83.魔法少女とエリュシオンの使徒
美柑が放った渾身の一撃は、確かに複製体を袈裟懸けに切り裂いて、深手を負わせたはずだった。
しかし、それは僅かながらも、致命に至らなかった。
腐っても美琴を、接近戦においては並ぶ者がいなかった魔法少女をコピーした存在がこの複製体である。
美柑の一撃をあえて受けることで、己の体に深々と傷が刻まれるのを覚悟した上でのカウンターの一撃を放つ。
生きている人間には、とてもできないようなことを死せる魔法少女は、敵星体は淡々と、無感情にこなしてみせるのだ。
「ぐ、あ……っ……!」
「目覚めよ、エリュシオンの巫女よ」
あるいは自分の中にまだ、かつての親友と同じ顔をした相手を斬ることへの躊躇いが残っていたのだろうか。
美柑は魔力障壁を貫通し、薙刀の先端が内臓に深々と突き立てられる感覚に苦悶の声を上げながら、自らに残された甘さを呪った。
深手を負っているのは、自分も敵も変わらない。
朦朧とする意識の中で、美柑は久しぶりに、摩耗していた感覚が息を吹き返したことを確信する。
それは、人が恐れと呼ぶものだ。
それは、人が本能的に抱く痛みへの忌避だ。
これが戦いなのだと、傷つけ、傷つけられて殺し合う、命を奪い合う行いなのだという実感。一度は弔いの花束を贈ってその人生に幕を下ろした死者が無理やり墓の下から掘り返され、駒として扱われることへの怒りと悲しみ。
鈍い痛みと共に沸々と滾る感情は、合わせ鏡のように二つの背反する想いを、美柑の心へと同時に映し出す。
「……もう、いいでしょ……」
「星罰は下された。沈黙と調和を乱す悪しき種への裁きは執り行われなければならない」
「もういいでしょ! なんで……なんで、殺されて、死んだはずなのに、もう一回殺し合わなきゃいけないのさ、美琴!」
その口から血を吐きながらも、普通の人間であったのならば、深々と斬りつけられた激痛と、炎によって傷口が灼ける感覚で、まともに動けなくなるほどの深手を美琴の複製体は負っている。
にもかかわらず、淡々と定型文を繰り返しながら、美柑の身体から引き抜いた薙刀を振るい続ける彼女の姿は、敵であるとわかっていても、あまりにも痛々しい。
それは緩やかな自殺と同じことだ。
薙刀によって貫かれた傷口を、炎で焼き塞ぐという荒技によって戦闘を続行することを選んだ美柑は、痛みと怒りと悲しみに涙を零しながら咆哮する。
どうして、死んでまでその命を利用されなければいけない道理があるのか。
あの時、沖縄で結衣がその命を奪った敵星体は、彼女の妹を模していたという。
戦いに対する惰性と鈍麻で、自らの心をごまかしていた美柑は、今になってその悲痛さを、突きつけられた現実の過酷さを理解していた。
しかし、どれだけ呼びかけたとして、どれだけ情に訴えかけたとして、心を持たない、あるいは雁字搦めに封じられている複製体に、その言葉は届かない。
どちらかが終わることでしか、その命を終わらせることでしか、戦いに幕が下されることはないのだ。
「なんで……なんでなの……いつ終わるの、この戦いは! いつまで、アタシたちはこんな思いをしながら戦わなくちゃいけないの!?」
美柑は生きとし生ける全てを呪うかのように、突然に仕組まれた災厄へと、全ての日常を奪い去って尚も地球を蝕み続け、人を弄び続ける敵星体へと、行き場のない怒りを捲し立てる。
その度に美琴の薙刀と美柑の直刀がぶつかり合い、嗚咽の代わりに金属同士が上げる鉄の悲鳴が、風を切る音と共に戦場へ響く。
『Gullllll……Guoooooo!』
美柑と美琴がその命を奪い合う様を、翼を羽ばたかせながら見下ろしていたタイプ・ホールケーキが、哄笑を上げるかのように咆哮を上げた。
「嗤うなぁッ!!!」
その歩みを俯瞰すれば、互いに食い合い、殺し合い、憎み合うことでしか人類は前に進むことができなかった生き物なのかもしれない。
人類史の縮図であるかのように望まずとも、意図せずともその命を奪い合う美柑と美琴を嘲笑するタイプ・ホールケーキもまた、敵星体──エリュシオンの使徒であるが故の傲慢と、他ならぬ人類から学習した悪意に満ち溢れていた。
命を嘲笑う敵へと、美柑は眦に滲む涙を魔力の炎で蒸発させながら叫ぶ。
