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78.「魔法少女アナスタシア」

 自分の人生は、振り返ったところで上等なものではない。

 アナスタシアは誰よりも、それを理解していた。

 今も自分が発する冷気と竜もどきが発する冷気の相克によって多数の死者を出している。

 その十字架を背負いながらも、アナスタシアは氷の槍を、パルチザンを手に、タイプ・ホールケーキへと果敢に切り掛かっていく。

 生まれた家のことを思い出せば、確かに恵まれていたといって差し支えのないところはあったのだろう。

 優しい両親と姉に囲まれて、何一つ不自由のないとまではいかなくとも、何かに困窮することのない生活を営んでいたのは確かであり、それは世界中に散らばる不幸と比較したら、幸せと断言しても問題はない。

 だが、その幸せは長くは続かなかった。

 3年前、憎むべき人類の仇敵にして、今も尚、人類へとその牙を剥いている敵星体が襲来したことによって、アナスタシアの生活は一転して地獄へと転げ落ちることになる。

 両親を殺されて、それでもアナスタシアが生き延びることができたのは、その瞬間に姉が「星の悲鳴」を聞きつけて、第一世代魔法少女となったからだ。

 魔法少女へとその身を変えた姉の、ヴェロニカ・セルゲイヴナ・カミンスカヤの力は圧倒的であり、降り注ぐタイプ・キャンディを、タイプ・クッキーを瞬く間に蹴散らしたその光景は、今もアナスタシアの脳裏に焼き付いている。

 姉が第一世代魔法少女として覚醒したことによって、アナスタシアは地下都市でもある程度の身分を保障された存在になった。

 しかし、それが全て幸せだったかといえば、そんなことは断じてない。

 上流階級と下層市民の分断。

 旧世紀から続く弊害は新星暦へと暦を改め、人類が滅亡の危機に瀕しても尚、忌々しいことに続いていた。

 アナスタシアは上流階級として地下都市における身分を保障されてこそいたものの、いってしまえばそれは姉の「おこぼれ」であり、自らが何かを成し遂げたから、というわけではない。

 それを理由に下層市民からのやっかみを受け、時には石を投げられたことさえある。

 しかし、アナスタシアは涙を零さなかった。

 自分よりも遥かに辛くて苦しい思いをしながらも戦い続けている姉が、ヴェロニカが、戦いから帰ったあとはいつだって隣にいてくれて、そっと慰めてくれたからだ。

 他に望むものは何もない。

 ただ、自分にとっては姉と過ごす微かだがあたたかい時間こそが宝物であり、それさえあれば十分だと、そんな慎ましい願いを抱いて生きていたのを、アナスタシアは覚えている。

 しかし、その願いさえ、運命という名に虚ろを飾られ、低く唸り声を上げながら回り続ける地獄の機械に巻き込まれ、儚く砕け散ったのだ。

 姉が物言わぬ帰還を果たしたのは、敵星体の侵攻が激化し、地上を埋め尽くさんばかりに天から降り注ぐようになってからのことだった。

 呪術結界などという大層な代物はなく、剥き出しになっている都市の残骸、その直下に作られた地下都市へと敵が殺到してくるその中で、ヴェロニカが己の命と引き換えに、その侵攻を食い止めたと、空の棺を送り出す時に軍人がそう告げてきたことは、耳鳴りのように、今も鼓膜の裏に染み付いて離れない。

 その遺体すら残らないほど、遺品すら回収できないほどに最愛の姉の末期が悲惨なものであったことを、アナスタシアは不幸にも理解してしまった。

 もう二度と姉が優しい笑顔を見せてくれることはない。

 正直にいってしまえば、全くもって美味しくなかった配給食を、「おいしいね」と二人で暗示を掛け合うようにして食べていたあのあたたかな魔法は、十二時の鐘が鳴って、解けてしまった。

 だからこそ──誰よりも、冷たくあろうと、そう決めた。

 あたたかな心までも、安らかな思い出までも氷に封じて、冷徹に。

 ただ、運命という名の理不尽に屈しないためには、それしか手段は残されていなかったのだ。


「……このままでは、膠着状態が続くだけね」


 メタモルブーストによって魂を燃やしていながらも、特質が同じであるということもあって千日手のような戦いが続いている状況を俯瞰して、アナスタシアはぽつりと呟いた。

 魔法少女隊の援護は期待できそうもなく、主砲が凍結した主力級航宙戦艦は、次々に敵星体に蝕まれて沈んでいく。

 あの絶対零度を纏う竜もどきと戦えるのは自分だけだ。

 ならば、必要なものは決まっている。

 どくん、と心臓が一際強く跳ねたのを認めて、アナスタシアはちょうど、自らにその時が訪れたのだと知る。


「……メタモルバーン」


 もはや、自分の中に、星の炉へと焼べる薪木にできるだけの魂は残されていない。

 蝋燭が最後に燃え尽きる時、一際明るく輝くように、アナスタシアはその残滓を掬い上げ、星の炉へと無理やり焼べて、己の魔力を、肉体の崩壊を代償に極限まで高め上げた。

 身に纏い、吹き荒ぶ絶対零度の嵐は有象無象の敵星体を巻き込んで氷の塑像と変え、同時にタイプ・ホールケーキの魔力そのものを凍結させていく。


『Hyuaaaaaahhhhhhh……?』

「黙って。そして私の、私たちの星から……姉様の愛した星から消えて」


 氷が氷漬けになっていくという異様な光景を目の当たりにした、タイプ・ホールケーキは困惑に目を見開くが、絶対零度を超えた、概念レベルでの「凍結」という現象は例え人間であったとしても理解できるものではない。

