55.魔法少女とわかり合うこと
対策会議自体は、有益な情報を共有できて終わったとのことだったが、政治から切り離されている結衣たちにとっては幸いだった、ぐらいの感情しかない。
白熱していたビーチバレーも最終的にはアナスタシアとアンジェリカ組が勝利を収めて、あっけらかんと敗北を受け入れた美柑と、悔しがるアリスで明暗が分かれる形となった。
特にあのアナスタシアという魔法少女とアリスは個人的な折り合いが悪いらしく、差し伸べられた手を取りながらも額を突き合わせていがみ合っている姿は、一周回って何か、夫婦漫才じみたやり取りにさえ見える。
「ちっ、調子に乗るんじゃねえぞ、今回は負けたけどな、次はあたしが勝つからな!」
「……そう、勝てるならいいけれど。勝てるなら」
「てめぇ……言ってくれんじゃねえか」
「事実を述べたまでよ」
額に青筋を浮かべるアリスと、澄ましていながらも自らに食らいついてくる彼女の態度が気に入らないのか、密かに冷たい怒りを滾らせているアナスタシアはまさに一触即発といった風情だった。
結衣はそれを止めるか止めないかで大いに迷っていたものの、世話焼きな美柑が仲裁に入らない辺り大事には至らないのだろうと判断して、動向を見守りつつも、氷が溶けて薄まったブルーハワイ味のドリンクを啜ることに決め込んだ。
「……あ、あの……結衣、さん」
「ん、どうしたの、絵理」
溶けた氷で薄まったおかげで、なんともいえない味になったドリンクに結衣が顔をしかめていると、おずおずと絵理が今にも喧嘩を始めそうなアリスとアナスタシアを見遣りながら、気まずそうに指を差す。
繊細な絵理らしい心配だったが、流石に任務中にプライベートビーチでドレス・アップを行っての私闘には至らないだろうと結衣も踏んでいた。
だが、最早売り言葉に買い言葉といった形で、二人の睨み合いは今にも弾け飛びそうなほど緊迫したものになっている。
「上等だ、表出やがれ!」
「ここが表よ、品性のない言葉遣いは底が知れるわよ」
「悪かったなあ、お上品じゃなくてよ……とにかくあたしもこのままじゃ腹の虫が治まんねえ、白黒つけんぞ」
「ふふ、おかしな人。勝負ならとっくについているじゃない」
「うるせえ、第二ラウンドだ! おいお前ら、誰かなんか持ってねえか!?」
幸い、だいぶ怒りで頭が茹っているのであろうアリスも、私闘は私闘でも穏便な形での決着を望んでいるらしい。
そのことに結衣と絵理は胸を撫で下ろしつつも、ただひたすらに元気だなあ、という感想を抱く。
反面、それが平和の象徴であり、健全な形なのだということも、結衣は嫌というほど理解している。
今は自分たちのような少数派しか享受することのできない安穏が、全ての人々に行き渡るためにも、この星から敵星体は、一匹残らず叩き出さなければいけない。
そのために自分は軍に戻ったのだ。
あれこれと好き勝手に振る舞ったとして、自分がいかに第一世代魔法少女の中で最も強いと呼ばれていたとして、仮に全てが上手くいったとしても、残るのは焦土だけだ。
一人の力で敵の全てを叩き出すには、相応の力をこの地球という人々の揺籠の中で振るわなければならないわけで、自分の魂に与えられた「猶予」のことを考慮しなくとも、メタモルブーストを使って戦えば辺り一面は焼け野原になる。
壊すことはできても、直すことはできない。
それが魔法少女小日向結衣の弱点だともいえれば、同時に一人でその全てをこなそうというその行い自体がおこがましいという、傲慢でもあった。
力がある者は、その力に対して相応の責任を負わなければならない。
昔読んでいたジュブナイル小説の中には加減の効かない力を振るって、それが普通だと思い込んでいる主人公がよく出てきたが、魔法少女も似たようなものだ。
だからこそ、地球連邦政府は軍の管理下に置くという形で魔法少女たちを教育し、その力に対して責任を持たせるということを徹底してきた。
アリスとアナスタシアが私闘を始めないというのも、そういった教育プログラムが彼女たちの中にも浸透しているからなのだろう。