例えどれほど愚かであったとしても、人類が今日まで歩を進めてこられたのは、そこに、命に対する愛や敬意があったからに他ならない。
それこそが虚飾であると、虚無主義者が笑っても、そんなものに意味はないと悲観主義者が嘆いても、人類という総体は過去から何も学ばなかったわけではないのだ。
次へ、次へとバトンを託すかのように様々な形で総体としての命を繋ぐ。
それが人という生き物の在り方であるとしたら、勝手に終わったはずの命を掘り起こして好き勝手に道具として使い捨てる敵星体のやり方は、あってはならないことなのだ。
美柑は傷跡がじくじくと痛む感覚を、歯を食いしばって耐えることでなんとか正気を保っていたものの、気を抜けば次はないこともまたわかっていた。
紛い物であったとしても、第一世代魔法少女の中で最強の近距離型と称えられた美琴が相手なのだ。
そこに躊躇いを挟めば、そこに甘さを残せばどうなるかということを、生きる身体に走る痛みが、何よりも雄弁に物語っている。
「終わらせなきゃいけないんだ……終わらせてあげなきゃいけないんだ、美琴!」
「播種は失敗した。善なる者は生まれなかった」
「悪いところがない生き物なんているもんか!」
その言葉に意味がないとわかっていたとしても、一方的に善悪を決め付けられる傲慢を、美柑は許しておけなかった。
どれだけ正しく線を引こうとしても、どれだけ公正に世界を作り直そうと善意で深い仕組みを破壊して、一から構築し直したとしても、そこから零れ落ちる者は必ず現れる。
世界は決して公正でも公平でもない。
どれだけ努力を重ねても報われるのはほんの一握りであるように、どれだけ正しく振る舞おうとしてもその正しさによって傷つけられる者が現れるように、善悪に完璧な線を引いて切り分けられるというのは、子供じみた理想論とも呼べない幻想に過ぎないのだ。
エリュシオンとやらが敵星体の総称であるのなら、彼らは勝手にやってきて勝手に地球人類を断罪し、おまけにその命に敬意を払うことなく冒涜している。
それが許されていいことであるはずがない。
自らの魂と怒りを星の炉に焼べる薪として、美柑は炎を刃と変えた「シュテルンダイト」を、二の太刀要らずの覚悟で振りかぶる。
こうなればもう、最悪刺し違えることでしか美琴に勝つ方法は残されていない。
元より自分が殲滅力では結衣と絵理に劣り、近接戦では美琴に劣る、中途半端な存在であることを覚えているからこそ、美柑はこの局面での博打へと打って出たのだ。
大上段に構えた直刀を縦一文字に振り下ろす、その太刀筋に迷いはない。
当たればトドメは確実に刺せる。外せばそこで終わって殺される。
ただ、それだけの話だ。
そんなことは百も承知の上で、三上美柑は一世一代の大博打へと、自らの命を天秤の対価に捧げて、「シュテルンダイト」を全力で振り抜く。
奴より早く。奴より先に。
一刻一秒の遅れが命取りになる、神経が逆立つような感覚の中で、美柑はそれとは反対に、どこまでも時間が薄く引き延ばされていくような錯覚に陥っていた。
目蓋の裏に浮かぶのは、愛しい日々を過ごした走馬灯。
誰もが笑い合って、誰もが悲しみに暮れて、そうしてようやく勝ち取った、束の間の平和までの思い出が、涙と共に蒸発し、暁の空へと還っていく。
「これでえええええッ!」
「調和──愚か──人類、星、罰……あ、りが、とう……ござい、ます……美柑……」
複製体の記憶は、死したその瞬間にしかエリュシオンの呪縛から解き放たれることはない。
その悪辣さを呪いながら、再び何かを成し遂げたような、ようやくこの戦いから解放されて自由になれるとでもいいたげな、穏やかな顔で、美琴は袈裟懸けに切り裂かれ、灰へと還っていった。
「……ふざけんな……ふざけんな、馬鹿野郎おおおおおおッ!!!」
例えそれが偽物であったとしても、複製された敵であったとしても。
紛れもなく、親友だったものをその手にかけなければ、命を奪うことでしか解き放たれない呪縛をかけた敵星体を呪って、美柑は慟哭する。
『Gullllll……Ooooooooo……!』
しかし、その涙を嘲笑うかのように、劫火を司る竜もどきは翼を広げ、上等なショーを見終えたかのように、低く唸る笑い声を上げるのだった。