 既存の物理学を塗り替える、超常的な現象を、人が思い描く全ての可能性を揺らぎの中から取り出したアナスタシアの「魔法」は、本来ならばあり得ない現象を、増幅された魔力を通して現世に出力しているのだ。

 もはやこの極低温の世界で生き残れる存在は、アナスタシアとこの竜もどきしか、タイプ・ホールケーキしか存在していない。

 未曾有の冷気に襲われた航宙艦はコントロールを失って墜落し、魔法少女も呪術甲冑隊も、敵星体の区別もなく全てが絶対のゼロに還っていく。

 そんな極限状態でも、アデリーナはまだ息をしていた。

 メタモルバーンを叫んだ以上、アナスタシアの命はそう長くない。

 そして、この極低温が支配する世界で、自分もまた、長く生き延びることなどできない。


「わかってる……わかってるよ、そんなこと! メタモルバーン!」


 全てを悟ったアデリーナもまたメタモルバーンを起動して、たった一秒でもいいと、一瞬でもいいと願いながら、親友が攻撃に回るための時間を稼ぐために、巨大な弓形の魔法星装を展開する。

 絶対零度の世界は既にアデリーナから指先の感覚を奪い、メタモルバーンを発動せずとも凍死は免れないのだろうという確信が、彼女の中には存在していた。


「ナスターシア! 受け取って!」


 震えながら、凍えながら、その一瞬のために、一秒のために、アデリーナは全てを燃やし尽くして、その一矢を、タイプ・ホールケーキへと撃ち放つ。


『Ooooooooohhhhhhhh!?』


 極低温の中でも熱量を保持して突き進む魔力の一矢は、確かにタイプ・ホールケーキの眼球へと突き立てられていた。

 痛みに悶える敵星体の絶叫が響く。

 ──ざまあみろ。

 そう呟くと、糸が切れた人形のように、あるいは凍りつくことを拒むかのように、アナスタシアの親友であった少女は、アデリーナは、全てを燃やし尽くした代償として、燃え尽き、塵へと還っていく。


「……ありがとう、リーンカ」


 彼女が作り出した一瞬は、彼女が命と引き換えに紡ぎ出した一秒のバトンは、確かにアナスタシアへと引き継がれて、莫大な魔力が、魂の全てを星の炉に捧げることでのみ許される最後の一撃が胎動する。

 エネルギーが負のベクトルに進み続けた先には、理論上反転分布と呼ばれる、何よりも熱い温度が存在している。

 種々の理由から観測することのできないそれは、理論の海に浮かぶのみであるはずだった。

 しかし、魔力は、魔法は、その不安定な揺らぎの中に存在する可能性を確定した事象として地上に出力するための法則である。

 最もエネルギーが高い状態へ。

 絶対零度を通り越した負温度、マイナスがプラスへと反転するその魔法は、アナスタシアの魂を贄として、この凍てつく大地に顕現する。


「……アブソリュト・インビェーシヤ……!」


 極限反転。そう名付けられたことで定義が補強された灼熱は、地上に太陽を降ろしたかのような熱量で竜もどきを、そして炉に焼べられたアナスタシアを焼き尽くす。

 思えば、上等な人生などではなかったのかもしれない。

 ヴェロニカが死んでから、アナスタシアは第二世代魔法少女となるまで、後ろ盾のない存在だからと迫害され続けてきた。

 それでも──友と呼べる存在ができて。思い出せばむかっ腹が立つけれど、それでもこの期に及んで顔を思い出す、腐れ縁とでも呼ぶべき絆がこの手の中にはあって。

 悪いものでは、なかったのではないか。


「もう、目を閉じていいよね……姉様……マーマ、パーパ……」


 死ぬのは、誰もが通ってきた道だ。

 アデリーナも、この戦いに駆り出された魔法少女たちも、今日この瞬間まで日々を紡いできた人々も。

 だから、怖くない。アナスタシアは最期にそう、自分に囁き続ける。

 ──声が、聞こえた。

 おいで、と手招く、その声は、父のものであり、母のものであり、姉のものであり、アデリーナのものであり──その全てを抱き抱えて、アナスタシアを天使の梯子へと引っ張り上げていく。

 はらはらと灰のように崩れ落ちながら、アナスタシアは、導かれるように崩れゆくその手を伸ばす。

 ただ一つ、魂すらも失った己に残されたその奇跡という名の幻を抱くために。

 氷の第二世代魔法少女、アナスタシアは、永遠の冬を焼き尽くし、その魂を燃やし尽くし──たった一つ残された幻だけを抱いて、天へと還ってゆくのだった。

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