77.魔法少女と人理の堡塁
中東管区における防衛線は、主力級航宙戦艦十隻が投入されていたのにもかかわらず、容易く突破された。
それは有する魔法少女の質も量も他管区と比較して劣っていたのもあれば、襲来したタイプ・ホールケーキが強力な個体だったというのもある。
『Guoooooo……』
低く唸りを上げて、雷をその身に纏うタイプ・ホールケーキは己が完全に沈黙、壊滅させた連邦防衛軍の残滓を一瞥した。
しかし、連邦側もむざむざ犠牲になったわけではない。
タキオン粒子砲を使用せずにほとんどの取り巻きの大半を壊滅させ、タイプ・ホールケーキにも手傷を負わせたことを鑑みれば、奮戦したといっても差し支えはないだろう。
該当する個体の進路上に位置する北京管区も迎撃のために艦隊と魔法少女、そして呪術甲冑隊を出撃、展開させている。
だが、先日の一件で戦力の大部分を喪失している現状では、間違いなく阻止は不可能だというのが、戦術シミュレータの導き出した見解にして、軍部における暗黙の了解だった。
「奴が東京に到達するのも時間の問題だ。やはりタキオン粒子砲による迎撃を試みるべきでは?」
その様子を総司令部から見つめていた軍務局長は、額に脂汗を滲ませながら司令長官へと意見を具申する。
タキオン粒子砲。3年前の時点では、敵星体に対して唯一有効だったその兵器における欠点は、あまりにも強力すぎる故にその副次的な被害も凄まじいことだ。
地上で主力級航宙戦艦が五隻も同時にタキオン粒子砲を放てば、確かにタイプ・ホールケーキへと打撃を与えることは可能だろう。
しかし、その結果として残されるものは射線上にある全てが、草木の一本も生えることのない焦土と化すというものである。
「……貴官の言い分も理解できる」
「ならば」
「しかし、後の人類に残されるものはなんだ? 生存圏を狭め、この星を焦土とすれば、その答えは自ずと見えてくる。未来に残すべき遺産……その最後の堡塁が極東管区であり、そのためのマジカル・ユニットだ」
司令長官の意見にも、軍務局長の意見にもそれぞれの正しさがあり、そのどちらが正解なのかを決めるのはのちの歴史家にしかできないことだ。
未来のために今犠牲を積み重ねることを容認するのか、今積み重ねられようとしている犠牲を否定するために、未来へとそのツケを、決して消えない爪痕を残すのか。
人類は、究極の決断を迫られているといってもいい。
極東管区に戦力が集中しているのは、「救世の七人」作戦を成功させていたのも大きな要因だが、それ以上に第一世代魔法少女という、タキオン粒子砲に匹敵する存在を戦後も抱え続けているためだ。
人類にしてその人理、最後の堡塁を自称する極東管区が、最終兵器の使用を容認するのはその沽券にかかわることであり、到底認められない──この期に及んで、政治的な面子を優先するのかと、軍務局長の視線が険しさを帯びる。
それが政治的な面子だけではないと理解してはいるものの、敵の排除だけを念頭においているタカ派の筆頭である彼にとって、タイプ・ホールケーキが東京へと到達するのは、なんとしても避けたいことだったのだ。
マジカル・ユニットの投入は既に規定事項であり、本土決戦を行う用意をしているからこそ、諏訪部は総司令部に呼び出され、その指揮権限を与えられている。
つまるところ、人類の可能性を未来に託した、というのが極東管区の答えだということだ。
そのための犠牲を容認することになったとしても、それが例え綺麗事だとわかっていても、この星を焦土としてでも生き残るよりは、少しでも健やかで穏やかな種を未来に芽吹かせる。
それがいかに困難なことであろうとも、司令長官はその考えを曲げるつもりはなかった。
「この先は地獄ですぞ」
「元よりだ。我々が人であることを捨ててまで、この地球を焼き払ってまで勝ったところでそれでは敵星体と何も変わらんのだ」
「……承知いたしました、これ以上は何も申しませぬ」
人類の堡塁、人理の守護者と名乗れば聞こえはいいのかもしれないが、やっていることはただ未来のために今の犠牲を容認することに過ぎないのかもしれない。
だとしても、その矜持を捨て去れば、人は容易く獣に成り下がる。
