66.魔法少女と星の仮説
翌日、結衣たちは沖縄に到着した「オラシオン」に同乗して閣僚や官僚たちを送り届けてから、極東管区の本拠地である東京への帰還を果たしていた。
その間、大規模な敵星体の群れとの遭遇も懸念されていたものの、幸いなことに、遭遇したのはオケアノス級の主砲や対空砲での対処が可能な「はぐれ」ばかりで、航行スケジュールに支障は発生しなかった。
しかし、敵星体の動向については予断を許さない状況にある。
それが各管区に共有されただけでも、元々は閣僚や官僚たちのバカンスに過ぎなかった沖縄会議における大きな成果だといえるだろう。
久しぶりの帰還を果たした極東管区総司令部は相変わらず厳めしい外観をしていたが、それに違わず内部の空気も張り詰めたものだった。
「ずいぶんピリピリしてんねぇ」
「無理もありませんわ」
タイプ・ホールケーキの出現は極東管区にも大きな衝撃をもたらしたらしく、すれ違う兵士たちや魔法少女たちも皆一様にどこか怯えたような、また同じことが起きはしないかと憂慮しているような暗い顔つきをしている。
その後の調査で正式にわかったのは、北京管区から報告された重慶奪還戦の顛末──ダンジョンから生まれたタイプ・ホールケーキが一つの群れと魔法少女もどきを率いて、沖縄へと向かっていたということだった。
主力級航宙戦艦五隻と、多くの第二世代、第三世代魔法少女及び呪術甲冑隊を失った北京管区は大打撃を被った形であり、しばらくは支援として極東管区からオケアノス級二番艦「オールト」と魔法少女隊や呪術甲冑隊が派遣されるということにはなっているらしい。
らしい、というのは、「オラシオン」のブリーフィングルームで諏訪部が語っていたのを、美柑たちが立ち聞きしていたからに過ぎないからだ。
あくまでも、魔法少女は政治から遠ざけられる。
それが、暗黙の了解であることに変わりはない。
しかし、今回の一件を経て上層部が危機感を抱くようになったというのは大きな進歩であり、むしろ今までが楽観的すぎたのだと反省する向きがあるのは、歓迎すべきことなのだろう。
その分、戦いは苛烈さを増していくのだろうが──すれ違う兵士たち、とりわけ呪術甲冑陸戦隊からは概ねそんな会話が聞こえてきた。
「そんでアタシたちはどこに行くんだっけ?」
「……司令室よ」
「あっはは、わかってるわかってる。冗談だってば」
召集命令をかける都合で諏訪部は一足先に司令室に向かっている。
流石に冗談だとわかっていても、生真面目に返してしまうのが結衣という人間だった。
しかし、美柑のジョークにいつもの鉄面皮でそんな言葉を投げかけた結衣は平然を装っているつもりでも、やはりどこかが綻んでいる。
それが、絵理の見立てだった。
あくまで仮説としてではあるが、敵星体に複製された存在に過ぎないとはいえ、妹をその手にかけて平然としていられる姉がこの世にいるだろうか。
いたとすればそれは、きっと人の形をしていない。人の血潮が流れていない。
軍務に従事する人間として、それは致命的な欠落なのかもしれないが、血も涙も失って、ただ勝利だけのために身を削り続けるのが正義であるのなら、それと敵星体になんの違いがあるというのか。
絵理は、先導する結衣たちが開けた司令室のドアをくぐりながら、そんなことを頭の片隅に浮かべる。
「よく来てくれたな、忙しい中にご足労、感謝するよ」
司令室の椅子に腰掛けていた諏訪部は、相変わらず飄々とした雰囲気を装ってはいたものの、やはりその視線は険しいものだった。
諏訪部にも諏訪部で思うところがあるのだろう、と、結衣たちは敬礼を返しながらそんなことを思い浮かべるが、ほとんど一瞬で彼のフランクな仮面が剥がれ落ちた辺り、事態は思ったよりも深刻だということだろう。
「まず、伝えなきゃならんことがいくつかある……一つは、知っての通り先日の沖縄で遭遇した超巨大敵星体、タイプ・ホールケーキの件についてだ」
「敵がダンジョンを放棄して沖縄に襲撃をかけてきた、という話でして?」
「まあ、平たくいえばそうなるな。その件に関してだが、わかっているのは重慶のダンジョンから生まれた個体が何故か沖縄の襲撃に乗り出したってことぐらいだ。あとは……」
