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6.魔法少女、打ち明ける

「……そんな出来事があった。それだけだよ」


 それだけ、と、切って捨てるのに、「赫星戦役」で払った犠牲は、あまりにも大きすぎた。

 時間的猶予が残されていなかったが故に博打同然で挑んだ「救世の七人」作戦も、スティアに打ち明けた通り、結衣たちを送り出すためだけに何人が犠牲になったのかわからないし、数えたくもなかった。

 人の命は断じて丼勘定できるような代物ではない。例え一人が病に倒れようと、百人が敵星体の犠牲となって宇宙に散ろうと、その命の価値は等価であり、生き残ってしまった結衣たちや、地球に暮らす市民たちは意識しているかいないかにかかわらず、等しくその十字架を背負っている。

 だが、そのような十字架を四六時中、年端もいかない少女が背負い続けられるだろうか。

 答えは否だ。だからこそ、結衣は「救世の七人」作戦に成功した後は何も考えなくて済むモルモットに、「人類の新たな希望を紡ぐ」というお題目で研究されていた実験に志願していたところがあった。

 それも要件が済んでしまえば、お払い箱なのだが。

 だからこそ、用済みになった自分は除隊扱いで連邦軍から追い出されて、何の因果かこうして行き倒れていた少女と一つ屋根の下で暮らそうとしている。

 それは逃避だ。今も耳鳴りのように意識を苛む悲鳴の残響が、低くくぐもった響きをもって結衣の脳裏を打ち据えた。

 逃げて、逃げて。戦場にいた時は何よりも欲しくてたまらなかったはずの「自由」をこの手に得たはずなのに、心はいつまでも渇いたままだ。

 半ば懺悔をするように、スティアへとそう打ち明ける結衣の横顔は、英雄のそれとは程遠く、憔悴しきって隈の浮き上がった瞳と、愛想笑いを浮かべようとした出来損ないの、引きつった口元が、今も内側から湧き起こる自責の念が、心を蝕んでいることを何よりも雄弁に物語っていた。


「結衣……悲しい?」


 スティアは、そんな結衣に対して半ば自分の胸の内を確かめるかのようにそう問いかける。

 スティアには記憶がない。

 それはこの、誰もが等しく十字架を背負わされた時代においてある種幸いなことなのかもしれない。

 悲惨な、という言葉ですら届かない「赫星戦役」において、家族を敵星体に殺された記憶、敵星体に為す術もなく追い詰められてとうとう地下の穴蔵、有事のためにと建造されていた地下都市へと押し込められ、いつ終わるともしれない戦いの終結を、死の影に怯えながら祈っていた記憶。

 他にも例を挙げるなら枚挙にいとまがないが、あの戦いにまつわる記憶がないというのはそれだけで幸運に思えるほど凄惨で、絶望的な戦いを人類は強いられてきたのだ。

 記憶がなければないで、それだけでつらいこともある。

 スティアは困ったように小首を傾げて、不可思議な色合いの髪を窓から差し込むそよ風に靡かせ、ふわりと光る粒子を漂わせながら、すっかり憔悴した結衣へと、恐る恐るその右手を差し伸べて、涸れ果てたと思っていた涙が伝う頬にそっと触れた。

 そして、涙は再び流れ出す。

 なんということもなく、少しひんやりとした温度と柔らかな感触が伝わってくるだけで、生きている誰かに触れたというだけで、結衣は随分と救われたような気がしてならなかったのだ。


