56.魔法少女と戦鐘、再び
それは、確かに沖縄を目指して漂い続けていた。
重慶のダンジョンを破壊しながら生まれてきた巨大なクラゲ型の敵星体は、無数の取り巻きと魔法少女によく似た何かを引き連れながら、死の行進を続けていた。
この3年間で、人類が取り戻せた国土はおよそ三割に過ぎない。
つまるところ、いかに警戒網を敷こうとも地球の七割は未だ敵星体の縄張りということであり、北京管区が管制を担当していた空域を、その航空戦力ごと薙ぎ払って、「それ」は何かに導かれるように、あるいは誘われるように沖縄を目指して漂い続ける。
しかし、これだけの群れが移動し続けているとなれば、連邦防衛軍が宇宙に浮かべた監視衛星が捉えられないはずはなく、リアルタイムでそのデータは地球連邦防衛軍極東管区総司令部へと伝えられていた。
「馬鹿な……そんなことがありえるのか!?」
「しかし軍務局長、衛星が捉えた画像と観測対象の座標は間違いなく沖縄に向けて移動し続けている」
「……これではまるで、敵星体が閣僚や官僚が集まったところを狙っているようではありませぬか、長官」
「うむ……諏訪部大佐からの報告で、敵星体が進化しているとは聞き及んでいたが……」
長官と呼ばれた彼──地球連邦防衛軍統括司令長官なる長い肩書を背負っている壮年の男性は、額に冷や汗を滲ませながら、想像を超えた事態に小さく唸る。
宮路真宵から、「ラボラトリィ」からの報告ではあのダンジョンと呼ばれる構造体は「巣」としての役割を担っているのではないかという見方が軍部の中では強かったものの、先日音沙汰がなくなった重慶奪還戦のために回された部隊のことも鑑みれば、あれは「はぐれ」の群れなどではなく、重慶の「巣」を立った群体だと見て間違いはないはずだ。
「諏訪部大佐に回線を繋げ! マジカル・ユニットの出撃許可は既に出している、なんとしても迎え撃つのだ!」
軍務局長の怒声が響き渡ると同時に、けたたましく警報が鳴らされる。
軍部は懸命に対応しようとしているものの、不幸なことに、今動かせるオケアノス級は、沖縄に派遣していた「オケアノス」だけだった。
入渠を終えた「オールト」と「オラシオン」は他管区との合同作戦に投入されており、それらを今から引き戻すのは極めて難しい。
ならば、頼りにできる戦力は「オケアノス」と、沖縄に集まっていた各管区最強の魔法少女たちだけだということになる。
「頼むことしかできぬ我々を恨んでくれ……しかし、頼んだぞ、魔法少女……」
祈ることしかできない無力を呪いながら、司令長官は握りしめた拳を震わせて、ただ立ち尽くすのだった。
◇◆◇
スティアがその声を聞いたのは、アリスが叩き割ったというよりは微弱な魔力を込めたことで両断したスイカを、全員で分け合っていたその時だった。
──エリュシオン。
脳裏から金槌で頭を殴られたような衝撃と共に、スティアは夢の中にも出てきたその言葉と、恐ろしい「何か」が迫ってくることを、確信として感じ取る。
「どうしたの、スティア!?」
急にスイカを取り落として地面にへたり込み、がくがくと全身を震わせているスティアへと結衣は一目散に駆け寄って、冷や汗が滲む額にそっと右手を這わせて熱を確かめる。
まさか、という予感は結衣の中にも確かにあった。
これが熱中症だとしたらそれはそれで問題だが、スティアがこれだけの怯えを見せたということは、そこからいかに目を逸らそうとも、敵星体が絡んでいるということに他ならない。
「結衣……来る、何か……怖いものが、来る……!」
「……ッ、敵襲!?」
けたたましい警報が鳴り響いたのは、スティアがその言葉を震える唇から紡ぎ出した、その直後だった。
緊急事態宣言と共に、市民たちを地下シェルターへと誘導するアナウンスが街中に響き渡り、尋常ではない脅威が迫っているのだと、これは訓練ではなく現実なのだと、切羽詰まったアナウンスがそれを何よりも雄弁に物語る。
「遊びの時間は終わりってことか、ちょうどいいぜ」
「……今、出撃許可が下ったわ。クラウディアが先行している」
「だったら負けられねえよなあ! 行くぞてめぇら! あのクソッタレどもを地球から叩き出してやるんだ!」
──ドレス・アップ!