諏訪部はアンジェリカの質問に淡々と答えると、傍に控える真宵へと、「ラボラトリィ」の主へと目配せをする。
「はいはーい、ここからはあたしの出番ってことだね。いきなり本題で悪いんだけど、前に結衣ちゃんがダンジョンのことを『実験室』みたいだ、って言ってたじゃない? あれ、どうにも正解くさかったのよねえ」
パスを受けた真宵は興奮気味に、研究結果に照らし合わせた自らの仮説を滔々と語り上げていた。
それは一つの聖歌というには物騒で、厳かさの欠片も感じられなかったものの、どこか歌うような響きを持って、結衣たちの耳朶を震わせる。
「……正解、ですか?」
ただ直感的なことを述べたに過ぎない結衣は当惑しながらも、真宵の言葉に小首を傾げてそう返していた。
実験室。あの地下空間が「巣」ではなく、なんらかの実験のために生まれたのであれば、敵星体は何を研究していたのか。
その答えは、自ずと先日の戦いに符合していく。
そんな予感を振り切るかのように結衣は真宵から視線を逸らしたものの、無慈悲に、「研究室」の主はその答えを口ずさむ。
「この前四国のダンジョンから持ち帰ってもらった『星遺物』の分析結果だけど……あれ、『赫星一号』の破片が元だってことはわかってたけど、どうにもこの地球に寄生してる──平たくいえば、魔力そのものを吸い取ってるっぽいのよね。そんで、結衣ちゃんたちがこの前戦った群れの中には、死んだはずの魔法少女がいた。ここから導き出される結論は、敵も『魔力』に目をつけてたってことになる」
それに何の目的があってかはわからないけど、と真宵は肩を竦めるが、少なくともあの「星遺物」が、ダンジョンの核となる物体が地球が生み出す魔力の源泉に寄生している、というのは、事実であることに違いはない。
「……じゃ、じゃあ……第三世代魔法少女の魔力が弱まっているのって……」
「絵理ちゃん、鋭いねぇ……敵が勝手に『星の悲鳴』に相乗りしてたからだと、あたしたちは、『ラボラトリィ』はそう見ているよ」
敵は地球を荒らすだけではなく、星そのものに寄生して、なんらかの実験を行うと同時に、星そのものが、地球が有する魔力的リソースを弱体化させている。
それはあくまでも仮説に過ぎなかったが、裏付けるための証拠として、タイプ・ホールケーキが魔力を使用したことや、そもそも故人となった魔法少女を複製するといった芸当を、敵星体がやってのけているという事実は健在だ。
「……だとしたら、敵星体は」
「何のために、だよねぇ。結衣ちゃん。そこに関しては敵星体とお話しないとわかんないけど、内外から地球そのものをあの『赫星一号』は、破片になっても弱体化させてるし、挙げ句の果てにろくでもない実験に勤しんでる、ってわけ」
人類を滅ぼしたいだけなら、随分と回りくどいことだけどね、と、そう前置きした上で、真宵はずり落ちてきた眼鏡の蔓を人差し指で押し上げて、ふぅ、と小さく溜息をつく。
敵星体との対話。
真宵が何となくで口ずさんだフレーズは、不可能であることを前提にしていたものの、あの複製された魔法少女は、芽衣らしき何かは、断片的にではあるが、言葉を紡いでいる。
エリュシオン。星罰。
それらが何を意味しているかはわからなくとも、敵が発してきたメッセージであることに変わりはない。
不可解なそれらを紐解くための鍵があればいいのだが、事態というものはそう簡単に転んでくれるものでもなければ、転んだその先が天国であるとも限らないものだ。
それどころか、更なる地獄でさえあることだって珍しくない。
背筋を冷たい手で撫でられたような感覚に、思わず結衣は身を震わせる。
「それと、スティア」
「……スティアに、何かあるの……? 大佐……?」
「君にはもう一度『ラボラトリィ』で検査を受けてもらう。申し訳ないが、拒否権はないんでね」
沈み込んだ結衣に追い討ちをかけるかのように、諏訪部の言葉が、疑いが、淡々と司令室に響き渡る。
忘れようとしていたことだった。
忘れたいと願っていたことだった。
スティアに、敵星体との繋がりがあるかもしれない──その疑いは再び鎌首をもたげて、結衣の心の中で鋭い牙を剥くのだった。




