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72.魔法少女、月明かりの下で

 アンジェリカも、内心で結衣たちの全てを許していたわけではない。

 自分の劣等感に関わることや、生まれの不幸とでも呼ぶべきものは恥であり、秘めておくべきだと捉えているからだ。

 だが、それ以上にアンジェリカは、西園寺の家に生まれた人間としての面子を優先した──懐と情けが深いように見せかけて、まだわだかまっている内心を隠す。

 それがいかに高貴さから遠い行いであるとわかっていても、自分の弱さや脆さという唾棄すべきものに苦しんでいる姿を見られるぐらいならば、毒杯を煽っても強がってみせるくらいの心意気でいたい。

 そんなプライドが、弱さに打ち震えるアンジェリカを支えていたこともまた、確かだった。

 洗面台で口元を濯ぎながら、鏡に映る己の顔を見つめれば、もう一度、体の芯から吐き気がこみ上げてくる。

 赤と青。左右で色が違う瞳はその鏡像も反転するだけで、同じ色を帯びてはくれない。

 カラーコンタクトを着用するという手段もあるにはある。

 しかし、自らの弱さを認めてしまうのに等しいそんな行いをアンジェリカのわがままと紙一重の自尊心が許すはずはない。

 ならばこそ、魔法少女として。

 第一世代魔法少女には及ばずとも、第二世代の「早生まれ」──あの忌まわしき「赫星一号」が破壊された直後に覚醒した魔法少女として、武勲を立てる以外に己の価値を認める手段などありはしないのだ。


「お父様、お母様……わたくしは……」


 そんなことをしなくても、ただ愛してさえもらえればそれで十分だった。

 それもまた、アンジェリカにとっては偽らざる本音である。

 しかし、西園寺の家は、血族の旧弊に縛りつけられたあの家は、左右の瞳で色が違うというだけで生まれた末娘を愛してくれるような場所ではない。

 故に、戦う。

 故に、多くの敵星体を殺し続ける。

 そうすることでしか、「西園寺」の名を背負う人間としての責務を果たすことでしか、自分には愛される資格などないと、アンジェリカは知っているから。

 だからこそ、アンジェリカは今日も貞淑な女性としての仮面を被り続け、その下にある涙を、誰にも見せないように拭い続ける。

 それが緩慢な自傷であると、迂遠な自殺であると知っていても、そうすることしか、不器用な彼女にはできないのだった。




◇◆◇




 結衣たちは食事を終えた後、施設の中庭へと向かっていた。

 そこに何か特別な理由はない。

 強いていうのであれば、今日はやけに星が綺麗だと、食堂で兵士たちが言葉を交わしていたのを聞いたからかもしれない。

 中庭に設置されたベンチに腰掛けて夜空を仰ぎ見れば、その言葉が真実であることを示すかのように、くっきりと夜の帳に浮かび上がる満月が、朧に足元を照らしている。

 思えば、空を仰ぎ見ることなどほとんどなかった。

 空といえば敵星体が降ってくる場所であり、流れ星のように降り注ぐタイプ・キャンディやタイプ・クッキーを相手に、明日をも知れない戦いを、3年前は繰り返していたのだから、星空を見上げても心は荒むばかりだったのを、結衣は今でも思い出せる。

 空は敵であり、宇宙に夢はない。

 一時は内惑星圏の開拓まで手を伸ばした人類の夢は容易くへし折られ、火星に生きていた人間は、スペースコロニーに住んでいた人間は皆、敵星体に鏖殺された。

 だからこそ、敵星体とは憎むべき存在であり、魔法少女としてこの地球に選ばれた自分たちは奴らを根絶やしにするまで戦い続けなければならない。

 そんな使命をも、今、このひとときだけは忘れていられるような星空を見られたのは、幸運がそうさせたのか、それともスティアとの生活が、自分に上を向かせるだけの活力を与えたのか。

