8.魔法少女、服を買いに行く
天気予報を告げ終えたテレビは、地球連邦防衛軍が未だ「赫星一号」の破片が残っている佐渡ヶ島の奪還に向けて動き出したと語っていたが、結衣にとってそこに何か感慨が湧くことはない。
恐らくは自分が協力していた「実験」とやらの成果が出たのだろうし、宇宙に向けて進水式を執り行ったオケアノス級航宙戦艦と併せて、魔法少女に代わる、地球復興のシンボルとなるものがほしいと、上層部はそう思っているのかもしれない、と邪推する程度だった。
ただ、結衣にとって当面の問題となるのは、身元がわかるか記憶を取り戻すまでは同居することになるスティアの存在、というより彼女の私物に関してのことだ。
私物に関しては、結衣も決して多い方だとはいえない。
何せスーツケース一個に全てが収まる程度の物しか持ち合わせていないのだし、その中でも当面深刻になると予想されるのは、スティアの私服についてだった。
「……軍で過ごしてた時のツケね」
「ツケ……人が一時的に保留するもの……? 結衣、何かを保留している?」
「服よ、軍にいた時は制服が支給されてたし、それに──」
魔法少女に変身するときは、例え下着姿だろうが上から何重にもコートを着込んでいようが十二単を纏っていようが、決まった形のドレスに変換されるのだから、服には頓着してこなかった。
そこまで口を開きかけて、結衣はもぞもぞと後半へと行くにつれ、歯切れを悪くして、言葉を濁す。
自分が魔法少女であったことについては、もう既にスティアには打ち明けている。
ただ、年頃の女子として服に頓着しない、悪くいえば関心がないと自白することが単純に恥ずかしかっただけだ。
地下都市に人類が押し込められていた3年前まで、服や食糧といったものは全て政府からの支給品であり、お洒落をする楽しみも知らず、戦いに明け暮れてきた自分の半生を鑑みれば、それも仕方のないことだと他人ならば納得がいきそうなものだが、それはそれ、これはこれとして恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「それに、どうしたの? 結衣?」
「……隠すようなことでもないんだけど、私、その……服のセンスとか自信ないから」
まだ「敵星体」が地球に飛来するより前の時代、結衣は今よりも子供で、服というのは両親が買ってくれるものだったし、「赫星一号」が火星近海までワープアウトする以前にはそれなりの年頃になっていたものの、もっぱらやっていたのはマネキン買いだった。
「服……着るもの。スティアも持ってる……これだけだと、足りない?」
結衣がそう思い悩む様子は、スティアにとっては理解がいかなかったものであったらしく、相も変わらず小首を傾げて、鈴を鳴らしたような声で問いを投げかける。
「流石にワンピース一着だけ、っていうのは厳しいんじゃないかな……」
スティアは記憶を失っているから仕方ないとはいえ、その言葉からは彼女が服飾の類にこだわりの類を持たず、その必要性も希薄だと思っていることが、結衣にはどこか本質的に感じ取れた。
別にスティアが何を着ていようと、結衣にその事実が何か影響を及ぼすわけではないが、着の身着のままで行き倒れていた時から変わらない、一張羅のワンピースだけで日々を送るというのは、洗濯のことを考えれば不可能であると断言してもいい。
だからこそ、結衣もまた思った通りのことを口に出したのだが、彼女にとってそれは合点が行くものではなかったらしく、まだスティアは可愛らしく小首を傾げたままだ。
「服……いっぱい必要なもの?」
「いっぱいは……どうだろ、人による」
「人による……不思議。スティアにはわからない……でも、結衣が必要って言ってるから、きっとスティアにも、必要……」
スティアがその薄い唇から紡ぎ出す言葉は、常に自己定義の確認を行っているように、どこか機械的に聞こえるものの、そこにある熱のような何かは、心そのものに囁きかけられているような感覚は、機械には模倣できないものだ。
結衣はそれを不思議だと思う。
小首を傾げ、髪の毛が揺れる度にふわりと舞う不可思議な色合いをした粒子のことといい、街で行き倒れていたことといい、真正面から解釈しようと思えば、不都合で不自然なことがいくらでも浮かんできそうなものだったが、無垢なスティアの振る舞いは、心を擦り切れさせた結衣にとっては、渇きを癒すに値する。
軍のカウンセラーに打ち明けられなかったような戦傷のことを、心に、魂に深く突き立てられた爪痕のことをぶち撒けていたのも、きっと彼女が何も知らないからだ。
そう考えると、自分はどこかスティアを、その無垢なることを利用しているのだという罪悪感にきりきりと胸の奥と胃袋が締め付けられるような感覚に結衣は襲われるものの、過ぎたことを悔やんだところで、出力されるものは涙と溜息ぐらいだ。
記憶には留めておこうと、スティアを利用してしまった件について今は考えないことを決め込んで、結衣は擦り切れ、複雑骨折を起こした心を無理矢理前に進ませるかのように、何事もなかったかのように小さく微笑んで、スティアへと一つの提案を持ちかける。
「ねえ、スティア。服を買いに行かない?」
「服……必要。結衣が、教えてくれた……だからスティアは、問題ない……」
「ありがと、それじゃ行こっか」
その言葉が聞きたかった、と、どこかの闇医者が放ったような言葉を心に押し留め、結衣もまた出来損ないの笑顔を形作りながら、スティアの手を取って歩き出す。
彼女は相変わらず納得はできなくとも理解はできた、といった風情の表情を浮かべてきょとんとしているものの、それでも服が必要だとわかってくれただけ上出来だ。
「あ、でもセンスとか、その……期待しないでね、私、そういうのダメだから」
結衣は喜び勇んでショッピングモールへと向けて歩き出した足を止めて、少しばつが悪そうな表情でそう告げる。
スティアの容姿は飛び抜けて美しいものだが、それを引き立てるために結衣ができることといえば、マネキン買いぐらいしかない。
無論、結衣もそこに愛想こそ足りないものの、スティアに匹敵する美貌を持っていたが、彼女を彩っていたのは常に親が買ってきた子供服か支給品の服か軍服ないし、魔法少女に変身した時、自動で身に纏うドレスだけだ。
そんな風情で気まずそうに縮こまる結衣のことを、相変わらずスティアは不思議そうに見つめていた。
「センス……美的感覚。スティアは、気にしない……結衣が選んでくれたものなら、スティアのためにしてくれることがあるなら、それが嬉しい」
窓を吹き抜ける春風のように柔らかくはにかむと、スティアは結衣の責任に震える手を取って、心からの言葉を口に出す。
本当であれば自分のような記憶もなければ身元もわからないような存在が、結衣と一緒にいること自体が望ましくないことは、スティアもまた朧気にではあるが察していた。
軍や政府、この世界の仕組みについて詳しいわけではないものの、結衣のような人間は確かな記憶を、自分を定義するためのものを持っているが、スティアはそれを持ち合わせていない。
それは異端であり、集団の中では排斥されるものであるというものであるということは、欠落した記憶の中でもどこか本能的に悟っていたからこそ、そんな自分に結衣が尽くしてくれるというのは、嬉しいという感情を心の中に呼び起こすのには十分すぎた。
無邪気に微笑むスティアの笑顔に、結衣もまた柔らかなもので胸をそっと締め付けられるような、名前のわからない感覚を微かに抱く。
そうして、二人は惹かれ合うように繋いだ手を握り合わせると、ショッピングモールへと向けて歩き出すのだった。