「……スティア、ごめんね……ごめんね、私……」

「結衣は、悲しい……戦いで、いっぱいの死を背負ったから……スティアは、ただいることしか、できない……でも、スティアは、ここにいるよ、結衣」

「……ありがとう……」


 自分の行いは間違いじゃなかったと、心のどこかではそう思いたがっていたのかもしれない。

 その卑しさに、その厚顔無恥な気持ちに目を背けていたからこそ、結衣は背負い続けてきた死に潰されそうになっていたのだ。

 逃げることは、恥じることではない。

 少なくとも精神安定剤を友にして、眠れない夜を睡眠導入剤で無理やり誤魔化すような崖っぷちに立っているのであれば、そこからは逃げ出した方がいいはずだ。

 そうでなければいつしか死神に足元を掴まれて、崖の下へと引き摺り下ろされていくのだから。

 だから、身構えていなければならなかった。

 結衣は連邦政府からの受勲を受けた時に、「英雄は英雄たれ」という半ば呪いのような願いを同時に託されてもいた。

 それでも、戦いが終わって空虚に穴が穿たれた心の隙間を埋めるのに、その言葉はぴたりと符合したのである。

 英雄は英雄らしく、全ての死を背負って、人類のために尽くして生きなければならない。

 そうでなければ散っていった兵士やお仲間の魔法少女たちに、結衣が自身のミスで殺してしまったのにも等しい桃華に顔向けできないから。

 だから、泣くのはやめにしようと、そう思っていたはずなのに、スティアのあたたかさはその脆い部分に走ったヒビを埋めるかのように染み渡って、はらはらと涙を零させるのだ。

 ここにいる。スティアという少女が、記憶こそ失っても生きていてくれる。

 その言葉と事実は、戦後にあって尚、専横を繰り返す特権階級たちの振る舞いに密かな失望を抱いていた結衣にとって、紛れもない希望だった。

 落涙する結衣はスティアの胸に預けていた顔を上げると、少し照れ臭そうに頬を染めて、ごしごしと涙を拭いながら、とりあえずはとばかりにソファへと掛け直すと、空いていた右側へとスティアを手招いた。


「ぐすっ……ありがとう、スティア。とりあえず、やることもないから、一緒にぼーっとしてようか」

「ぼーっとする……? スティアは、何もしないをする……それでいいの、結衣?」

「うん、少なくとも私は……救われるかな」


 本当ならば、少ないとはいえ私物をクローゼットにしまい込んだり、家の中にあるものを確認したりと、やるべきことは残っているのだが、しばしそこから目を背けて、結衣はスティアを手招く。

 不思議そうに小首を傾げたことで揺れるスティアの髪の毛からは粒子としか形容できないものが零れ落ち、重力に惹かれて落下していくものの、それが床や壁になんらかのシミを作ることはない。

 よくよく見れば、否、見なくともそれはおかしなことであると結衣の感性はそう告げていたが、金とも銀ともつかない不思議な色をした髪の毛に、覗き込む角度によって色が変わって見える万華鏡のような瞳を持つ人間がこの世のどこかにいると仮定した方が、説明はつく。

 一瞬、スティアは宇宙人なのではないかと、その不可思議な髪と瞳を見た時に結衣はそう感じていたものの、宇宙から飛来したものは人などではなく、滅びをもたらす星だった。

 そして未知との遭遇が二度も起こりうる確率よりは、そういう人間がいる──そもそも、古い時代のアニメーションにしか出てこなかった、魔法少女なるものが現実に侵食している以上、今更だ──と考えた方が、精神衛生には良い。

 忘却と思考停止は、神が人間に与えた最後の恩寵であると人はいう。

 それはスティアを見る限り、昨日までの自分の在り方を見つめ直す限り、きっと正解なのではないかと、結衣はそんなことを思考の片隅に浮かべながら、戸惑い気味にソファの右に腰掛けたスティアへと、そっと肩を寄せるのだった。


「結衣……どうしたの……? スティアには、わからない……」

「……ごめんね、もう少しだけこうさせていて。勝手なのはわかってるけど……スティアといると、安心するの」

「安心……わからないけど……結衣は、安心がしたい? そのために、スティアは役に立つ……?」

「うん……役に立つ、って言い方は少し角が立つけどね」

「角が立つ……よくないこと……スティアは、反省する……」


 しょぼくれた様子で眉を八の字に歪めるスティアの様子がなんだかおかしくて、気付けば結衣は小さく噴き出していた。

 何かが滑稽なわけではない。スティアだって必死に考えて、そして辿々しくも言葉を紡いでいるのだから、それを馬鹿にする意図もなければ権利も結衣は持っていない。

 ただ、久しぶりに触れたそういう人間らしさというものに、心が癒されていくような、渇き続けていた喉が潤っていくような感じを覚えるのだ。

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