 きょとんと小首を傾げて、その髪から粒子を舞わせるスティアへと視線を向けて、結衣はふっ、と小さく笑ってみせる。


「どうしたの、結衣……?」

「ううん、きっと、両方だなって」

「両方……スティアには、わからない……でも、結衣が嬉しいなら、スティアも、嬉しい」


 覗き込む角度で色を変える不可思議な瞳に、虹のプリズムを宿しながら、スティアは、満点の星々をその手に掴むかのように、掌を宙へと無邪気に掲げた。

 人間とは不思議で、非合理的で、よくわからない生き物だという認識は、今もスティアの中で変わったわけではない。

 それでも、結衣が嬉しければ自分も嬉しい。

 結衣が悲しければ自分も悲しい。

 他人に依存するものであったとしても、心の中に芽生えたその想いだけは紛れもなく本物だ。

 故にこそ、あの沖縄での夜に、泣いていた結衣にかける言葉がなかった自分が、そして絵理がその隣にいたことにささくれ立った感情をスティアが抱いていることもまた、事実だった。


「人間は……不思議」


 ぽつりと、掌の中に星を収めてスティアは呟く。

 自分もその一部であることを認めているからこそ、そしてそこに記憶という致命的な欠落を抱えているからこそ、少しだけ引いた時点でその営みを俯瞰したときに、そんな言葉が喉から零れて落ちるのだ。


「スティア?」

「……絵理が結衣の隣にいる時、スティアは嬉しい。結衣と絵理の仲がいいのは、喜ばしいこと……スティアはそう理解している。でも、スティアにはわからない……どうして、結衣と絵理が一緒にいるとき、少しだけ胸の辺りが苦しくなるのかが、わからない」


 歌を口ずさむかのように、スティアはその眦へと涙を滲ませながら、結衣を振り返って舌先から言葉を紡ぎ出す。

 唐突な問いかけに、結衣は思わず身を強張らせる。

 確かに自分と絵理の仲は悪いものではなく、むしろいいものだという自認はあって、寄せられている感情が好意というものに分類されることは結衣にもわかっていた。

 しかし、それに応えるだけの、もらっただけの好意に釣り合うだけの想いを、今の自分は出力することができない。

 もちろん、絵理のことが嫌いだという話ではない。ただ、自分は心の中で込み入った感情を処理するための回路が壊れていて、受け取ったものに対して何も返すことができないから、想いに縋りながらも、その想いに見て見ぬふりを繰り返してきたのだ。

 そして、スティアもそういう感情を抱いているのなら、自分は二人の間で板挟みになっているということになる。

 答えを俯瞰して、導き出すことだけならば単純だった。

 その感情の名前は、たった一言で、文字に起こせば二つだけで終わるような、単純極まるものだと答えることは、それだけを鑑みるならばきっと容易い。

 心の中に嵌められた枷を無視すれば、そして自分が二つ寄せられたその感情の板挟みになった当事者であるということを除けば。

 その条件を取り除けないからこそ、どう答えればいいのかと結衣が言葉を喉元に押し留めていた、その時だった。


「──ッ、来る……!」


 スティアが突如として頭を抑えて、地面に蹲る。

 それは彼女が敵星体の存在を感知したということを示すものであり、少し遅れて、極東管区総司令部全体に、聞いたこともないようなけたたましい警報が鳴り響く。


『緊急事態宣言発令、繰り返します、緊急事態宣言発令! 地上に住んでいる市民の皆様は、今すぐ地下都市へと避難してください! 繰り返します、これは訓練ではありません! 地上に住む市民の皆様は、今すぐ地下都市へと避難してください!』


 何やらただ事ではないのは、スティアの怯えようからも察せられたが、極東管区が即座に緊急事態宣言を発令して、市民への避難を促している割に、結衣の中で響いている「星の悲鳴」の距離は遠い。

 これは一体、どういうことなのか。


「ドレス・アップ!」


 混乱する頭を沈めるように、結衣は魔法少女へと自らの姿を変化させ、スティアの背中をさすりながら、より強く内側に響き渡る「星の悲鳴」を辿っていく。

 そうして行き着いた真実は、絶望に塗り込められていた。

 沖縄で矛を交えた超巨大敵星体と同様の反応が六つ、東京に向けてゆっくりとではあるが侵攻を続けている。

 その他有象無象の敵星体反応に関しては、数え切れないほどだ。


『緊急命令だ! マジカル・ユニット及び全ての魔法少女は総司令部に集合しろ!』


 外で一体何が起きているのか──その事態を結衣が把握するよりも早く、諏訪部からの招集命令が、焦りと共に響き渡るのだった。

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