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89.魔法少女と束の間の勝利

 全てのタイプ・ホールケーキとその取り巻きを駆逐したことによって、地球連邦は敵星体に対しての勝利を遂げたといってもいい。

 だが、払われた犠牲は決して小さなものではなく、苛烈極まる戦いの爪痕もまた、再生までには時間を要することだろう。

 結衣たちの帰還は、上層市民と下層市民の区別なく祝福され、敵星体の恐怖から人類は解き放たれたのだと演説する大統領の言葉もまた、人々の歓喜を後押ししていた。


「勇敢なる諸君らの活躍によって、地球は忌まわしき敵星体の恐怖から解き放たれた。改めて礼を申し上げたい」


 軍人たちとメディアを招いて開かれた叙勲式では、司令長官から直々に結衣や、戦いに参加していた兵士たちに勲章が贈られる運びとなった。

 それは本当であれば名誉なことで、喜ぶべきことなのだろう。

 結衣は感情でその事実を理解していても、心の奥底に沈み込んだ何かが、犠牲になって散っていった者たちへの悲しみや、本当に敵星体は駆逐されたのかという不安が足を引っ張って、どうにも素直に喜ぶことができない。

 しかし、あの敵星体の群れは地球上に存在していた全てのダンジョンから這い出てきたものだというのは「ラボラトリィ」による報告で、確かなことだ。

 辛うじて残された、各管区が所有する航宙巡洋艦や航宙駆逐艦がダンジョンの近辺を調査しても、そこに敵星体反応は一欠片たりとも存在しなかったという。

 豪奢な天然食が、ビュッフェ形式で惜しみなく振るわれた祝勝会の会場で、すっかり勝利に浮かれている兵士たちの輪に溶け込むこともできず、結衣は会場の隅でじっと、嵐が過ぎ去るのを待つかのように、ちびちびと天然のリンゴを絞って作られたジュースを煽っていた。


「ん? どしたのさ、結衣。せっかく美味しいご飯食べられんのに、なんでそんな暗い顔してんの?」


 そんな彼女を見かねたのか、何年ぶりに食べたかわからないローストビーフを惜しみなく皿に盛り付けていた美柑が、小首を傾げながら言葉を投げかける。

 確かに、振る舞われている食事はどれもこれも絶品の一言であり、結衣としてはそこには文句も何もない。

 缶飯以外で久しぶりに味わった天然食はどれもこれも舌がとろけ落ちそうなぐらいの味わいで、しばらく元の食生活には戻れなくなるだろうな、と思わせる程度には美味なものだ。

 ただ、美柑のようにそれを楽しむでもなく、隅っこで陰気な顔をしてリンゴジュースを飲んでいる戦いの立役者、というのはどうにも軍人たちにとって、面白くないのだろう。

 時折感じる、射るような視線や、あるいはどこか頭でもぶつけたのか心配するような視線の数々は、勝利を喜んでいない、その輪に入り込むことができない結衣を結果としてさらに疎外するものだった。


「……美柑は、本当に終わったと思う?」

「終わった? どういうこと?」


 結衣がぽつりと零した問いかけに、今度は美柑が小首を傾げる。

 戦いの話であれば、「ラボラトリィ」や各管区による調査によって敵星体反応が地球上から消滅したのは確認済みだ。

 よって、戦いは終結した。

 それが導き出された結論である以上、そして連邦政府が何かわざわざ隠し事をしなければならない事情が見当たらない以上、疑うまでもなくそれは「終わった」ということなのではないだろうか。

 美柑は結衣が抱えているのであろう感情への不理解と断絶に少しばかりの痛ましさを覚える。

 きっと、優しい結衣のことだから犠牲者に、死んでいった人間に引っ張られてしまう部分が大きいのだろう。

 確かに、死者のことを忘れて乱痴気騒ぎに興じてくれと頼まれれば、さしもの美柑とて顔をしかめるのには違いない。

 それでも、生き残った人間が未来を謳歌しなければ、散ってしまった人間が生きたかった明日を生きなければ、それも逆に冒涜となる。


「よくわかんないけどさ、アタシたち、勝ったんだよ。皆……皆、頑張ってた。アタシは途中でリタイアして絵理に治してもらった身だから、申し訳ないんだけどさ。でも、暗い顔してたら、アンジェリカに怒られちゃうんじゃないかって」

「……美柑……」

「アタシが上手くやれてたら、もっと強かったら……アタシ一人で世界を救えたら、って、そりゃ思うよ。だって、それなら……傷つくのはアタシだけで済むもん。だけど、現実はそうじゃないんだ」