アリスとアナスタシアはその解号を同時に唱えると、己の魂を高次元へと接続する媒介として、魔法少女としての姿へと生まれ変わっていく。
二人の身体が光のヴェールに包まれたかと思えば、纏っていた水着を上書きするようにゴシックロリータのドレスへとその装いは改められて、手には魔法星装が携えられる。
アリスは二挺のアサルトライフル、アナスタシアは透き通る冷気を放つ氷の刃を先端に持つ直槍と、それぞれの特質を反映した魔力による武装が構成された結果だった。
「結衣、アタシたちも!」
「わかった、でも……」
「スティアを避難させるんでしょ? それならアタシに任せて! 結衣と絵理は敵星体への対処をお願い!」
三人の中で、全ての距離へと即座に対応できるのは直刀とリボルバーカノンという、レンジが違う二つの魔法星装を同時に保持している美柑だけだ。
結衣も光の刃による近接戦は可能としているものの、展開に僅かなタイムラグが生じる以上、スティアの護衛は万全を期すという意味では美柑に任せるのが適任だった。
呪術結界は展開されているものの、スティアの怯えようから察するに、今回の敵はおそらく尋常ではない存在なのだろう。
覚悟を固め、「ドレス・アップ」の解号を唱えると同時に、結衣と絵理、そして美柑とアンジェリカの身体が光の繭に包まれて、ただの少女から魔法少女へと変じてゆく。
「スティア、無事でいてね」
「うん……スティアは、結衣の無事も祈っている……だから、帰ってきて、結衣」
「……約束する。それじゃあ、行ってくるから」
その細腕に結衣は約束と魔法星装を携えて、戦場となる空へと、魔法少女に変身したことでより強く感じられる「星の悲鳴」を辿る形で飛び立つのだった。
◇◆◇
「おいおい、こりゃあ……何かの冗談だと思いたいもんだね」
「残念ながら現実ですよ、東山艦長」
「わかってるよ、諏訪部司令。最悪は」
「ええ、タキオン粒子砲の被害シミュレーションは行っています」
ホテルから「オケアノス」が繋留されている軍港へと向かった諏訪部は艦橋に乗り合わせると、先行していた魔法少女たちのバックアップに回る形で通信回線をオープンにする。
極東管区総司令部からの情報によれば、今回襲撃してきた敵星体は以前お台場に現れたタイプ・ショコラータの変異体よりも巨大な個体であり、凄まじい規模の群れを引き連れている、とのことだった。
こうして「オケアノス」の観測機器を通して目で見るまでは諏訪部もその言葉を疑っていたものの、沖縄に向けて侵攻している敵星体は、それこそ、地上では禁忌とされているタキオン粒子砲の一発や二発でも撃ち込まなければ、いかにオケアノス級といえども効果が見込めないほど、桁違いに大きなものだった。
だが、諏訪部たちはその巨大敵星体に気を取られたことで、一つの存在を見落としていたことになる。
それがあの、闇を形にした刃を纏う魔法少女のような何かだった。
当面、二連装タキオン粒子砲の発射を最終手段と規定した東山と諏訪部は、魔法少女たちのバックアップとして火力支援を行うべく、「オケアノス」の巨体を空に浮かべて、その主砲を敵星体の群れへと撃ち込んでいく。
既に先行していたクラウディア、アリス、アナスタシアたちはようやくの到着にもかかわらず、文句一ついうことなく、取り巻きである敵星体の始末にかかっていた。
「へっ、こんだけ数が多けりゃな、あたし向きってことだ!」
両手に携えたアサルトライフルから、魔力によって生成される弾丸を惜しみなくばらまきながら、アリスは空を埋め尽くさんばかりのタイプ・キャンディを十把一絡げに撃墜する。
引き金を引けば引くほど、弾をばら撒けばばら撒くほどに幸せを感じる彼女の思考回路にとって、これだけの敵と矛を交えるのは、恐ろしいという感情を踏み倒し、ぞくりと背筋を撫でる興奮を感じさせるのだ。
「全く、野蛮なのね……『スネグラーチカ』」
名付けとは、不確定な揺らぎに形を与える呪いであり、呪いとは定義の補強である。
そんなアリスの様子を一瞥すると、アナスタシアは己の特性である「氷」の魔法を、魔力によって高次元から引き出される「結果」をより高度なものにすべく、「名付け」を行った魔法によって、タイプ・キャンディとタイプ・クッキーを瞬く間に氷漬けにし、打ち砕いていく。
戦端は開かれた。
かくして、集められた各管区最強の魔法少女たちは、それぞれ敵星体、その未曾有の群れとの決戦へと、身を投じるのだった。