いつの間にか美柑が用意していた木刀とスイカ、そして鉢巻による目隠しを施して、スイカ割りによる第二ラウンドを始めた二人を一瞥しながら、結衣はぼんやりとそんなことを考える。
「アリスとアナスタシア……喧嘩している。二人は、仲が悪い? スティアには、わからない」
そして、その様子をぽかんとした表情で見つめていたスティアが、小首を傾げてぽつりと呟く。
海風に靡く、金色にも銀色にも見える不可思議な髪の毛からは相変わらずよくわからない粒子が漂っていて、風に乗ったそれらがエメラルドブルーの海へと還っていくのは、いっそ神秘的でさえあった。
「どうだろ、私にもわからないかも」
喧嘩するほど仲がいい、ということわざがあるが、それをあの二人の前でいったところで否定されるだろうし、傍からはそう見えても、実際は本当に嫌い合っているのかもしれない。
結衣はブルーシートの上に置かれたスイカを、美柑とアンジェリカの指示に従いながら探っているアリスとアナスタシアへと視線を向けながら、困ったとばかりに苦笑する。
スティアが欲しかった答えとは違っていても、人間というのは得てしてわからないものなのだ。
「結衣にも、わからない……とても難しいこと? スティアは、そう理解した……」
「単純じゃないんだよ、人間って」
「人間は、単純じゃない」
「うん、一人一人に人生があって、一人一人に譲れないものがあって。だから……難しい」
全ての人々が誤解なく手を取り合うことができる世界ができたなら、それはきっと理想郷と呼ばれるのかもしれないが、誤解なくわかり合った結果、わかり合えないということがわかった、ということだって考えられる。
共存、共栄。
連邦の旗のもとに一つになったこの地球においても、人類が目指す理想に現状はまだまだ程遠く、だから懸命に人々は日々を生きて、時に他者へと手を差し伸べるということを繰り返しているのかもしれない。
「……わたしは、その……きっと、仲良しだと、そう思います……」
アリスさんも、アナスタシアさんも。
そんな、どことなくポエトリーなことを考えてしまう結衣に、答えたのはスティアではなく絵理だった。
「うん、そうだね……仲良しだって、そう思いたい」
絵理の言葉と控えめな笑みに、第一世代魔法少女として戦ってきた戦友たちとの記憶が呼び起こされて、結衣の胸の内を通り過ぎていく。
その中には当然、折り合いが悪かった魔法少女もいた。
それでも、嫌い合い、憎み合うことをしなかったのは、敵星体という共通の敵がいたからなのかもしれない。
あるいは、互いにわかり合えずとも信じ合えるものがあったからなのかもしれない。
それだったら、後者であればいい、と、結衣はすっかり水の味しかしなくなったグラスの中身を飲み干して、そう考える。
皆が皆、いい人だったわけじゃない。
他人の目から見れば、自分だっていけ好かない存在に映っていたのかもしれない。
それでも彼女たちには彼女たちの信念と人生があって、一足先に自由になった魔法少女たちが掲げていたその旗に、彼女たちが確かにそこにいたという証を証明するために、今も結衣は戦っているところがあった。
それは、死者から託された祈りであり、祈りとは時に自らの首を締め上げる呪いに転じるものである。
そう頭ではわかっていても、結衣は今もその呪いを背負わずに生きていくという選択肢が、取れそうになかった。
「……難しいんだ、生きるのって」
ぽつりと結衣の唇から零れ落ちた呟きは、半ば、自分に言い聞かせたものだった。
こんな時代だ。生きているだけで嬉しいはずなのに、生きていられるだけで幸せなはずなのに。
それなのに、生きているというただそれだけでしがらみに足を捕われてしまうのだから、人生というのはままならない。
アリスが振り下ろした木刀が綺麗にスイカを両断するのを見届けながら、結衣は目に染みた潮風が滲ませた一粒の涙をそっと、人差し指で掬うのだった。