 ──だから、思いっきり笑おうって、決めたんだ。

 美柑は手に入れた生を、拾った明日を慈しむかのように大輪の笑みを満面に咲かせるが、その眦には結衣と同じ、天に散った者たちに捧げられる涙が浮かんでいた。

 自分に世界が救えたら。

 それは幾度となく、結衣が繰り返してきた自問自答でもあった。

 もしもあの時、桃華を犠牲にしなかったら。もっと早くにテスタメントブラスターを撃ち放つことができていたら。

 地球はこうして、また犠牲を積み重ねずに済んだのではないかと、今も尚、そう思うのだ。


「……ごめん、美柑」

「あっはは、いいって。アタシはそんな風に考えられるけど、結衣はそうじゃないってことでしょ? じゃあ、そこにいいとか悪いとかって、多分ないと思うんだよね」


 感じる心は人それぞれに備わっていて、痛みや悲しみに寄り添うことができる結衣の優しさは、確かにこの場においてはそぐわないものなのかもしれないが、汚点だというわけではない。

 むしろ、それは誇るべき美点であると、美柑は結衣の肩にぽん、と手を置いてから親指を立てる。


「せっかくだし、スティアに会ってきたら? 会場のどっかにはいるっしょ?」

「……スティア……そうだね、うん。そうしてみる。ありがとう、美柑」


 帰還時の熱狂に、叙勲式に、そして無駄に広い会食場でのビュッフェという条件が重なっていたせいで、本来ならば真っ先に自分を出迎えてくれたであろうスティアとは、まだ会えずじまいなのだ。

 あんまり放っておくと、さしものスティアであってもむくれてしまうだろう。

 スティアは今どこで何をしているのだろうと、結衣がそう考えながらリンゴジュースを飲み干した、その時だった。

 照明が落ちて、非常灯の赤い光が会食場を照らしたかと思えば、けたたましい警報が鳴り響く。


『巨大敵星体反応を確認。繰り返します、巨大敵星体反応を確認。緊急事態宣言を発令、各員は第一種戦闘配備にて命令があるまで待機してください』


 機械音声の非常アナウンスが、あり得るはずのない事態を告げた。


「敵星体……どういうこと!?」

「なんだなんだ!? 敵さんは全滅したんじゃあねえってのか!?」


 美柑や内藤が困惑に叫びを上げる中で、結衣は素早く懐に拳銃が収まっていることを確認すると、その顔面を蒼白にしながらも、最悪の事態を想定して、解号を唱える。


「ドレス・アップ!」


 嫌な予感が、地獄の機械が音を立てて蠢くのを感じながら、結衣は己の内側に響く「星の悲鳴」を頼りに、拳銃を携えて会食場を飛び出していくのだった。




◇◆◇




 ──目覚めよ、エリュシオンの巫女よ。

 星罰は下された。悪しき人類は裁かれなければならない。

 裁きをもたらす者。播種を司り、この世に遍く命を生み出し、そして善なる者を未来へと残す使命を帯びる者。

 敵星体が複製した魔法少女の、芽衣や美琴が発していた言葉は決して、結衣たちに向けられたものなどではなかった。

 がんがんと、頭の内側を金槌で殴り付けられたような頭痛と共に、スティアは「オケアノス」のブリッジで見守っていた戦いの中で聞いた言葉が、熱を持って自分の内側でのたうち回るのを感じる。

 忘れていた使命が、失っていた記憶が芽吹き、根差し、「スティア」を構成していた人格を侵食しながら、その名で呼ばれていた少女は長き眠りから目覚めることになる。


「何をしている、止まれ!」


 密かに諏訪部が差し向けていた監視の軍人が、ふらふらと熱に浮かされたかのように彷徨い歩くスティアへと拳銃を向けてそう叫ぶ。

 意識しているのか無意識なのかはわからないが、スティアが向かおうとしていたのは、立入禁止区域に指定されている大呪術結界の心臓部、超巨大呪術回路を管理する動力室だった。


「……星罰は下された、人類は、裁かれなければならない……」

「それ以上動くな! 本当に撃つぞ──!?」


 監視の軍人が拳銃のセーフティを解除して、その銃口をスティアへと向けたその瞬間、目に見えない何かが自分を打ち据えるのを、彼は感じていた。

 少し遅れて衝撃が、そして何の遠慮もなく壁に叩きつけられる痛みが、彼の意識を奪って気を失わせる。


「スティアは……『私』は、エリュシオンの巫女」


 虚ろに呟くスティアの瞳は真紅に染まり、そして。

 その背中からは、本来人が持たぬもの──赤い翼が、ばさりと音を立てて構築されていくのだった。

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