理性が虚飾であったとしても、文明が数多の死体を礎にして成り立っているものだとしても、人が人であろうとすることそのものが、人間を霊長の存在たらしめているのだ。
紫電を纏う竜もどきがとうとう北京管区の敷いた布陣に踏み込んだのを視認して、諏訪部たちは、出撃を待機している魔法少女たちは、改めて覚悟を固めるのだった。
◇◆◇
『Hyuoooooo……!』
「何よ、こいつ……!」
同時刻、モスクワ管区に敷かれた防衛線は阿鼻叫喚の様相を呈していた。
絶対零度を身に纏うアナスタシアと、同じく氷と吹雪を操る、タイプ・ホールケーキの相克は、その余波でもって多くの機械類──主力級航宙戦艦の主砲や呪術甲冑の関節を凍てつかせ、魔法少女隊もまたその冷気に身を蝕まれるという事態に陥っている。
アデリーナは、自身の魔法星装である大鎌をその手に携えながらも、タイプ・ホールケーキとアナスタシアの戦いに手を出すことができずに歯噛みしていた。
親友の援護に回りたいという気持ちがないというわけでは断じてない。
しかし、あの全てを氷の中へと閉ざそうとする竜もどきが発する強烈な冷気は、魔法少女としての守りをその身に宿していても堪え難いものだった。
本来であれば、魔法少女という存在は超高温のマグマの中であったとしても、極低温が支配する局地であったとしても、何一つ不自由なく活動できる「星の守り」が、魔力による加護が与えられている。
しかし、敵星体が魔力の存在に着目し、その力を地球から吸い上げたことで、タイプ・ホールケーキや複製体といった特異個体は、魔力をその身に宿している──つまり、魔法少女とほとんど同じ条件で活動しているといってもいい。
魔法少女は自死を禁じられているものの、他者による死までは防げない。
同じ魔法少女同士が戦うことになったとすれば、どちらかがどちらかを殺めることは可能なのだ。
魔法というものは、高次元の中を漂う無数の可能性から、あらかじめ定義されている結果を汲み取って、魔力をバイパスとして現世に出力しているに過ぎない。
つまるところ、向ける標的が敵星体であろうが魔法少女であろうが人間であろうが、「魔法」は向けられた対象へと引き出した結果を律儀に出力するということだ。
「ええい、主砲はまだ復帰せんのか!」
「申し訳ありません、しかし凍結による被害が著しく……」
「このままでは、一方的に沈められるぞ! 復旧作業急げ!」
「了解!」
モスクワ管区に配備された主力級航宙戦艦の中でも、旗艦を務めている「ガングート」の艦長が怒鳴り散らす。
回線がオープンチャンネルになったまま言い放たれた大声に顔をしかめつつも、アデリーナは自分の身体が凍りついていく、思い通りに動かなくなっていく感覚に歯噛みする。
つまるところ、敵が魔力を用いてこの極低温を再現しているのならば、それは魔法少女が持っている「星の守り」を踏み倒せるということなのだ。
アデリーナの周囲に展開していた魔法少女たちも、極低温を味方につけた敵星体の攻撃によって、一人、また一人と数を減らしていく。
第三世代魔法少女が吸い込んだ空気から、すぐさま体内の凍結が始まり、氷の彫像と化した名前も知らない少女は地に落ち、バラバラに砕け散る。
「そんな、ライフルが動かないなんて──! 嫌! 食べられて死ぬなんて、そんなの、嫌ああああッ!」
またも犠牲になったのは、その魔力が低い第三世代魔法少女だった。
非力な魔法星装を補完するために渡されていた、呪術回路を組み込んだアサルトライフルはトリガー部分の凍結によって弾を吐き出すことはない。
そうして絶望に暮れた魔法少女の元へとタイプ・キャンディが殺到し、その肉体を無惨にも食い散らかす。
アデリーナもまた自身の特質である「爆発」の魔法を用いることで援護しようと試みたが、この距離まで敵に近付かれてしまえば、死因が爆破魔法に変わるだけのことだ。
「畜生……ッ!」
運命を呪い、人理を呪い、前線の魔法少女たちは死神が差し伸べた手を取らされて、死の舞踏を踊り続ける。
どんな正義を掲げたとして、どんな理想を掲げたとして。
その現実だけは、覆しようのないものであることに、変わりはないのだった。