88.「魔法少女アポカリプス」
また一つ、命が天へと昇って消えた。
結衣は灼熱の劫火を纏う竜もどきを、「光の刃」で斬り刻み、思考誘導弾をぶつけることで確実に死の淵へと追い込みながらも、内心ではどうして、と慟哭する。
しかし、答えは自明だ。
そうするしかなかったからだ。そうすることでしか、アンジェリカはきっとあのタイプ・ホールケーキに勝つことはできなかった。
メタモルバーンにより自らの命を燃やし尽くし、最期にその力を振り絞って地球艦隊の盾となりながら、天へと昇っていった孤独な少女に、何の言葉もかけられなかったことを結衣は悔やんで、自らへの怒りに変える。
「……いつまでこんな戦いが続くの……いつまでこんな戦いを、続けなきゃいけないの!?」
その問いに、慟哭に答える者はいない。
その間にも絵理が殺しきれなかった敵星体に群がられて、癒しの力も届かないままに魔法少女が食いちぎられ死んでいく。
呪術甲冑隊が魔力により発生している灼熱の中で蒸し焼きにされて、とうとうパイロットの死を迎えた機体が煮えたぎる海へと落下していく。
この世に終わりがあるとしたら、それは劇的なものではなく、ただ静かに、涙に暮れるかのように終わっていくだけだと誰かが語っていたことを思い出す。
だが、それとは相反するように、今目の前にあるものは、大破局を形にしたような、世界の全てを終焉に追い込むような光景だ。
『Gullllll……Ooooooo!!!』
「この……ッ!」
竜もどきが結衣を撃ち落とそうと吐きかけたブレスの余波で、退避し損なった78式呪術甲冑が溶け落ちて、エンジン部分を焼かれてコントロールを失った航宙艦が墜落する。
一刻も早くこのタイプ・ホールケーキを討伐しなければ、壊滅的な被害を受けることはわかっていても、幻想種の頂点として君臨するドラゴンを相手にしては、分が悪い。
先ほどから「オケアノス」と「オラシオン」による艦砲射撃も放たれているが、魔力によって補強されていながらもその陽電子衝撃砲塔が効果を発揮することはなく、竜もどきはしぶとく生き残り続けている。
小さい頃は、魔法少女に憧れていた。
テレビの中で、アニメの世界で描かれる彼女たちはいつだって勇敢で、どんな苦境に立たされたとしても決して諦めることなく立ち向かい続ける。
だが、そんな夢物語の中にしか出てこないような存在にいざ自分がなった時、彼女たちのように折れない心を保って、戦いの宿命を受け入れることができたかと問われれば、その答えはノーだ。
結衣はアンジェリカの死に涙を零しながら、結局何も言えなかった、断絶を抱えたまま、一足先に自由になってしまった戦友の犠牲を背負って、「光の刃」を振るい続ける。
十枚羽が尽きればまた新たな剣であり翼を継ぎ足して、零れ落ちる涙と共にその光を憎むべき敵へと突き立てていく。
あの日、もしも、不用意に自分がアンジェリカの孤独に踏み込むことがなかったなら、結末は変わっていたのだろうか。
その答えは明白でありながらも、結衣はそう考えずにいられなかった。
メタモルバーンを使ってしまった時点で、魔法少女はその死から逃れることができない。
知らないことを知らないまま別れを迎えることと、知ってしまった上での別れに何の違いがあるというのだろうか。
きっと誰かは訳知り顔で知らないだけ幸せだったとでもいうのだろう。
だが、払われた犠牲が変わらない以上、そこに優劣をつけることに意味はなく、同時にそれは著しく品性を欠いた行為だった。
本当ならば、もっとアンジェリカとも仲良くなりたいと思うところはあった。
きっと彼女とは本質的にわかり合うことはできないのかもしれないが、それでも、轡を並べ、同じ釜の飯を食べて、同じ時間を過ごした仲間であることに違いはない。
そんな命が容易く失われていく戦場を呪いながらも、犠牲を積み重ねてしか前に進むことができない現実を認めながらも、それを否定するように、結衣は煌めく裁きの「光の刃」を竜もどきへと叩きつける。
犠牲を積み重ね、屍の上に立ち、引き金を引かなければ人類は前に進むことができないのかもしれない。
