87.「魔法少女アンジェリカ」
メタモルバーン。
それは蝋燭の灯火が消える直前に一際強く輝くかの如く、己が保有する魔力を増大させることにして、魔法少女の終焉を意味するものだ。
命と未来を灰に還して、その肉体を崩壊させながらも、アンジェリカは自らに降り注ぐ雷を、強化された魔力障壁で強引に引き剥がすという荒技を披露する。
「この力ならば戦える……この力ならば、わたくしは!」
選りすぐりの魔法少女隊である、マジカル・ユニットへと編入された第二世代魔法少女。
それが意味するところは、名誉と栄光に違いはない。
戦後に生まれた多くの魔法少女たちがトライアングル・ユニットとして、もしくは通常任務に投入される魔法少女隊として戦ってきた中で、特級難度の任務に駆り出されるマジカル・ユニットは、ある種彼女たちの憧れともいえるものだった。
しかし、唯一編入されたアンジェリカが感じたことはその二つ、名誉や栄光などではなく、「早生まれ」の資質をもってさえ届かない力の差に対するコンプレックスだ。
第一世代魔法少女は、現存する三人は戦友であり、仲間でもある。
雷雲を斬り裂いて、紫電を纏う龍もどきへと肉薄したアンジェリカは、己の魔法星装を横一文字に薙ぎ払う。
『Luooooohhhh……!?』
「少し浅かったようですわね! ですが!」
信じられない、とばかりに唸り声を上げたタイプ・ホールケーキのことなど意にも介さず、アンジェリカは目の前の敵を仕留めることだけを、武勲を挙げることだけを脳裏に浮かべ、魔法星装へと更に魔力を注ぎ込んだ。
小日向結衣は、水瀬絵理は、三上美柑は、仲間であり戦友でありながらも、アンジェリカにとっては超えることのできない「壁」でもあった。
それは、美柑と共に出撃した佐渡ヶ島奪還戦。あるいは、結衣と共に出撃したダンジョン・アタック。
そして今、この戦場において無数の敵星体を、人類の叡智が生み出した航宙艦の艦砲射撃よりも早く敵を殺し、味方を癒すという奇跡を披露している絵理の奮戦。
三人が魔法少女として振るった力は全て、アンジェリカには届かない領域に踏み込んだものであることを、認めたくはないが、聡明な彼女の本能は、理解してしまっている。
戦わなければ、ここで勝利を得なければ、人類は滅亡の淵に立たされるだろう。
故にこそ、この戦いは大義に基づくものであり、自分の義憤は認められるべきものだと、アンジェリカは自らを騙すようにそう言い聞かせる。
だが、その真意は極めて個人的なところにあることを、アンジェリカは誰よりもよくわかっていた。
結衣を超える英雄とならなければ、絵理を超える奇跡を見せなければ、美柑を超える力を示さなければ、自分は、西園寺の家に認められることはない。
『Luoooooooo!!!』
不遜にも自らの雷撃を引き裂き、肉体に傷をつけてくれた小虫を八つ裂きにせんと、龍もどきはその爪に雷を纏い、先ほどまでとは比べ物にならない数の雷雲を呼び寄せながらアンジェリカへと電撃を浴びせかける。
「そんなもの……そんなこと!」
だが、極限まで引き出された「強化」の特質によって補強されたアンジェリカの魔力障壁を貫くには至らない。
返す刀で纏う雷の守りごと肉体を斬り裂かれ、屈辱に打ち震える龍もどきに対して、アンジェリカが思うことは何もない。
ただ、一刻一刻と迫っている自分の死に、魂が急速に磨耗していく感覚に、微かな恐怖を抱いているだけだ。
思えば、まともな人生ではなかったのかもしれない。
父も母も、兄も姉も、自分が生まれたその時から、愛情を向けてくれることはなかったように思う。
ただ子供を捨てることを法が許さないから、秘密裏に孤児院などにアンジェリカを預けたとしても、それが露呈したとき、家名に傷がつくからと、たったそれだけの、それっぽっちの理由で、アンジェリカは両親からの庇護を受けていただけだ。
左右で瞳の色が違う。
ただそれだけで、生まれ持った、どうすることもできない欠落によって、アンジェリカは西園寺の人間として、人が受けられて然るべき愛を与えられなかった。
それでも、アンジェリカが死んでしまおうと思わなかったのは、泥水を啜るような思いで生き続けてきたのは、魔法少女という希望があったからだ。
家名に傷がつくからと、アンジェリカからはあらゆる自殺を試みる手段が遠ざけられていた。
ただ独房のような部屋で過ごしていたそのときだった。敵星体による侵略と、それに対抗する存在、魔法少女のことを知ったのは。
骨董品のようなラジオから流れてくるニュースによって、奇しくもアンジェリカは魔法少女という希望に触れることができたのだ。
自分も魔法少女となって、敵星体を倒すことができれば、もしかすると父や母は、兄や姉は自分のことを見てくれるかもしれない。
「さあ、『ズヴェズダユーズ』! わたくしにその力をお見せなさい!」
