52.魔法少女、南海に降り立つ
奇妙な邂逅で若干正気が削れたところもありながら、その後は「はぐれ」と遭遇することもなく、無事に「オケアノス」は沖縄の基地に寄港していた。
照りつける日差しと吹き抜ける海風が、ここは東京とはまた違う場所なのだという感覚を結衣たちの情緒へと訴えかける。
ドレス・アップを行ったマジカル・ユニットや各管区最強の魔法少女たちに護衛され、連邦防衛軍の基地まで乗り付けてきた高級車に官僚たちが乗り込んだのを確認すると、結衣たちは装甲車に乗ってその背後を固めるかのように道中警備の任につく。
沖縄にも呪術結界が張り巡らされている以上、敵星体に襲われる心配は少ないのかもしれないが、過激化した民間団体による暗殺紛いのことが起きないとは限らない。
赫星戦役終結から1年間、そのほとんどは鎮圧されて首謀も摘発されたものの、反連邦政府団体というものは未だに存在していて、その腐敗と特権階級の専横に異を唱え続けている。
その気持ち自体は、結衣としてもわかるところはあった。
復興は着実に進められているものの、全ての人々が以前のように地球やスペース・コロニーで暮らせるようになるのには相当な時間がかかるだろう。
そして、地上に戻れる権利を率先して手に入れられるのは特権階級や上流市民ばかりであり、未だに地下都市で暮らしている下層市民たちがフラストレーションを溜めていることもまた、理解している。
しかし、現実としてそれが今すぐどうにかなるとは限らなければ、地球連邦政府という仕組みを今破壊してしまえば、再び世界が混迷の中に逆戻りすることもまた、事実だった。
全ての理想が叶うことはない。
そうなればいいとは結衣もまた思っていても、絶え間なく巨大な歯車が回り続けている現実という機械は、それ故の地獄を多くの人々に見せつけている。
それでも、理想を掲げることに意味がないとは思いたくない。
そう感じる自分がいることもまた確かで、時折結衣は、自分で決断したはずのことがわからなくなってしまうのだ。
装甲車の荷台に轡を並べる魔法少女たちは、皆それぞれに信念や理由を持って戦い続けている。
その一方で、自分はスティアを守りたいとも思っていれば、多くの人々を守りたいとも思っていて、考えたくはないが、その両者が天秤にかけられた時──どんな選択をすればいいのかと、弱気になってしまうことは、結衣にもあった。
──せっかくのバカンスみたいな任務なんだから、少しぐらいは肩の力を抜いていいんじゃないのか。
アリスや美柑の言葉はもっともで、事実、幸いなことに会議場として確保されていたホテルに向かう道中では、結衣が心配していたようなことは起こらなかった。
魔法少女たちは交代で、大会議室の入り口を警護することになっていたが、その任務についている者以外は、ホテル周辺のプライベートビーチで待機していていい、という旨は、上層部から通達されている。
それはつまるところ、魔法少女たちにもバカンスの機会を与えようという計らいだったのかもしれないが、軽率が過ぎると諏訪部が嘆きたくなる気持ちも、わからないでもない。
初日は対人警護にも秀でたクラウディアが会議室前を守り、現地で合流した市街戦装備の78式呪術甲冑がホテル周辺の警護を固めるということで、結衣たちは事実上、バカンスに回されることとなっていた。
ホテルに着くなりドレス・アップを解除して、あてがわれた部屋で水着に着替えた魔法少女たちは、我先にとプライベートへ向かっていく。
「……私も、少し肩の力を抜いた方がいい……んだよね」
その様子を窓から見下ろしながら、カーテンを閉めて、結衣もまた、任務が始まるまでの間、美柑に連れ出されて買いに行った水着を身に纏い、半袖のシャツを上から羽織った。
そして、少しでも肩の力を抜くべくプライベートビーチへと向かおうと、結衣が部屋の扉を開けた時だった。
「……スティア」
「結衣……結衣も今、着替えが終わったの?」
「うん……スティアも?」
「スティアは、結衣の言葉を肯定する……スティアも、今着替えが終わった……」
