47.魔法少女、休暇中
美柑の手引きでボウリングのコーナーに辿り着いた結衣たちは、思い思いに球を転がしていた。
「っしゃストライク!」
「……あ、またガーター……」
「全部は倒れないけど、こんなものかな」
「ストライク、当然の結果ですわね」
魔法少女といっても超人的な力を得られるのは「ドレス・アップ」の解号を唱えた瞬間であり、平時は力であるとか運動神経であるとかいったものは、個々人の資質によるところが大きい。
軍属ということで鍛えてこそいるものの、どちらかといえばこの手の競技が苦手な絵理がガーターを連発する一方で、美柑とアンジェリカがストライク合戦を繰り広げる。
身内であっても手加減をしないアンジェリカに対して、結果はともあれ得意な競技ということで遺憾なくその実力を見せつけている美柑、という構図だ。
その争いに加われないことが残念かといわれれば、少なくとも結衣は違った。
俯瞰して二人の白熱した戦いを見ているのも、悪くはないからだ。
「ピンが倒れた……スティアが、倒した?」
「ん、おめでとう、スティア」
「ありがとう、結衣……ボウリング、ルールは把握した……上手くはできないけど、スティアは、楽しい」
スティアが倒したピンは、ガータースレスレの起動を描いて偶然倒れたといった趣が強い。
しかし、彼女はそれを素直に喜んで柔らかな笑みを浮かべている。
何事もそうだと結衣は考えているのだが、ボウリングだったら何もストライクを出すことが全ての価値だというわけではない。
もちろん、アンジェリカのように競技として全力で挑むのであれば一投必中を心がけるぐらいの精神力が求められるのだろうが、これはあくまでも遊びの範疇だ。
ピンが一本倒れただけでも楽しい。
きっと何事も、そういう気持ちを忘れないことが遊びにとっては肝要なのだ。
だからこそ、それを喜んでいるスティアの姿勢には自分がどこかに置き忘れかけていた何かがあるのではないかと、結衣は思わず口元を綻ばせた。
「……み、皆さん……凄い、です……わたし、一本も倒せなくて……」
「得意不得意はあるから仕方ないよ、絵理」
その一方で、周りがストライクを連発する中で、ピンを一本でも倒す中でガーターを連発していれば悲しくなるし悔しくなるのも道理だとばかりに、しょぼくれる絵理がいる。
繊細な性格だからこそ、仕方ないのかもしれないが、比べてしまってもそれは仕方のないことだとばかりに、結衣は落ち込む絵理の黒髪をそっと、優しく撫でた。
「……えへへ、そう言ってくれると、嬉しい、です……」
「絵理は……撫でられると、嬉しい?」
「ひゃ……っ!?」
結衣の掌に体重を預けるかのように頭を差し出して、しばらくその感触に頬を緩めていた絵理の青い瞳をスティアはしげしげと覗き込んで、問いかける。
それはあくまでも純粋な疑問だった。
スティアにも髪を撫でられた経験はある。抱きしめ合ったこともある。
それ自体は何か胸の内からあたたかなものが溢れ出てくるようで、スティアもまた好きだという感触を持っていたものの、他人が結衣に同じことをされてどういう感覚を抱くのかについては、わからなかった。
だからこそ問いかけた、という風情なのだろう。
だが、突然の出来事に絵理は固まってしまって、ぎしぎしと軋みを立てるブリキ人形のような動きで、助けを求めるように結衣を振り返ることしかできなかった。
「んー、そりゃ嬉しいんじゃない?」
そんな絵理の代わりに答えたのは、自分の手番を終えて戻ってきた美柑だった。
レーンで、研ぎ澄まされ、洗練された姿勢からボールを投じるアンジェリカを一瞥しながら、ポニーテールに結えた髪を解いて、美柑はスティアの不可思議な瞳を覗き込む。
角度によって色を変えるスティアのそれは自分を映し出すスコープか、そうでなければくるくると模様を変える万華鏡のようだった。
相変わらず不思議だな、という些細な違和感じみたものを抱きながら、美柑はスティアの答えを待つ。
「嬉しい……好きな人に髪を撫でられるのは、嬉しい。絵理は、結衣が好き?」
