客でごった返していて、我先に助かろうと押し合い、へし合っている。
ならば、と結衣が駆け出したのはその反対方向である、店舗の出口だった。
逃げられそうにないのなら、戦う方が生き残れる確率は上がる。
──何故なら、自分は魔法少女だから。
スティアを抱きかかえたまま、結衣は敵星体が現れていると思しき街中へと駆け出していく。
軍をクビになった自分が何を今更、と省みる心はある。スティアを犠牲にしてしまうかもしれないという不安もまた同じだ。
だが、今最も生き残る道に近いものがあるとするなら、それは逃げることではなく戦うことだと、魔法少女として戦って来た結衣の本能がそう告げる。
「スティア、悪いけど……」
「……結衣は、戦うの……?」
「……うん、絶対に守ってみせる……スティアは死なせないから、ここで待ってて! ドレス・アップ!」
自らの内側で蠕動し続けていた衝動を解き放つかのように、燻っていた火種を煽り立てるように、結衣はその解号を高らかに謳い上げた。
刹那、結衣の全身が光の繭に包まれて、一秒も経たない内に着ていた服を戦いという名の舞踏会へと参加するためのドレスに変換し、小日向結衣は魔法少女へと、「原初の七人」の中でも最強と謳われたその姿へと、蛹から蝶が羽化するように身を変えるのだった。