隣の部屋があてがわれていたスティアもちょうど今、着替えを終わらせていたらしく、結衣と同じようなビキニタイプの水着の上から半袖のシャツを羽織って、その頭には麦わら帽子を乗せていた。
自分が一番遅かったのではないかと思っていたが、どうやらそんなことはなかったらしい。
「ねえ、スティア。せっかくだから、その……一緒に海、行かない?」
結衣はそんな偶然に思わず口元を綻ばせながら、スティアをプライベートビーチへと誘う。
元から向かう場所だったが、どうせなら一緒に行こうと差し伸べたその手をスティアはしげしげと見つめながら、すっ、と伸ばした手を重ね合わせた。
透き通るように白いスティアの肌から伝わってくる鼓動と確かな温もりを感じながら、結衣たちは視線を合わせて、その答え合わせとする。
そして、二人は指を絡めて手を繋ぎ合わせると、多くの魔法少女たちが夏を謳歌するプライベートビーチへと向かっていくのだった。
◇◆◇
夏の日差しが照りつけるプライベートビーチへを吹き抜けて、彼方へと去っていく海風は、基地に降り立った時とはまた装いを改めているような気がした。
ドリンクを二人分購入した結衣とスティアは、魔法少女たちがめいめいに夏を満喫している浜辺を何をするでもなくただ歩いて、空いていたパラソルに身を横たえていた。
「結衣は、海に入らなくていいの? スティアは、気になる……」
「ん……スティアが入りたいなら、っていうのはずるいよね。うん、あんまり気乗りはしないかなあ」
「気乗りしない、積極的ではないこと……どうして? スティアには、わからない」
「なんていうか……なんとなく?」
結衣は海が嫌いだというわけではない。
ただ、なんとなく水着を濡らしてからホテルに戻ったら迷惑がかかるのではないかと思ったり、もしかすれば、皆が楽しそうにしているのを見ているというだけで満足してしまっているところもあるのかもしれない。
プライベートビーチの砂浜に張られたネットを境界線として、ビーチバレーに興じているアリスと美柑、そしてアナスタシアとアンジェリカの戦いは遊びとは思えないほど白熱していて、結衣としては正直それを見ているだけでも十分だった。
「っしゃ! 次のサーブ外すなよ、美柑!」
「オッケー、アリス! そんじゃアタシたちが勝っちゃおっか!」
「させませんわ! アナスタシアさん、準備はよろしくて!?」
「ええ、負けるつもりは毛頭ないわ」
出会ったばかりだというのにここまで親睦を深めているのは、管区を超えて繋がりを強化したいと考えている上層部の思惑通りなのかもしれない。
だが、年頃の少女らしく、彼女たちが全力で遊びに興じている様子を見ていると、結衣は渇き切った心に水滴がしたたり落ちるような、そんな感覚を抱くのだ。
まだそれは、仮初の平和にしか過ぎないのかもしれない。
事実として、敵性体は進化し続けていて、上層部はそれを楽観視しているという問題は残されていれば、「巣」の、ダンジョンの全てが攻略されたわけでもない。
例えダンジョンアタックが成功したとしても、そこにはいつも大いなる犠牲が伴っていて、散っていった魔法少女や兵士たちの上に今の自分たちは立っているということになる。
それでも──それでも、例えそれが仮初に過ぎないとしても、こうして人類が僅かでも穏やかな時間を取り戻したのだと思えば、自分のやってきたことは無駄ではないのではないかと、結衣はそう思うのだ。
同時に、自分が犠牲の上に成り立つ平穏を享受しているという事実に胸が締め付けられそうになる。
しかし、南海に吹き抜ける海風が、そこに響き渡る歓声が、そしてスティアの手から伝わる温もりが、ふとした時に折れそうになる結衣の心を、確かに支えてくれていたのだ。
そういう意味では、上層部の計らいも無駄なものではなかったのだろう。
そんな他愛もない考えと潮風に身を任せて、ブルーハワイ味のドリンクを啜りながら、結衣はスティアと手を繋ぎ合わせ、美柑たちの試合を一通り見届けるのだった。