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45.魔法少女と不可思議な夢

 夢を見ていた。

 スティアは、微睡の中でも明確にそれを認知していた。

 パステルカラーの空間には、無数のシャボン玉や雲の欠片はキャンディや綿菓子のような質感を持って漂っていて、それらを掴み取って口に入れれば朧な甘みが舌先を撫でる。

 シャボン玉も雲も、本当であれば食べられないものであることぐらいはスティアも知っていた。

 ただ、この空間では現実の理が通用しない。

 何故ならそれは、人が夢と呼ぶものなのだから。


「夢……眠りが浅い時に、人が見るもの」


 あるいは、未来へと託す願望のこと。ならば今自分が見ている「夢」はどちらに属しているのだろうか。

 スティアは考え込む仕草を見せながら、ふわふわと足元に敷き詰められた綿菓子の絨毯を踏んで、当てもなく夢の中を彷徨い続ける。

 時折、わざとらしいパステルカラーの空から天気雨か雪のように降り注いでくるのはクッキーとチョコレートで、それらもまた地上にふわりと溶け落ちる前に口へと運べば、ぼんやりと霞がかかったような味わいが広がっていく。

 夢というのは理不尽なものだと、結衣はそう語っていた。

 復隊するまでの生活を省みた時、彼女が朝、起きがけに涙を滲ませていたことは珍しくなく、その理由を聞いてみた時に帰ってきた答えがそれだったことを、スティアは覚えている。


「理不尽……ひどく堪えがたいこと。スティアの夢は、理不尽?」


 全てが菓子で作られたような甘ったるい空間の中で、スティアはぽつりとそう呟くが、夢の中に出てきている人物が今のところ自分だけである以上、それに答える声はない。

 空から降ってきた飴玉の味は知らないもので、一つ一つ味わいが異なっていたことは、スティアを飽きさせなかった。

 だが、砂糖菓子で塗り固められた終わりのない茫漠を歩き続けるというのは夢であっても徒労感と疲労が絶えない。

 結衣が言っていた通り、望めば空だって飛べるのが夢であるなら、残酷な現実を突きつけてくるのもまた夢である。

 その言葉を信じるのなら、自分の夢はどっちなのかと、スティアは人差し指を唇に当て、小首を傾げて考え込む。

 そんなにお腹が減っていただろうか。

 否。朝食も昼食も夜食も、自分が食べられるくらいは食べたはずだ。

 ならこれは、堪えがたい現実というものなのだろうか。それとも自分が望んで、未来に託した願いを思い浮かべているのだろうか。

 そのいずれにも当てはまらない気がして、飴玉やチョコレートが降り注ぐ明度が低い地平に、スティアは一人、途方に暮れて座り込んだ。

 記憶がないことで、生活に不便を感じたことはあまりない。

 それは結衣の献身であったり、連邦防衛軍による保護を受けたことで居場所を確保していることであったりと様々な理由が絡んでくるのだろうが、スティアは今の生活に大きな不満であるとか、不安を感じたことはなかった。

