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64.魔法少女、揺れる心

「結衣……!」


 その後、主砲が全滅している「オケアノス」では閣僚や官僚の帰り道における護衛の任を果たせないということで、南米管区での合同任務から帰還していた三番艦「オラシオン」に同乗すべく結衣たちはホテルに戻っていた。

 客室で待機していたスティアは、寂しかったとばかりにその、覗き込む角度によって色を変える不可思議な瞳にじわりと涙を滲ませながら、結衣の胸へと飛び込んでいく。


「……スティア……」

「結衣は、怖くなかった……? スティアは、怖かった……でも、結衣が怖くなくしてくれた。スティアは、それが嬉しい」


 無垢に微笑む彼女の瞳からは、悪意や敵意の類は微塵も感じ取ることができない。

 もしもスティアが敵星体と何らかの繋がりを持っていたとするなら、この行為も、言動もマッチポンプに過ぎないのだろうが、そこまで疑いを深くできるほど、結衣という人間は歪んでいなかった。

 それが正しいのかどうかはわからない。

 軍人として、軍属の人間として、外患を誘致している疑いのある人間に疑いの目を向けきれないのは、致命的な欠落といえる。

 しかし、同時に疑念を抱いてしまえば、それを完全に捨て切ることができない中途半端さを持ち合わせているのが、結衣という人間の欠点でもあった。

 スティアを疑いたくないと心がいかに叫び続けようと、冷徹な意識が、「エリュシオン」という一つの符号を見落とすなと囁き続ける。

 揺れ動く心と意識の間で板挟みになりながら、スティアの体温を受け止める結衣の横顔には、暗い影が差し込んでいた。

 疑うな。疑え。

 二つの言葉間を延々とループし続ける自意識が焼けつくような感覚に苛まれながら、結衣はその息苦しさから逃れようと、半分は無意識の内に口を開く。


「……ねえ、スティア」

「なに、結衣……?」

「えっと……スティアは、『エリュシオン』が何なのか、わからないんだよね?」


 結衣の問いに、スティアは頭上にクエスチョンマークを浮かべながら、どうして、とばかりに小首を傾げた。

 しかし、以前夢に見た中で、自分を呼ぶ声が頻りに語っていたその言葉に、スティアは聞き覚えがあるような気がしていたのもまた確かだった。

 それを知っているか知らないかで判断するのならば、知らない、というのが答えになるのだろう。

 導き出された結論に従って、スティアは結衣へとその通りの言葉を語る。


「スティアには、わからない……スティアは、知らない……でも、どうして……?」

「……えっと。ううん、なんでもないの。スティアの記憶が戻るのに役に立てばいいかなって、そう思っただけ」


 苦し紛れに舌先から走り出した嘘の痛みに胸の内側をかき乱されながら、結衣もまた曖昧な笑みを浮かべて、スティアの言葉にそう返す。

 ──ひどい欺瞞だ。

 押し寄せてくる自己嫌悪に足首を掴まれて、後悔の沼へと引きずり込まれながら、結衣は抱きとめたスティアの体温という蜘蛛の糸に縋り付く。

 本当にその言葉が真実で、スティアと敵星体の間には何の関わりもなくて、彼女はただちょっとだけ不思議なだけの女の子。

 結衣は同じ支給品のシャンプーで洗った髪の毛から粒子と共に漂う淡い香りを吸い込む度、そんな儚い期待に、可能性に賭けてしまいたくなるのだ。

 しかし、結衣がスティアを心の支えにしているということを知っていても尚、疑いの目を向けるのが諏訪部という軍人の仕事だった。

 諏訪部はスティアの口から「エリュシオン」という単語を聞いてはいない。

 しかし、結衣がマジカル・ユニット入隊の時に提示した条件の中で語っていた「敵星体の襲撃を言い当てる力」に疑いの目を向け始めていたのだ。

 結果として、東京は二度救われて、沖縄も、そこに集う閣僚や官僚といった最重要人物らを守ることはできている。

 諏訪部は、ジンクスを信じない男だ。

 故に、スティアを保護していたのは結衣の精神を安定させるため、以上の理由はない。

 敵星体の襲撃を言い当てる力が彼女にあるというのなら、三度襲撃を言い当ててみせたのは必然ということになる。

 偶然は三度も続かない、というのが諏訪部進という男が掲げる信仰のようなものであり、その理論に従うのなら、スティアは本当に敵星体の襲撃を予知する力を持っている、ということだ。

 ──そう、スティアという個人がいる範囲で。

 この地球において、人類が敵星体から奪還できた国土はおよそ三割といった風情である。

 故に、ダンジョンにこもっていない「はぐれ」の敵星体が前線基地へ襲撃をかけてくることはほとんど日常茶飯事といっても差し支えはなく、もしもスティアがそういう予知能力を持っているならば、それらについて何も感知していないのは不自然だ。

 逆説的に考えれば、「スティアがいるところに敵星体の襲撃がある」、つまり、彼女は何らかのビーコンなのではないかというのが、諏訪部の組み立てている仮説だった。


「……疑わしきは罰せず、か」


 しかし、それとて確証があるわけではない。

 一度極東管区に戻って「ラボラトリィ」に追加でスティアの身体検査や身辺調査を行ってもらうくらいしか、何らかの証拠を得る方法がない今、表立ってスティアに疑いを向けることは、結衣の精神状態を鑑みて、デメリットにしかならない。