だが、いつかはそうしなくて済む未来が来ると、魔法少女たちが、死ではなく本当の意味で自由になれることを願いながら、結衣はその前に立ちはだかる敵を倒すために最強たる力を振るい続ける。
しかし、結衣がどれだけ力を振るっても、救うことができずに、指の隙間をすり抜ける砂のようにその命を落としていく存在はある。
灼熱の劫火に内側から脳組織を焼き尽くされた魔法少女が、力なく煮えたぎる海へと真っ逆さまに落ちていく。
竜もどきが放つ熱線から、「オケアノス」と「オラシオン」を庇うように前へ出た主力級航宙戦艦が、水底へと沈んでいく。
黙示録が示す地獄を体現するように、犠牲はうずたかく積み上げられて、その度に失われた命が、結衣の背中に重くのしかかる。
これが最後なら。これで最後なら。
願いをかけるように、結衣はとうとうタイプ・ホールケーキが息を切らし始めたのを認めると、その巨体を消し飛ばすべく、術式を展開した。
「お願い、『ロンゴミニアスタ』! サクラメント……バスター!」
その名を呼ぶことによって、可能性の揺らぎの中を漂っていた現象が出力される状況を切り分けることで、抽出された概念は、理論上にのみ存在する可能性であったとしても現実へと顕現し、その力を増していく。
結衣が展開した魔法の術式は極めてシンプルなものである。
全てを無に還す「浄化の光」という概念を、聖なるものとしての、神罰としての「光」という概念を高次元から抽出して、それを杖の先から出力するだけのものだ。
しかし、シンプルであるが故に、「光」という特質は人間が信仰する「神」に最も近い性質を有するがために、なによりも強力に作用する。
神なる力を、炎を焼き払い、雷を霞ませる「光」そのものを結衣は魔法星装「ロンゴミニアスタ」から竜もどきへと撃ち放った。
『Ooooooooo……』
叫び声を上げる間もなく、タイプ・ホールケーキは、人類が最も恐れる災厄の化身としての形をとった幻想種の出来損ないは、最後の悪あがきすら許されずに、光の中で分解されて消えていく。
海を煮立たせる劫火は、天の光に届かない。
星を背負う中でも最強の名を冠する魔法少女の、小日向結衣の一撃は、確かにその瞬間にタイプ・ホールケーキを跡形もなく消し飛ばし、戦いに幕を下ろしていた。
「……終わったよ、スティア。終わったよ、アンジェリカ……」
きっと、この戦いが終われば平和が訪れる。
そんなものは幻想なのかもしれないが、少なくとも地球上に存在するダンジョンを放棄して侵攻してきた敵星体は、全て駆逐できたはずだ。
結衣は心臓が一際高く跳ねるのを感じながら、己に与えられた「猶予」が幾ばくもないものであることに、脱力して肩を落とす。
──もう、次はない。
そんな結衣の心配をよそに、戦いは最後の詰めに、掃討戦に移行していた。
タイプ・ホールケーキという親玉を失ったことで取り巻きや「はぐれ」の敵星体はその統率を欠き、うろたえている間に絵理が発する「毒」の領域に蝕まれて消えていく。
人類は勝利した。
そう断言しても過言ではない。
極東管区の総司令部では現に、軍務局長が握り拳を固めて、見たかとばかりに戦果を勝ち誇っている。
しかし、そこに積み重ねられた犠牲は、決して小さなものなどではなかった。
今回の総力戦で、人類は再び魔法少女の九割と各管区が保有する航宙艦のほとんどを失っている。
極東管区は幸いオケアノス級を一隻も欠くことなく勝利を迎えていたが、その代償として三十隻投入された主力級航宙戦艦は九隻にまでその数を減らしていた。
これが最後であったなら、本当に、終わりであったなら。
きっと、何もいうことはない。
誰もが死力を尽くして戦った。
誰もが人類に未来を繋ぐため、明日という時間を残すために、その礎となって戦った。
だが、結衣の中にはどうしても、勝利を喜ぶ気持ちが湧いてこなかったのだ。
「……終わるのかな、終わりなのかな、スティア……」
──こんな思いをするのも、この戦いも。
一人、ぽつりと零れ落ちた結衣の言葉は、誰に漂うこともなく、雷雲から開け放たれた青空に立ち昇り、静かに溶けて、消えてゆくのだった。