無垢ゆえの鋭い疑問に絵理の心臓は高鳴るばかりだったが、それでもスティアの舌先から紡ぎ出されたその問いには、明確な答えを持ち合わせていた。
故にこそ、ぎゅっ、と結衣の袖口を握る手に力を込めて、絵理は緊張でしどろもどろになりながらも、スティアからの宣戦布告とも取れるその問いに精一杯の答えを投げ返す。
「……す、す……好き、です……ず、ずっと……ずっと、前から……わたしは……」
「絵理は、結衣が好き……スティアは、覚えた。スティアも、結衣が好き。これは、両立しない……? スティアには、わからない」
密かな敵愾心を抱いていることを見抜いたのかそうでないのか、スティアは相変わらずマイペースに、無邪気に言葉を紡ぎ上げている。
好き。言葉にしてしまえば簡単なものかもしれないが、それには複数の種類があって、自分に向けられているのがどちらの意味でのそれなのかを判断できるほど、結衣は色恋沙汰に手慣れているわけではない。
ただ、絵理にとってその言葉は特別なもので、スティアにとってもきっと同じなのではないだろうかと、結衣にもそれぐらいはわかっていた。
静かに互いの瞳を覗き合う二人を俯瞰しながら、その感情の重みを確かめるように、空いた右の拳を握っては解いてを繰り返す。
好き。その言葉がどんな意味を持っていたとしても、どんな色をしていたとしても、自分にそれを受け止める資格と覚悟はあるのだろうか。
左手に感じる絵理の握力と、いたいけに小首を傾げるスティアの瞳、それぞれに宿る「好き」の質量を測るかのように、結衣は静かに目を伏せる。
昔なら、敵星体に家族が奪われる前なら、きっと、軽い気持ちでその言葉を返すこともできたのかもしれない。
今はどうなのか、わからない。
今は、好きだという言葉を返して気持ちを結び合っても、明日にはその相手がいなくなっているかもしれない時代だ。
だからこそ、と、そう考えられる思い切りのようなものが絵理にはあって、それは紛れもなく、彼女が勇気を持っていることの証なのだろう。
絵理は気が弱いところがあるかもしれないが、その芯はぶれずに一本筋を通している。
そういう意味では、自分はひどく脆いのだろうと、結衣は絵理からの「好き」を背負うことも、スティアからの「好き」を背負うことも、なあなあで済ませてしまおうとしている自分に気付いて、嫌悪を抱く。
「するんじゃない?」
「……美柑?」
その問いに口を噤んでいた自分を見かねたのか、またしても助け舟を出すかのように口を開いたのは、美柑だった。
「アタシは結衣じゃないし、絵理じゃないし、もちろんスティアでもないからわかんないけどさ、好き、って思う気持ちって、一つしかあっちゃいけないわけじゃないっしょ?」
その行き先がどうなるかまではわからなければ、保証できたものでもない。
ただ、美柑が言った通り、その気持ちが複数存在していてはいけないと、一人に寄せられる想いは一つしかあってはいけないという決まりを神様が定めたのだとしたら、それはとても窮屈で、意地悪なことなのではないかと、結衣はそう思う。
「ま、答え出すのは結衣だけどねー」
「……茶化さないで」
「あっはは、ごめんごめん」
「ちょっと! いつまで油を売っていますの、美柑さん! 貴女のラウンドでしてよ!」
だから、その先はお前が決めろとばかりに美柑は結衣へとウィンクを飛ばすと、すっかり待たされて憤慨しているアンジェリカの元へと駆け寄っていく。
好き。今はその言葉に向き合うだけの勇気を、結衣は持ち合わせていない。
ただ、自分がその想いを寄せられるに足りる存在だというのなら、少なくとも絵理とスティアからは大切に思われているのなら、それに相応しい人間でありたいとは思っている。
いつかこの星に本当の平和が訪れた時、いつかこうして束の間ではなく、ずっと他愛もない日々が続いていくその時に、いつか答えを出す時がくるのだろう。
そのいつかに、自分はどんな答えを出すのだろう。出さなければならないのだろう。
そんなことを考えながら、結衣は自分もそうしてほしいとばかりに差し出してきたスティアの金色にも銀色に見える不思議な髪を、そっと撫でるのだった。