 特に、彼女は敵に複製された妹をその手にかけているのだ。

 涙を零しながらスティアを抱きとめる結衣を一瞥して、参ったとばかりに諏訪部は、溜息をつきながら肩を竦めた。


「……一応は身内なんだ、疑うことはしたくないものだがね」


 しかし、もしもスティアが敵星体と繋がっているという証拠が手に入ったとしたのなら、その時は裁判を略式的に受けてはもらうものの、銃殺すらその選択肢に入れなければならない。

 妻だった女が諏訪部を嫌っていたのは、そういう冷徹さが、人を人と思って扱わないことができる一面を持っていたからだった。

 左手の薬指に残る指輪の跡に触れながら、諏訪部は、今は何も語るまいとばかりに、待機を命じられた客室へと引き返していくのだった。

 その様子を眺めていたスティアは、彼の背中から漂う剣呑な空気にびくり、と身を震わせて、結衣の身体をより強く抱きしめる。


「どうしたの、スティア?」

「……大佐は、怖い。スティアは、疑われてる?」

「っ……」


 諏訪部がどこまで何を知っているのか結衣はわからないが、表立って疑念を向けていることだけはわかる。

 そして、他の魔法少女たちも、言葉にはしていないだけで、少なからず敵星体の襲撃を言い当てたスティアに対して、疑いを向けていることは確かだった。

 唯一、例外的に、極東管区に所属している美柑と絵理、そしてアンジェリカはそれが彼女の特質であると理解しているために、平然とした表情で言葉を交わしているものの、逆にいえば、アリスたちは容赦なくスティアを疑っているということだ。


「……スティアは、疑われるようなことなんてしてないよね? だから、大丈夫」

「うん……スティアは、何もしていない……」

「なら、きっと大丈夫だよ……きっと……」


 ぎゅっ、とスティアを抱き締める度に、涙が瞳から零れ落ちてくるのは、結衣の心がそれだけ擦り切れていることの証だった。

 人肌に触れるだけで、体温を感じるだけで涙を零してしまうのは、生きていた頃にそうしていた相手の似姿を殺してしまったことへの罪悪感からきているものだ。

 しかし、それを差し引いてももう、結衣という人間の精神状態は限界に近い、というのが、アリスの見立てだった。


「……何も言わないの?」


 胡散臭い「奇跡」を起こしてみせたスティアを一瞥しながら、アナスタシアは小声でアリスへとそう問いかける。


「言えねえよ、仮にもしそうだったんならあたしがぶっ殺す、今はそうじゃねえんだろ」

「……優しいのね」

「皮肉か? まあクラウディアの奴より、イカれちゃいねえよ」


 クラウディアは唯一、スティアが敵星体の襲撃を予知する場面を見届けていなかったために、沖縄を防衛できたという事実に上機嫌だが、もしその場を見ていたらこの場で疑いを向けたスティアを殺してしまいかねないほど、彼女の憎悪は異常なものだった。

 しかし、そうでもしなければ生きていられないのだろう。

 魔法少女だ、ワルキューレだ、マギヤソルダートだ、マギカドラグーンだと各管区で微妙に呼び名こそ異なっても、同じ「星の悲鳴」を聞かされた存在は、必然として心を摩耗させる戦場へと飛び込むことになる。

 初陣で死ねたのならば、それは幸いだ。

 生き続けることほど、地獄を見届け続け、一足先に自由を手にした同胞たちの亡骸や、空の棺を見送り続けることほど心をすり減らすことはない。

 それが、アリスの抱く哲学のようなものだった。

 それでも生きなければならないのは、これが人類という種と敵星体の生存をかけた戦いだからだ。

 地獄を生き抜いた先にパラダイスが約束されているとは限らない。

 それでも、死んでないだけ、生きているだけまだマシだと自分に言い聞かせる他にないのだ。


「……本当に、死んでないだけマシなのか」

「さあ、わからないわ。少なくとも私は……姉を殺された恨みで戦っているもの」

「そうかよ」

「でも、生きていなければ、言葉は交わせない」


 普段からいがみ合っていたのだとしても、と付け加えて、アナスタシアもまた用意されている客室へ、踵を鳴らして戻っていく。


「……んだよ、気持ち悪りいな」


 遠回しな好意の表明なのか、あるいは口喧嘩をすることでストレスの発散ができるからなのかは、アリスにはわからないし考えたくもなかったが、あのアナスタシアがここまで感傷的になるのも、珍しいことだった。

 もしもあのスティアという少女を撃たなければならない時が来たとして、その役目をアリスが買って出るのは、管区の違いから難しいだろう。

 それでも──来ないのが一番だが、来てしまったのなら、いの一番に銃殺役に志願するつもりで、アリスもまた部屋へと向かう。

 憎まれっ子は、一人だけでいい。


「……そうだな、生きてる分だけマシかもしれねえけどな、気の毒すぎて何も言えねえんだよ」


 優しすぎる故に、素朴な感性を持っているが故に、この戦場で地獄を見続けている結衣を一瞥すると、アリスは指先でカードキーを弄びながら、静かにそう呟くのだった。

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