 自分が何者なのかわからないということを、不安に思わないのかと問われて即座に首を横に振ったなら、それは嘘になるのかもしれない。

 スティアは、自分の顔が映り込んでいるシャボン玉を人差し指でつついて破裂させると、小首を傾げて再び考えを巡らせる。

 自分はどこから来て、何者で、どこに行くのか。

 ともすればそれは記憶のある人間ですら悩み続ける哲学のようなものだったが、少なくとも記憶は過去に紐づいている。

 過去とは辿ってきた足跡のことであり、80年の人生はそれまでこの地球が歩んできた時間と比べれば、瞬きにも満たない刹那のことなのかもしれない。

 しかし、どこから来たのかではなくどんな風に歩いてきて、どんな人間に育ったのかを振り返るという意味では、記憶の存在はその問いに紐づいている。


「寂しさ……人が抱く孤独、悲しみ……スティアは……寂しい……?」


 寂しいという悲しみが映し出されたにしては陽気な夢の光景を一望しながら、ぽつりとスティアはそう零した。

 自分が何者なのかわからなくとも、結衣は優しくしてくれて、マジカル・ユニットの魔法少女たちだって、自分を気遣ってくれている。

 それなのに寂しさを感じるのはおかしいのではないだろうかと、スティアは内心で疑問を抱くが、その謎々を解いてくれる人間は自分だけだ。

 答えがわからなくても無情に時間は進み、人生は足元に、今日までは「明日」だったはずの時間の屍を積み重ねて、また新しい「今日」へと羽化することを、死ぬまで繰り返す。

 それはひどく悲しいことで、堪えがたいことなのではないか。

 だから、こんなことを考えさせるために自分の脳はメルヘンチックな茫漠が支配する夢を見させたのだろうかと、スティアが溜息をついたその時のことだった。


『……リュシオ……』

「誰……? スティアの他に、誰かがいる……? スティアは、夢の中で一人じゃない……?」


 微かな残響として、パステルカラーに塗り込められた空間に、その言葉の欠片は確かに零れ落ちていた。

 自分以外の誰かの声を聞いたスティアはそそくさと立ち上がると、声が聞こえた方と思しき方向へと走り出していく。


『……エリュ……シオン……』

「エリュシオン……? わからない……スティアが、知らない言葉……」

『……よ……スティア、──よ……』


 その声はひどく不鮮明で、歪なノイズがかかってスティアの耳朶を震わせた。

 エリュシオン。名前を除けば唯一聞き取れた言葉の意味をスティアは知らない。

 ただ、この声は自分を呼んでいるのだということだけはどうしてか、理解できたような気がした。

 やがて、走り続けたスティアの足がパステルカラーの地平線上で止まる。

 すると、世界が音を立てて崩落していくような感覚と、どこまでも落ちていくような錯覚に苛まれて、スティアは夢の淵から滑り落ちて、現実へと叩き返されていく。

 エリュシオン。

 その言葉が何を意味しているかはわからない。

 ただ、ひどく懐かしいような感覚と共に、眠りの底からスティアは、反転した現実で、落下していくような錯覚と共にその目を見開くのだった。




◇◆◇




「結衣は……夢を見る?」


 起床を終えてからしばらく、諸々の用事を済ませて食堂に並んでいた結衣を呼び止めて、スティアはそう問いかけた。


「夢……か、見るよ、いいものじゃないけど。でも、どうして?」


 今日は揚げパンがメニューに含まれていないからか、缶飯の中でも人気が高い鳥飯をプレートに乗せて、サラダを盛り付けながら、結衣はスティアへと問いを投げ返す。

 覗き込んだスティアの瞳は、相変わらず角度によって色を変える不思議なものだったが、その奥には微かな悲しみが滲んでいた。

 ならば、それに寄り添うことはできないだろうかとばかりに、結衣はスティアに微笑みかける。

 不思議なものだとは自分でも思っている。

 他の誰かを前にすると上手く笑えないのに、スティアの前では自然に口元が綻んでいる、その理由が。

 きっとそれは想像以上に、スティアという存在が自分の中で力になってくれているからなのだろう。

 だったら、今度は自分がスティアの力になる番だと意気込んで、結衣は大丈夫だよ、と優しい視線で俯くスティアの瞳を覗き込んだ。


「結衣は、夢を見る……スティアも、夢を見た」

「夢?」


 スティアでも夢を見ることがあるのか、とそのまま聞き返したくなる言葉だったが、思ったよりも深刻そうに彼女の声は震えていた。

 何か悪い夢でも見たのだろうかと、続きを促すように結衣は頷く。

 それを肯定の合図と捉えたスティアは、柳眉を八の字に歪めながら、夢の顛末を結衣へと語って聞かせる。


「エリュシオン……」

「エリュシオン?」

「スティアには、わからない……でも、夢の中でスティアを呼ぶ声が、そう言っていた」


 ただ呼びかけられただけだといえばそれまでの話だが、やけに深刻な顔をしているスティアには、何か懸念することがあるのだろう。

 結衣もまた少し目つきを険しくして、震えるスティアの背中をそっと摩った。

 その言葉はもしかしたら、スティアの失われた記憶に繋がっている可能性がある。

 しかし結衣にはエリュシオンなる単語の意味はまるでわからなかったし、わかったとしてもそれがスティアの記憶とどう紐付いているのかは、本人以外にはわかるはずもない。


「……大丈夫だよ、スティア」

「結衣……?」

「私にもその言葉はわからないけど……それがスティアの記憶に繋がってるかもしれないなら、きっといいことだと、そう思うんだ」


 何の気休めにもならない慰めであることはわかっていたが、結衣はスティアへと優しく微笑みかけて、その不安を掬い取るかのように真っ直ぐ、視線を合わせてそう言った。


「……記憶、過去の記録……スティアは、思い出せる……?」

「きっと、ね。だから、大丈夫だよ」

「そっか……スティアは、大丈夫。結衣がそう言ってくれるから、大丈夫」


 ──ありがとう、結衣。

 そう言って微笑むスティアの笑顔からはすっかり憂いの色が消え失せていて、結衣の見知った無邪気な太陽が、そこには燦然と輝いているのだった。

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