幼い頃に描いた希望の通りに、願い続けたことで手にした夢に従って、アンジェリカは龍もどきを翻弄し、瞬く間にその巨体を斬り刻んでいく。
強化魔法と「名付け」によって補強された魔法星装は、結衣が展開する「光の刃」に匹敵するほどの出力を発揮して、その威力をアンジェリカの眼前に示す。
『Luuuuuu……Ooooooohhhhhhhhh……!』
「わたくしはアンジェリカ・A・西園寺! 由緒正しき家に生まれた、魔法少女!」
だが、希望は架空に描くものでしかなく、夢とはいつか終わるものだ。
はらはらと剥がれ落ちて灰に還っていく自らの肉体を一瞥し、アンジェリカは眦に涙を滲ませながらも、とっくに壊れていた心を、折れそうになりながらも継ぎ接ぎするようにそう叫ぶ。
──たった一度だけでいい。
たった一度だけ、ほんの一瞬だけでもいい。
ただ自分は、両親に、家族に、「愛している」と、その一言を口にしてもらいたかっただけだ。
きっとこのタイプ・ホールケーキを倒したとしても、「魔法少女アンジェリカ」が武勲をいくら挙げたとしても、両親は、兄姉は、アンジェリカという個人を省みてくれることはないだろう。
そんなことは、わかっていた。
わかっていたけれど、認めたくなかった。
ぼろぼろに崩れ落ちていく肉体が、燃え尽きていく魂が慟哭に代えて、アンジェリカの嘆きを天へと立ち昇らせる。
「……どうして……どうして、わたくしを愛してくれなかったんですの……」
紫電を纏う龍もどきは、アンジェリカの猛攻を前にもはや瀕死にまで追い込まれている。
メタモルバーンを解放し、第一世代魔法少女のメタモルブーストに勝るとも劣らない力を手に入れたアンジェリカの前に、敵はいないといっても過言ではない。
だが、そんな無敵の魔法少女になったところで、憧れていた、そして妬んでいた結衣や絵理、美柑と同じ力を、自らの魂と命を贄として手に入れたところで、この空っぽの掌には一体何が残るというのか。
答えは決まっている。
それは「無」の一言に尽きた。
文字通りに何もかもなくして、アンジェリカは天へと、灰へと還っていく。
努力は必ず報われて、報われなかったものは努力が足りないだけだと信じなければ生きてこられなかった、幼く、拙い、誤った信仰も。
西園寺の家に生まれた人間として、恥じることのないようにと叩き込まれた礼儀作法も、友であり、ライバルであった仲間と過ごした記憶も、何もかもが、灰になって消えていく。
「……お父様……お母様……お兄様、お姉様……わたくしは、何のために生まれてきたんですの……?」
アンジェリカの頬を、一雫の涙が伝う。
きっと敵と相討って死んだ、「魔法少女アンジェリカ」の記憶は家族の中に残るのだろう。
だがそれだけだ。ただそれだけだ。
いつかは忘れられて、忘却の海に押し流されていく儚い記憶の一欠片にしかなることはない。
『Luooooo……Ooooooooohhhhhh!!!』
涙と共にその心臓を貫かれた龍もどきは、生物を中途半端に模倣していた故に悶え苦しみ、そして訪れる死に狂乱して荒れ狂うが、全てはアンジェリカが展開する強化魔力障壁の前には、その全てが無駄に終わる。
「泣くんじゃねえ、お姫さん!」
「……内藤、隊長……?」
俯き、佇むアンジェリカへと声をかけたのは、命をかけてこの場所へと彼女を送り届けた呪術甲冑隊を率いる、内藤勲曹長その人だった。
「綺麗事かもしれねえ! 明日には俺だって死んでるかもしれねえ! でもな、こうやってお姫さんに助けられたから俺たちは生きてんだ! だから……俺たちはそれを忘れたりなんかしねえ!」
死にゆくアンジェリカへと叫ぶ内藤の言葉は、全ての魔法少女たちに向けられた祈りというべきものでもあったが、そこには確実に、「アンジェリカ・A・西園寺」という個人に対する感謝と尊敬が含まれている。
兵士たちにとって、魔法少女たちは尊敬すべき女神にして、本来は愛し、守るべきうら若き乙女たちだった。
内藤の言葉の中には確実に、愛が、それは望んだ形とは違うものの、隣人に向けられる無償の愛が横たわっている。
──きっと、きっとそれだけで。
魂が完全に燃え尽きて消えるまでの刹那の時間、アンジェリカは悪あがきとばかりに自らの質量を極大の雷撃に変えて人類を殲滅しようとする龍もどきの一撃に、絶対守護の障壁を展開した。
「……ありがとうございますわ。わたくしのことを……アンジェリカという人間がいたことを、どうか、忘れないでくださいまし……」
思えば、愚かなことだったのかもしれない。
劣等感を抱いていたことも、武勲を立てなければ認めてもらえないと思い込んでいたことも。
だが、後悔したところで全ては後の祭りだ。
ならば、自分は魔法少女としての任務を全うすればいい。
遺言はそれだけだとばかりに微笑んで、残存艦隊と呪術甲冑隊に向けられた紫を纏う雷撃の盾となりながら、アンジェリカは微笑み、その胸に確かな愛を抱き、天へと還っていくのだった。